0.はじめに

 報告の初頭にあたり、2011年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究者育成費の採択を受け、研究を実施することができた謝意を表したい。研究資金を得たことで研究活動に専念することができたことはもちろんのこと、修士課程入学当初に自身の研究計画が採択されたことは、研究を進めていく上での動機づけの向上となった。
 本年度は、修士論文研究における理論的整理をはじめとする準備段階と定めた期間であり、フィールドに出向くことが少なかったものの、種々の分析や文献読解を通して得られた新たな知見は、次年度の研究において有用となるものであった。研究資金は、これらの活動を支えるとともに、次年度の研究においても活用できる消耗品を購入することに充てた。本年度の研究成果に基づいて、次年度の修士論文研究をより高いものに仕上げたい所存である。

1.研究の概要

 本研究は、学校外国語教育で育成すべき「普遍的コミュニケーション能力」とは何かを明らかにし、また「普遍的コミュニケーション能力」を育むための学校外国語教育のあり方について検討することを目的とする。本研究では、「普遍的コミュニケーション能力」を育成する事例として、茨城県で開催されている「英語インタラクティブフォーラム」(Interactive English Forum、以下I.E.F.と省略する)を取り上げる。取り組みの詳細は後述するが、「英語を使って双方向性を重視したコミュニケーション能力を高める」ことを目的とした、自由会話形式で行われるこのコンテストは、「普遍的コミュニケーション能力」を育む外国語教育の事例としてふさわしいと考えられる。この取り組みの調査・研究を通じて、「普遍的コミュニケーション能力」を育成する実践の効果や課題を明らかにすることが、本研究の目的である。

1−1.研究の背景

 日本の学校外国語教育においては、平成元年に、学習指導要領の教科・外国語の目標に、初めて「コミュニケーション能力の育成」が言及されて以来、英語を原則としてコミュニケーションを重視する教育が取られてきた。平成23年から実施される中学校学習指導要領の教科・外国語には、「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度」と「コミュニケーション能力の基礎」を養うことが目標として掲げられている。
 本来、コミュニケーションとは、他者と自分との関わりにおいて起こるものであり、社会の中で生活する以上、自分以外の他者と人間関係を築くためにも避けて通れないものであると認識している。しかし、昨今の社会では、この対人関係が引き金となって、さまざまな社会問題が発生している。学校教育における児童・生徒たちを取り巻く問題の多くは、対人関係が原因となっているのではないだろうか。
 こうした問題意識から筆者は、学校教育においては、いかなる状況でも、いかなる言語でも、自分以外の他者と良好な対人関係を築くことができるようになるために、最低限のコミュニケーション能力を育む必要があると考えた。ここで言うコミュニケーション能力には、個人の性格がどうであれ避けることの出来ない対人関係をうまく乗り切るために必要なスキル(方略)の側面と、他者とのコミュニケーションに対する肯定的な態度の側面の2つの側面があると考えている。そしてそれらは、特定の言語に依拠するものではなく、英語であろうと日本語であろうと、すべての言語コミュニケーションの基盤に存在するものであると考えている。これが、筆者の考える「普遍的コミュニケーション能力」である。学習指導要領の外国語科の目標に定められる「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度」と「コミュニケーション能力の基礎」とは、まさしく「普遍的コミュニケーション能力」であり、この点において、外国語を必修の教科として取り扱う意義があると考えている。
 本研究は、教科・外国語を科目として取り上げる意義と「普遍的コミュニケーション能力」の関係について検討し、コミュニケーションを重視する外国語教育について、一歩踏み込んだ議論を展開するものである。その具体的事例として、茨城県教育委員会が実施するI.E.F.を取り上げる。このI.E.F.は、「英語を使って双方向性を重視したコミュニケーション能力を高める」ことを目的としており、コンセプトや独自のルールは、申請者の考え方に合致する部分が多い。なお、I.E.F.に関する研究は、長澤・田邉(2001)による記述的な記録があるものの、詳細な分析を行った研究は見られない。したがって、本研究でI.E.F.を取り扱うことによって、その取り組みに効果があるかを示すことが可能となる。

1−2.これまでの研究成果

 茨城県教育委員会他が主催する「英語インタラクティブフォーラム」は、従来のスピーチコンテストと異なり、双方向的なコミュニケーションを評価するコンテストとして、過去10年以上実施されてきたものである。8月に実施される県大会に向けて、各学校内での選抜、市・郡大会、地方大会という予選が行われる。出場する生徒(中学生の部は、2年生と3年生が対象)は、学年別の3〜4人のグループで与えられたテーマに関して自由な会話を行う。誰とグループを組むかは、当日にならなければ分からないため、初対面の状況で、お互いのことをよく知らない中で会話をせねばならない。評価項目としては、「表現力、通じやすさ、自然さ、正確さ」「豊かで適切な内容」「協調性のある親しみやすい態度」が挙げられている。
 筆者は、2010年度の卒業論文として本研究に取り組んでおり、そこでは修士課程における研究を見越したパイロット研究として、「普遍的コミュニケーション能力」について考察し、また茨城県古河市のI.E.F. 2010年大会を対象とした調査を実施した。論文では、「普遍的コミュニケーション能力」について考察した結果、これを方略的側面と態度的側面に分類し、その上でI.E.F.古河市内大会に出場した生徒を対象として、1)コミュニケーション方略に対する意識、2)他者とのコミュニケーションに対する態度、の2つの側面について質問紙調査を実施した。2010年7月に行われた茨城県古河市大会の出場した生徒42名に対して、事前・直後・事後で質問紙に答えてもらい、その結果を量的・質的に分析をした結果、以下の2つのことが導かれた。

  1. 生徒たちは、英語そのものに対する気づきよりも、アイコンタクトや表情、相手の話を聞くなどの配慮、そして積極性など外言語的な方略に対する気づきを得ていた。
  2. 生徒たちは、他者とのコミュニケーションに対して、充実感や楽しさ、重要性、また言いたいことが言えないという体験を通じてその難しさを感じていた。
 このことから、出場した生徒たちの意識・動機づけは、会話活動を通じて、英語という言語に対するものから、より広範で基盤的なコミュニケーションに対する意識に変容したということが言える。この知見は、外国語教育の目的に、言語使用における基盤となるコミュニケーション能力の育成という、新たな側面を加えるという点で意義があるものと考えられる。

2.2011年度の研究活動

 2011年度は、言語教育デザインプロジェクト(古石篤子教授・平高史也教授担当)と古石篤子研究会において研究活動を行った。特に、古石篤子研究会では、毎学期末に課されるタームペーパー執筆を一つのマイルストンとして研究活動を行ってきた。ここでは、2011年春学期と秋学期に実施した研究について、その結果を報告する。

2−1.会話分析による「会話の成立モデル」の検討

 2011年春学期には、2010年度卒業研究にあたって見学した2010年度I.E.F.古河市内大会における、実際の生徒の会話を分析した。その目的は、「普遍的コミュニケーション能力」の方略的側面について、特に会話によるコミュニケーションという観点から検討をすることであった。まず、実際の分析に先立って、文献を基に、コミュニケーション、とりわけ会話の成立要件について検討した。
 その結果として「会話の成立モデル」というモデルを提示した。提供された話題に対して、一方の参加者が他方の参加者の持つ新たな情報や意図・感情を引き出すために質問をし、質問された参加者がそれに対して答え、その答えに対してまた新たな情報が加えられ、そこから質問が生じる、というモデルであり、また会話を円滑に進めるための発話への反応は、質問への答えと新情報の追加に対して、同意や共感などを示すものとして発生すると考えられる。ここに加えて、特定言語に依拠しない会話コミュニケーションを成立させる要件として、言語の機能・言語の使用目的の理解が必要になると考えられる。これらによって、自分の持つ意味や感情 (情報、考え、思い、意図) を表出したいと思うこと、同時に、相手の持つ意味や感情 (情報、考え、思い、意図) を引き出して知りたいと思うことの両方を相互に行うことで文脈を折り重ねていくことが会話であるという論考を行った。
 その上で、2010年度I.E.F.古河市内大会における生徒の会話サンプルの一つを文字起こしを行い、文単位で区切り、これを2つの観点から分類し、分析を行った。最初の観点は、「会話の成立モデル」の要素である「質問する」「質問に答える」「新情報を加える」「発話への反応」の4つであったが、この中で最も多かった発話は「発話への反応」であった。また、質問する→質問に答える→新情報を加える→質問する…という3つのサイクルで展開されている場合の会話は、自然なものとして聞き取ることができた。もう一方の観点は、中学校学習指導要領外国語編に掲載されている「言語機能の例」に照らして、I.E.F.という、ある種特殊な会話状況においてどこまでそれらの言語機能表現が用いられるか、を見るものであった。その結果、「あいづち」「説明/描写」「賛成」「質問」が大半を占め、それ以外に挙げられている言語機能については用いられていなかった。しかしそれは、I.E.F.の会話が、特定のテーマに基づいてお互いの情報や意見を交換するというタスクとして行われるものであることが理由であり、依頼・招待・謝り・苦情・断りといった言語表現がI.E.F.のようなテーマが定まったタスクとしての会話においてみられることはないからだ、ということが分かった。

2−2.I.E.F.経験者のライフストーリー分析

 2011年度秋学期には、I.E.F.に出場した経験者がどのような経験を積み、そこから何を得たと自覚しているかを明らかにすることによって、会話によるコミュニケーションを重視する活動の効果について推察をすることを目的として、I.E.F.に出場した経験を持つ3名の経験者の協力のもと、1〜2時間程度のライフストーリー的インタビューを実施し、それを分析した。I.E.F.を事例として扱う研究全体の最終的な目標は、出場した生徒たちに影響を与えている「何か」を、そしてそれによってどのような効果が現れるかを、特定することである。I.E.F.が影響を与えうる事象は、筆者の主張するコミュニケーションの態度と方略だけではなく、外国語の学習動機、学校生活への積極性、進路選択などが考えられる。しかしそれらが単純にI.E.F.のみに影響を受けていると特定することは難しい。また、個人の意識や意思決定は、心理尺度を用いた定量分析や、産出された談話の分析からは判断することができない。そこで、I.E.F.の経験者から「語り」を引き出すことによって、現在の個人の認識や意思決定の過程からI.E.F.の影響や効果を予測することを試みた。
 インタビュー自体の手法としては、非構造化インタビューの形をとり、広範にデータを収集した。実際にインタビューを実施すると、自然に自分の質問は、1) I.E.F.実施期やその後における対象者の行動や志向、2) I.E.F.が当時や現在の対象者に与えた影響、3) I.E.F.そのものに対する現在の認識、という3点に集約されていった。しかし、特段の質問事項があるわけではなく、きわめて対話状況に近い形でインタビューが進んだ。また、分析においては、インタビューイー3名の傾向的特徴と、それぞれに見られた特徴的「語り」の2つの側面から分析を行った。
 分析から、3名の傾向的特徴は以下のようなものが挙げられた。

  1. 実施前にすでに外国語との接触がある場合がある。
  2. 人と話をするということに対する抵抗感はもともとなかったと言える。
  3. 練習においては部活動に注力が置かれることもある。
  4. 大会での会話に難しさを認知していた5。
  5. 上位大会に進むほどに、周囲のレベルの高さの認知や、力を発揮できなかったことへの悔しさが見れる。
  6. 英語学習のスタイルはオーラル志向になりやすい。あるいは、文法の理解力が低いと認識している。
  7. I.E.F.で練習したトピック内容などが、その後の学習シーンで用いられることが多い。
 また、3名それぞれに特徴的であった「語り」は以下のような内容であった。
  1. I.E.F.の取り組みが、その後の進路を確定させる上で、ひとつの大きな要因になっている。
  2. I.E.F.が、その後の学習の取り組み方に影響し、また大会以降の友人関係の形成に影響している。
  3. I.E.F.によって、他者との関係性を持つことによる動機づけの向上がもたらされる。
 以上の結果は、筆者の2010年度の卒業研究を支持すると同時に、あらたな仮説を導いた。それは、I.E.F.が、その場限り以上の関係性構築の場になっていることと、進路選択に対する影響を持っているということである。反面、I.E.F.そのものや、I.E.F.研究についての課題も提示された。たとえば、出場者が文法項目に対する抵抗感を持っていることや、上位大会に行くほど周囲の実力を認知したという点について、上位大会に出場できなかった生徒の場合はどうなるのか、ということである。またそもそも、I.E.F.は外国語の接点やコミュニケーションに対する寛容性がある生徒が出場しているという点も否めない。こうした課題についても、更に追究する必要がある。

3.今後の展望

3−1.対外発表予定

 2010年度時点での本研究の成果をまとめた卒業論文を加筆・修正した内容で、2012年3月11日の第29回社会言語科学会において口頭発表を予定している。主な発表内容は1−2で示した通りである。

3−2.今後の研究計画

 今後は、修士論文の執筆を視野に入れ、実際の学校現場でのフィールドワークによる質的な調査を中心とする研究を行う予定である。また、大会参加者のコミュニケーション意識に関する調査は、アンケートを用いた定量的調査だけでなく、インタビューによる定性的調査を引き続き実施していく予定である。研究の対象は基本的に現在の中学生でI.E.F.の出場者であるが、本年度に実施した研究に引き続いて、かつての出場者に対する調査も継続的に行っていく予定である。

4.謝辞

 本年度の研究の実施に当たり、以下の方々に感謝申し上げたい。まず、指導教授である総合政策学部教授・古石篤子氏と、プロジェクト共同担当の同学部教授・平高史也氏である。言語教育デザインプロジェクトにおいて、貴重なフィードバックをいただいた。次に、共立女子大学教授の阿部圭子氏からは、社会言語科学会への投稿のきっかけを作っていただいた点で大変感謝している。
 また、本年度秋学期に実施した研究においては、3名の研究協力者へのインタビューを実施し、この分析においては外部協力者1名のお力添えをいただいたことに感謝したい。最後に、本研究の基礎データとなるI.E.F.に関する各種資料や研究フィールドを提供してくださった方々に、最大限の謝意を表したい。