2012年度 森泰吉郎記念研究振興基金「研究者育成費」成果報告書

初等中等教育における学習定着状況の時系列モニタリングシステム

(申請研究課題名:「初等中等教育におけるモニタリング支援システムの構築」)

 

慶應義塾大学大学院

政策・メディア研究科 博士課程2

外山理沙子

                                                                                   

 

〔研究概要〕

本研究は、児童・生徒個人の記録を複数年度に渡って、小中9年間一貫して教育委員会で保存するシステム(以下、「時系列モニタリングシステム」と呼ぶ)の利用により、年次比較では把握できない児童・生徒の学習の変化・特徴や課題を抽出し、改善に繋げることを目指すものである。

平成23年度に文部科学省は「子どもの豊かな学びを創造し、地域の絆をつなぐ〜地域とともにある学校づくりの推進方策〜」として、以下の5つを「国の推進目標」を掲げた。(i) 今後五年間でコミュニティスクールの数を全公立小中学校の一割(約3,000校)に拡大、(ii) すべての学校で実効性のある学校関係者評価を実施、 (iii) 中学校区を運営単位とした”小中一貫”運営体制の拡大、 (iv) 学校の総合的マネジメント力を強化、 (v) 地域コミュニティの核として震災復興の推進力とする、というものである。初等中等教育政策では、1984年に設置された臨時教育審議会での答申がひとつの転機となり、以降様々な教育施策が展開されてきた。2000年には教育改革国民会議で、新たに学校の閉鎖性や教員による「学級王国」の課題が指摘され、初等中等教育改革の領域が市場原理の導入と共に選択の自由の拡大、学校教育制度の弾力化や規制緩和等いわば、外からの学校改革を目指す施策が提案された。また、コミュニティスクールや学校評価の実施等、地域との連携や自律的な学校を実現する施策も提案された。この様な経緯を受けて、文部科学省が初等中等教育の推進目標のひとつとして「中学校区を単位として小中学校間の連携・接続に留意した運営体制を拡大する」ことを挙げ、地域の学区内における小中一貫教育を実施する自治体が増えている。

昨今では、この様な情報コモンズの概念を基盤として開発された「学校評価支援システム」が具体的なツールとして運用されており、従来の初等中等教育では共有されなかった情報が蓄積され、関係者が納得して学校に関わることを可能にしている。この学校評価支援システムは、SFC金子研究室・玉村研究室が10年程前から開発・改訂してきたもので、現在では全国の学校の学校評価システムのデフォルト標準的な存在となっている。

従来、児童・生徒の学習の記録は、単年度毎に学級単位で保存されてきた。例えば、学力調査の結果は、年度別の正答率を年次比較するため、議会への報告など学校外部への形式的な説明としては対応できるものの、個々の児童・生徒や保護者にとっては、教育的な意味があまり無い現状にある。

一方、時系列モニタリングシステムでは、学級や学年といったグループ内での各児童・生徒の位置づけや学習の変遷を表示することで、学習における阻害要因やつまずきを未然に予防するための選択肢を提示する。具体的には、データを利用して教員、児童・生徒本人、保護者が相互に納得した上で学習目標を策定することや、教育委員会が実際のニーズに沿う施策を適切な時期に発動することが期待される。システムの概要は、図1に示す通り、まず児童・生徒の学力情報をモニタリング情報の受け手である教員と教育委員会間で共有する。 次に、教育委員会で仮名化されたデータをもとに、本システムの仮名データベース、所属データベース、分析インターフェースを用いて、データの分析を行う。 その上で分析結果を教育委員会が定めたルールとポリシーを参考として、 教員や保護者など各アクターに必要となる分析結果を提供する。 そこで本研究の助走的研究として今年度、いくつかの教育委員会及び小中学校を対象に、ニーズ把握調査とシステムのプロトタイプの開発を実施した。以下にその結果を報告する。

 


1 時系列モニタリングシステムの概要

〔研究成果〕

本研究では、3自治体(A市、B市、C市)の教育委員会ないし同市立小中学校を対象に、ニーズ把握調査とその結果を踏まえたシステムのプロトタイプの開発を行った。

3自治体へ行った調査の実施内容は以下に示す通りである。

A市:教育委員会および3小中学校(2小学校、1中学校による小中一貫教育を実施している)に対して、ニーズ把握調査、ヒアリング調査の実施

B市:1中学校(同学区内に1小学校があり、小中連携を実施している)に対してニーズ把握調査とヒアリング調査を実施

C市:教育委員会および1小中学校(施設一体型の小中一貫教育実施校)を対象に、ニーズ把握調査、ヒアリング調査、システムのプロトタイプの開発を実施

ニーズ把握調査と本システムシステムのプロトタイプの開発の結果、児童・生徒個々人の学習定着状況の記録を時系列で記録し、児童・生徒の苦手分野や学習定着の契機を特定することを可能にすることの有用性への示唆を得ることができた。小・中学校の設置自治体である市区町村教育委員会では、効果がより期待できる教育施策の選択を実行すること、また実際の教育ニーズに沿う教育施策を適切な時期に効果的に発動などといった、教育の質の改善を促進する可能性があることを確認した。

A市へのヒアリング調査から、小学校ではエクセルファイルや小テストや定期考査の結果を記録し、授業中の発言や宿題の提出状況、児童のやる気等の所見を考慮した上で評価した成績を学校内で共有していることを理解された。教員によっては、テストの結果は記録せず、テストや所見を含め総合的に判断した評価のみを記録している場合もある。また中学校では、学校内・教員内で記録するのは、学期毎に出す最終的な評価のみであることが多いことを確認した。小中学校に共通して、前年度に担当した児童・生徒の情報は、個人情報の問題もあり、あまり共有されていない現状にあった。この現状に対し「前年度に担当している児童がどこまで学習を理解しているか、またどこが苦手なのか」を把握できると、指導方法に活かすことができるだろう」といった回答を複数の教員から得られた。

 


2 時系列モニタリングシステムの分析手法(マルチライン)

 

分析手法については、様々な可能性を提案・検討した結果、図2及び図3に示すような仮のデータをもとに作成した、モニタリング支援システムの分析手法をシステムのプロトタイプをとして策定し、現場での実現可能性について議論を行った。図2は小学校から中学校までの義務教育機関9年間の任意の時期を選択し、各時点を折れ線グラフにまとめた分析手法例である。また図3は、縦軸・横軸にそれぞれ時期や学習内容を選択し、その関係を表示する散布図の形式である。

このような分析を利用することにより小中学校の現場では、学習の習得率の履歴から教員、児童・生徒本人、保護者の三者が相互に納得した上で学習目標を策定する等、より個別具体的な指導方法が見込められることが理解された。例えば、C市へのヒアリング調査から、時系列モニタリングシステムが出力する分析手法は、実際の教育現場でどのような活用方法があり得るか、 また教育現場としてこのような分析結果が表示されると、どういった対策が打てるかといった質問項目に対し、生徒の成績が急激に落ち込んでいる時期やその領域、さらにその小問の内容が明示されると、どのような指導が実際に行われていたかまで遡り、指導方法を見直すことができる可能性があるだろうという回答を得た。

また、学習定着状況は各教科内の学習領域毎によって(例えば、理数科目、文系科目さらに詳細な領域、問題内容毎のグループに応じて)、異なった特徴が見られる可能性についても検討した。さらに、児童への指導だけでなく、学校経営の基礎資料となる得ることも確認した。

 


3 時系列モニタリングシステムの分析手法(散布図)

 

現状では小中学校での個人情報は、教員個人や各学校において管理されているが、時系列モニタリングシステムを利用する場合、小中学校を通じて児童・生徒の情報を蓄積するため、教育委員会による厳重な管理の必要性になる。その対策として個人名ではない暗号化されたID番号をつけてデータを保持し、誰がどの様な目的でどの範囲のデータにアクセスできるかのポリシーを定める。具体的にはID番号と個人名が参照されるデータは、学級担任等の教員のみ、また個人名を参照したい学級/学年のデータは教育委員会や地域学校運営委員会委員にアクセス権限を与える等の対策を取ることについて提案を行った。これについて、教育委員会及び学校においてヒアリング調査を行い、各自治体が持つ個人情報保護のポリシーに沿う形で開発が進められるかについて併せて検討を行った。

来年度に向けた今後の展望として、今年度のニーズ把握調査とシステムのプロトタイプ開発を踏まえ、更なる分析手法の改善と小・中学校との共同研究を進め、実際のデータに基づいた学習プロセスにおける学習定着の契機を特定し、児童・生徒のモチベーションを向上する等の対策を講じる一助となるよう、時系列モニタリングシステムの本格的な実装・運用を目指す。その際に運用に伴って教育委員会や学校にかかる負担やコストを含め、本システムの活用による成果と課題の検証も実施する。その上で複数年度に渡って保存した児童・生徒の記録から、学習の変遷や特徴を明からにすると共に、各自治体・学校の条件や傾向と照合して、より効果が期待できる教育施策を提示することを目指す。

 

〔対外発表〕

・外山理沙子, 木幡敬史, 森薫, 玉村雅敏, 金子郁容: "初等中等教育における時系列モニタリングシステムの提案", 教育工学会 28回全国大会 大会論文集 (2012)

 

〔主要参考文献〕

(1)    荒巻 恵子: “教師の意思決定研究から教師教育への研究動向 : 心理測定による教師のモニタリング活動への効用”, 日本教育工学会研究報告集, Vol. 12(5), pp. 249-256 (2012)

(2)    瀬尾美紀子: “自律的・依存的援助要請における学習観とつまずき明確化方略の役割: 多母集団同時分析による中学・高校生の発達差の検討”, 教育心理学研究, Vol. 55(2), pp. 170-183 (2007)

(3)    木幡敬史, 図子泰三, , 玉村雅敏, 金子郁容: “都道府県レベルのための学力テスト分析システム: デザイン・開発・実施運用”, 日本教育工学会論文誌, Vol. 31(Suppl.), pp. 169-172 (2008)