2012年度森泰吉郎記念研究振興基金成果報告書

 

研究課題:戦後ベトナムにおける地域住民による生活環境の整備

所属:政策・メディア研究科修士課程

学籍番号:81025900

芹澤

 

1.研究概要

 本研究はベトナム戦争という<災禍>の後、地域住民がいかに各々の生活環境を整備していったのかを彼らの歴史実践を通し検討する。事例としてダクラク省バンメトート市を扱い、植民地化が進んだ1900年代からの歴史を追う。現在のベトナムの経済発展をドイモイ政策による市場経済導入のインパクトのみで捕らえるのではなく、戦後ベトナム史として注目し、いかにベトナム戦争のインパクトによって、生活環境が変化し、どのように地域住民レベルで整備したのかを明らかにする所に本研究のオリジナリティーがある。バンメトート市は、ベトナム戦争で大きな戦闘を経験し、またドイモイ政策によって他地域から多くの人間が流入した地域だ。植民地化以降のベトナムのダイナミクスを地域住民による語りから明らかにする。

 

2.研究背景

 ベトナムにおける中部高原地域はベトナム南部にあり、ホー・チ・ミンとフエのちょうど中程に位置する。中部高原地域のひとつであるダクラク省の名は、古くからこの地域に居住していた少数民族の言葉から来ている。省の西部にはメコン川の支流であるスレポック川が流れ、植民地化以前は沿岸に集落が築かれ、河川を利用した交易が行われていた。

 1904年にはフランスによるインドシナ地域の植民地化に伴い、現在のベトナム中部高原地域にダクラク省が建設され、その省都としてバンメトート市が設置された。同地域は、植民地化以前、現在のベトナムで呼ばれる山岳少数民族が居住していた地域であった。特にバンメトート市は山岳民族のなかでもエデ族が多く居住していた。中部高原地域の山岳少数民族は植民地化以前、古くから森林で生活を営んでおり、森林での動植物の採取、焼畑(周期的移動耕作)により、生活の糧を得てきた。植民地化が進むことにより、中部高原地域に低地からの移住が徐々に増加する。

 現在のベトナムには公定で54の民族が存在するが、総人口の八割以上がひとつの民族で占められており、

 1954年にジュネーブ協定が結ばれたことにより、南ベトナム政府が樹立された。南ベトナム政府は低地における人口の過密を解決するために、戦略村を中部高原地域に設置した。このことにより、人口移動が加速することとなった。

 1965年にベトナム戦争が開始され、1975年には大規模な軍事作戦がバンメトート市において展開された。バンメトート市には、政府軍第2軍団の第23師団司令部、補給部隊、飛行場が展開されていたが、解放軍による大規模な兵力によって攻略された。

 1976年、ベトナム戦争を経て南北に分裂していたベトナムは、社会主義国家として統一を果たした。統一を果たしたベトナム政府は、南部の急速な社会主義化、重工業化政策を行った。一方で対外的には、カンボジア侵攻、中越戦争を行った。度重なる戦争によって国民は疲弊し、軍事支出によって国民生活が圧迫された。南部における社会主義化政策は遅遅として進まず、とりわけ農業の集団化は農民の労働意欲を減退させ、サボタージュなどの抵抗運動が発生した。一連の政策の結果、農業生産性は著しく低下し中部を中心に飢饉が発生した。

 1986年ベトナム政府はドイモイ(刷新)政策を施行した。ドイモイ政策ではそれまでの、急速な社会主義化一辺倒の路線を変更し、一部市場経済を導入した。それまで、移動や生産が政府によって制限されていたが、ドイモイ政策によって解放された。それまで禁止されていた土地の売買も、土地の所有権ではなく、使用権として売買を許可されるようになった。

 農村地域の復興として重要な意味合いをもつ土地制度に関しては、「1980年憲法」の基本路線を踏襲し、国家による統一的土地管理が原則となっているが、ドイモイ政策のもとで制定された「1987年土地法」および「1988年第10号決議」によって、既存の合作社(協同組合)だけでなく個々の農家が農業経営単位として認められた。また、それまで、地方行政単位を越えた、物資、労働力、商品の移動は禁止されていたのだが、87年から89年を通し、それらを禁止していた規制が撤廃された。対外開放政策も行われ、外国資本の参入が可能となった

 1990年代になると、国際市場でのコーヒー価格が高騰を受け、経済的チャンスを求めて、移住政策による移住者だけでなく、非合法移住者が多く流入するに至った。この価格の高騰はブラジルでのコーヒー生産量の低下が原因で発生した。結果として、ベトナムのコーヒーダクラク省の世帯数は、99年には75年の4.64倍にまで急増した。このような移住民の増加、急速な農業開発は中部高原地域に多くの問題をもたらした。とりわけ同地域に居住していた少数民族エデに与えた影響は計り知れない。

 しかし2000年代に入るとコーヒー価格の暴落が発生し、中部高原地域のコーヒー農民に大きな打撃を与えた。このような背景をふまえ、20011月下旬から2月上旬にかけて、ベトナムの中部高原地域において、土地の返還を求め、エデ族を含めた少数民族の暴動が起きた。この運動は南北統一以来最も大きな抵抗運動とされ、ベトナム政府に大きな衝撃を与えた。

 

3.調査成果

文献調査

ベトナム戦争史及びインドシナ植民地政策史の調査

・フィールドワーク(2012822~923日)

 

 ベトナムダクラク省バンメトートにて約一ヶ月程フィールドワークを行った。インフォーマントを「ベトナム戦争を経験」した50代以上の人に絞り、聞き取り調査を行った。この地域では古くから少数民族が多く生活する地域ではあるが、あえて少数民族に絞り調査するのではなく、同様に狭義の意味でのベトナム人に対してもインタビュー調査を行った。本年度はこの調査成果を修士論文にまとめた。