2012年度森基金 研究成果報告書
研究題目名:和声における音楽文法の脳科学的研究
政策・メディア研究科 修士課程2年
高田芳和
学籍番号:81124877
■研究テーマ
和声における音楽文法の脳科学的研究
―NIRSによる調性認知の分析―
■研究概要
音楽の認知の研究は、「人は音楽をどのように知覚し、認知するのか」というテーマへの関心から、心理学を基に研究が始まった[1, 2]。その後、失語症の音楽家の音楽能力を扱った失音楽の研究[3]や脳機能イメージングの進歩により、音楽と脳の研究が進められることになった。
これらの研究で扱われるテーマの多くは、現在も街中に溢れている西洋音楽の体系を前提にされているものが多い。音楽の三大要素として「リズム(律動)」「メロディ(旋律)」「ハーモニー(和声)」が挙げられるが、中でも「ハーモニー(和声)」が西洋音楽の発展に与えた影響は大きい。和声の理論[4]が体系化されたことで、音楽に文法を生じさせることが可能になったといわれ、このような音楽的文脈における規則は、言語における文法と類似していることから「音楽的構文(musical syntax)」と呼ばれることもある[5]。
本研究では、音楽におけるsyntaxを人間がどのように知覚しているのかを調べることを目的に、左前頭側頭部において、音楽的構文(musical syntax)の処理(特に和声的文脈の処理)を行っているのではないかという仮説をもとに、絶対音感を持たない非音楽家を対象に、近赤外線分光法(NIRS)を用い、和声の聴取時における脳機能計測の実験を行った。
今期はその解析を行った他、認知科学会での発表、修士論文の執筆を行った。
■実験方法
1.実験内容
被験者は、絶対音感を持たない10名(女性4名、男性6名、19〜36歳、平均年齢24.2歳、右利き)で、すべて楽器学習の経験が5年未満の者であった。本実験はSFC実験・調査倫理委員会で承認されている。
実験課題は1) 和声付き課題,
2) 調性旋律課題, 3) 無調旋律課題, の3課題を設定した。和声付き課題は、ある旋律に対し西洋の機能和声の理論[4]に基づいて和声を付与させた課題、調性旋律課題は、ある調性上の音で全ての旋律を構成した課題、無調旋律課題は、調性の同定が困難な単旋律課題である。それぞれの課題は、スピーカーを通して被験者にランダムに提示された。刺激の提示は10秒間のレスト、12秒の刺激提示で、1課題に10施行ずつ計30施行を課した。(図1)
計測には非侵襲の脳機能計測装置である、近赤外線分光法(NIRS)を使用し、両側頭を測定部位として計測を行った。
図1 課題に使用した刺激の1例 (ハーモニー課題)
2.分析方法
解析は、ΔO,ΔD,ΔCBV,ΔCOEの課題時間12秒間の総変化量を算出した。被験者10人のデータを課題毎にまとめ、1課題ごとに100データを得て、3課題の一元配置分散分析を行った。
また、分散分析で有意差が出たchに関して、時系列の解析を行った他、実験ではアンケートを実施した。
■まとめ
1.アンケートの回答
被験者は、3つの種類の課題があったことを認識していた。
アンケートの回答
NIRSのデータに関しては、左前頭側頭部(ch4,6)において、付き・調性旋律課題を聴くときのほうが、有意に酸素交換が起こった。アンケートの結果から、この反応は無調旋律課題と、その他の課題の間の「調性文脈」の認識を反映していると考えられる。
時系列解析では、無調旋律課題において、だんだんとch4,6における酸素代謝が小さくなっているのが分かる。これは、4・5音目から調性の知覚があいまいになる過程がそのまま反映されたものであると考えられる。このことからも、上記の有意差が調性文脈の認識を反映したものであると考えられる。
(プローブの取り付け位置に関して)
(a)ch4-ΔO
(b)ch6-ΔD
(c)ch4-ΔCOE
■研究成果
本研究では、非音楽家の左前頭側頭部において、無調旋律課題よりも、和声付き・調性旋律課題を聴くときのほうが、有意に酸素交換が起こったことから、左前頭側頭部が調性の認識・調性文脈によるsyntaxの処理に関与している可能性が示された。
従来の研究では逸脱刺激によって和声課題中の一音を検討した実験が多かったものの、本研究では非音楽家の「単旋律」における調性に対する反応においても、同様の結果が得られることが分かった他、そこに「機能和声」を付与した場合にも同様の有意差が見られた。
また、左ブローカ野に障害を負った患者を扱ったSammlerらの研究[23]や、左ブローカ野が言語におけるsyntaxの処理を担っていることを考えると、今回の反応が左ブローカ野の反応であったことも考えらえる。
左ブローカ野は、言語の文法処理に関わる領域であるといわれており、これまで音楽における文法を生じさせるといわれてきた「機能和声」以上に、「調性」がその役割を果たしていることが考えられる。
今後は、カデンツの影響なども考慮にいれた実験を行っていく必要があると考えている。
■参考文献
[1] Diana Deutsch (1982), “The Psychology of Music”, Academic Press
[2] Rita Aiello (1994), “Music Perception”, Oxford Univ.
[3] 河村満 (1996), “失音楽(amusia) ―表出面の障害について―”, 音声言語医学, 27, pp.468-473
[4] 島岡譲
他, “和声 理論と実習T・U・V”, 音楽之友社
[5] Koelsch, S, Gunter T, Schroger E,
Tervaniemi M, Sammler D & Triederici A. D. (2001), “Differentiating ERAN and MMN: An ERP
study, Neuro Report, 12, 1385-1389.
今回ご援助頂いた2012年度森泰吉記念研究振興基金「研究育成費」は、自身の分野理解のための脳・神経科学関連書籍、音楽心理学関連書籍、及び実験や研究打ち合わせにおける交通費や学会参加費にあてた。このような経済的支援のおかげで分野に対する基礎体力を経て脳・神経科学の領域や音楽の持つ可能性の広大さを知ることができた。この場を借りて御礼申し上げます。