2012 年度森泰吉郎記念研究振興基金 研究成果報告書

学籍番号:81124234

政策・メディア研究科修士課程2

畝井杏菜

 

1.研究テーマ

朝鮮半島の南北関係と開城工業団地の政治的役割

 

22012年度研究活動

20126

現地資料収集(韓国)

20128

現地資料収集(韓国)

20128

フィールドワーク(インタビュー調査)

在大韓民国米国大使館 一等書記官 Bowles Ryan

 聞き取り調査日時:201286日 15:00-16:00

 面会場所:在大韓民国米国大使館(ソウル市鍾路区世宗路)

20129

フィールドワーク(インタビュー調査)

開城工業地区支援財団(KIDMAC企画法財部

박창영(パク・チャンヨン)氏

 聞き取り調査日時:2012912日 17:00-18:30

 面会場所:開城工業地区支援財団(ソウル市中区西小門洞) 

20131

修士論文提出

 

3.修士論文題目

「朝鮮半島における南北経済協力のダイナミズム:開城工業団地の建設・定着・拡大をめぐる政策過程」

 

3.研究内容

2010年、韓国李明博政権は北朝鮮への制裁として5.24措置を発表した。全ての南北経済協力事業を中断し、北朝鮮に経済的圧力をかけようとしたものである。しかし、北朝鮮に韓国企業の投資で建設された開城工業団地事業だけは唯一5.24措置から除外された。なぜ、開城工業団地事業は中断から免れることができたのか。本研究は、開城工業団地が維持された要因を明らかにし、開城工業団地事業が南北両国にとってどのような重要性があるのかを説明することを目的としている。

この疑問を明らかにするために、本研究では南北経済協力の開始から現在までの長期的過程を扱い、南北経済協力の歴史的経緯と開城工業団地事業の政策過程及び現況を相互補完的に分析した。開城工業団地を立体的に観察することで、開城工業団地の動態的変化を明らかにした。

開城工業団地事業が維持された背景には、運営の「制度化」があった。開城工業団地には、他の南北経済協力事業には無い「中間組織」を利用した運営システムが構築された。政府と民間の間に管理委員会を設置し、韓国政府・北朝鮮政府・開城工業団地入居企業の絶妙なバランスの中で、開城工業団地の運営を支えた。中間組織が主体となることで、南北間の交渉が政府レベルに比べてハードルが低く、また民間レベルよりも強固なものとなり、事業運営が円滑化した。南北関係の悪化の中でも、交渉の中で妥協点が模索されやすくなり、政治的影響に対する耐性が出来上がった。

本研究で、開城工業団地は政治的段階を超え、制度として定着したものとなっていることがわかった。開城工業団地をめぐる争点は、「維持すべきか」ではなく「どのようなビジョンを描くか」という議論へと変わっている。また、北朝鮮は未だ実利主義で閉鎖的な体制を崩さないが、南北経済協力を通じて法を遵守し、以前より裏切りの少ない南北関係へと進展していることも明らかとなった。開城工業団地事業は、正常な南北関係の構築とモデル的存在として南北経済協力を拡大させる潜在力があることが再認識された。

 

4.研究の枠組み

1)研究の対象

 本研究では、開城工業団地のステークホルダーを対象に分析を進める。開城工業団地は、現在「開城工業地区管理委員会(KIDMAC)」が韓国側の代表として一括管理している。これを取り巻く形で、韓国政府があり、民間企業が存在している。政府も、対北朝鮮政策及び統一政策を担う統一部、開城工業団地の製品を取り扱う知識経済部、これらを協議検討し、政治に吸収する国会、国会での決定としてKIDMACを動かす法律、などと別のステークホルダーとして細かく分類する事が出来る。民間企業の中でも、入居企業とは別に北朝鮮との合意から開城工業団地事業を進め、現在も企画進行を担当している現代峨山は詳細に見る必要がある。開城工業団地との比較対象として、中朝国境にある羅先経済特区、黄金坪島経済特区に関しても一部言及した。

 

2)研究の対象期間

 本研究では、主に南北経済協力事業が始まった1998年から現在までのおよそ14年間を概観する。その中でも2000年に北朝鮮と現代峨山間で合意され2004年末に製品の出荷の始まった開城工業団地の動態に注目した。

 また、必要に応じて、北朝鮮の合営法や外国人投資法を設置し、外資誘致政策の始まった1984年や、南北基本合意書が締結される1980年終り〜1990年初頭にも言及した。

 

3)検証方法

本研究は、時間の経緯に沿いながら、また開城工業団地に関わるアクターを詳細に検討していきながら、何が開城工業団地を維持させる要因となっているのかを見つけ出す。Tian2006)によれば、国家がある政治的目的をもって経済政策を発動したとしても、多くのアクターがそれに関与し、相互作用を引き起こすため初期の政治目的を達成できないことがあることを指摘している。この論理に沿えば、開城工業団地事業は金大中政権の政治的目的を達成するための一つの手段として生まれたものであるが、政権のみならず政府機関や現代峨山、各社企業など多くのアクターが存在する為に開城工業団地を推進した目的が達成されないことになる。

以上のことを、明らかにする為に、韓国統一部 開城工業団地に関する経済データ(2005-2011)や開城工業団地に関する法律集(2012年度版)、大韓民国国会議事録の一次資料に加え、先行研究などの二次資料を使用した文献調査を行った。また、文献調査にて確認できない部分は、インタビュー調査を行って補足的に使用した。

 

5.本研究の課題

 本研究では、南北関係悪化により運営が危機的状況にあった開城工業団地を維持するために、中間組織であるKIDMACの存在と役割が大きかったことが明らかとなった。一方で、危機の際にKIDMACが実際にどのように働いたのか、また政府がKIDMAC設立の際にどのように動き、どのような権限を与えたのかなどについて、国内の政策過程分析をさらに詳細に研究するまでは深めることができなかった。KIDMACが南北政府の仲介役・政治的なクッションとなって機能したことを、確かめるためには統一部全体へのアプローチ、KIDMACの設立経緯をより詳しく研究する必要がある。

2013年、金正恩体制になって1年以上が経過した北朝鮮は、南北停戦協定の白紙化を宣言するなど、挑発行動が深刻化し、南北関係はさらなる緊張状態にある。そのなかで、20133月現在、開城工業団地は未だ安定して運営されていると報道されており、開城工業団地の動態を観察する重要性は高まっていると言えるのではないだろうか。