街の風景より連想する語りから、街への愛着を創る実践

 

政策・メディア研究科修士課程2年 大西未希

 

研究概要

 

 本研究は、志向性があるコミュニケーションのプロセスを通じて秩序づけられ、帰属意識が高まる人びとの集まりを〈場〉とし、それを性格づける概念を探るものである。これらを通じて、帰属意識が高くまちへの愛着がうまれる場をつくる実践へと繋げていくことが目的である。近年、教育現場やコミュニティー形成において、合理的なシステムのみではこぼれおちてしまっていた「第三の場」としての側面が注目され、さまざまな新しい取り組みが行われている。本研究では、そこに人びとのコミュニ ケーションの連続があるということを前提に、相互行為の観点から論じてゆく。つまり、〈場〉とは静的な環境を指すのではなく、人びとの日常的なコミュニケーションによる積み重ねから起こる動的なプロセスによりつくられるという視座である。

 筆者は共同制作を行う集団をフィールドワークの手法により観察し、所属する人びとにとって居心地よく帰属意識の高い〈場〉をつくる過程のコミュニケーションにある特徴的な概念をさぐる記述を行った。対象地とした東京都三宅村に唯一にある高校、都立三宅高等学校では、1981年度よりファッションショーが全校生徒の協力のもと毎年開催されており、約100名の集客を記録するなど三宅村にとってもたいせつな行事のひとつになっている。さらに注目したいのは、卒業生たちがファッションショー当日のみでなく、準備 期間中の被服室を訪れて来ることだ。ここからは彼らにとって、ファッションショーの意義のみではなく、むしろその準備のプロセスに〈場〉づくりの要素があるという背景を見ることができる。

 筆者は参与観察を試み、彼らがショーをつくる〈場〉をつぶさに観察することとした。三宅村には布やファッション雑誌を購入する場所はなく、材料は限られている。しかしながら被服室のなかでのコミュニケーションにより、さまざまな修正プロセスを経て「方針」をつくりだしている。〈場〉に即した言 葉や技術があり、それらが暗黙のうちにも共有されることで、居心地よく生産的である〈場〉がつくりあげられているのだ。それらを共有したメンバーたちには強い帰属意識が生まれ、彼らにとってかけがえのないものとなる。筆者は彼らの観察を続け、そのデータから分析を試みている。被服室内の具体的な彼らの行動 から、彼らの〈場〉を性格づける7つの概念を導きだした。彼らの置かれた環境は特殊なものであるが、私たちの日常生活とどこかで繋がっているはずである。私たちの〈場〉を語り、デザインするためのヒントともなり得るはずだ。

 

 

 

1 はじめに

 本研究は、志向性のある人の集まりであり、構成員にとって居心地よく帰属意識が高い〈場〉はコミュニケーション過程による構成物であるという前提をとり、フィールドワークによって得たデータより〈場〉が形成されるプロセスをコミュニケーションの観点から分析するものである。

 本論で取り扱う〈場〉とは、空間的な環境についてを指しているわけではない。それは具体的なシーンが行われた土地、場所と密接に関わるものであり、その場所の特性を無視することはできない。しかし重要なのはそこに複数の人が存在し、相互のコミュニケーションがあることだ。コミュニケーションに より、人びとの集まりの文脈に沿った言葉が生まれ、技術が生まれ、ふるまいが徐々に統一されてゆく。それはたんにマニュアルがうまれてゆくということではなく、意味を共有するものごとが増えてゆくことを指している。つまり本論における〈場〉とは、静的な空間を指すものではなく、むしろ人びとが相互行為、つ まりコミュニケーションを絶え間なく繰り返す動的なプロセスにより生まれるものである。集まりの本来の目的は、「目標を達成すること」であるのだが、このプロセスがあるからこそ、人びとは目標に達したときに達成感を感じることになり、構成員とともに喜びを共有する時間を過ごすことができるのだ。これらの結 果として帰属意識がうまれてゆく。このような〈場〉がいかに実現されるかを知る為には、人の集まりを観察し、そこにある日常的なふるまいや言葉に目を向ける必要がある。

 本研究ではこのケースとして、東京都三宅村の高等学校の一室、被服室に集まるファッションショー製作委員会の生徒たちを対象とした。このファッションショー準備期間中の8月には、本土から約6時間半かけて「ファッションショー」を言い訳に帰省し、被服室に訪れる卒業生たちがみられた。卒業 してもなお、訪れたいと思うほどの帰属意識が彼らのなかには強くあったのだろう。それはファッションショー当日の達成感や臨場感、華やかな記憶が彼らにとって大切なものであったことはもちろんであるが、ファッションショーを目指し、共同制作の過程で生んだ〈場〉のもとに当日を迎えたという一連の流れによ り、忘れられないものとして存在している。だからこそ、卒業生たちはファッションショー当日の観覧だけではなく、「被服室」へ訪れているのだ。

 彼らの〈場〉は、どのようなコミュニケーションのもと成り立っていたのだろうか。筆者は参与観察の手法で、彼らの〈場〉へ入っていった。被服室のなかで起こるコミュニケーションを客観的に観察するのみでなく、筆者自身がこれに参加することでより自然な彼らのふるまいをみてゆきたいと考えたから だ。観察を通じて得たフィールドノートの記述、また対象者へのインタビューを通じて、個別具体的な会話やふるまいをもとにそこで行われていた特徴的なコミュニケーションを洗い出し、〈場〉を性格づける概念へと導いてゆくことが本研究の目的である。 

 

2 先行研究

 近年、職場 や学校などにある志向性のある人びとの集まりにおいて、そこで人びとが〈場〉を形成しながら学びを得ることの重要性に関して関心が高まっている。それは例えば企業の人材育成に関する研究や実務においては、仕事を通じて如何に効果的に人材を育成するかという課題でもある(中原・荒木、2006)。仕事を通じた人材育成は、もともとOJTon the job training)と呼ばれ、実態に関する研究も多い。コーチング(榎本、1999)の ように、仕事のための学習のより意識的・効果的な実施に関心が寄せられている。しかし、仕事場のように協同するシーンでの学習を今後どのように意識的・効果的に実施するかについて示唆となるのは、現場となる職場において構成員たちがその過程を通じて、学びを得ることであろう。これらはワークプレイスラーニ ング(workplace learning)研究と呼ばれている(荒木、2008)。

 ワークプレイスラーニングは、主に仕事での活動と文脈において生じる人間の変化と成長と定義されている(荒木、2008)。 これらの研究に関する多くに、企業研修等のフォーマルな学習に対し、職場での教え合いといった、ワークプレイスラーニングの主にインフォーマルな側面を強調する立場がある。インフォーマルで偶発的な学習が、成人学習の中心であると考えられていることもある。ここで言うインフォーマルで偶発的な学習とは、意 図的ではあるが、高度には構造化されていない学習を指している。 

 このようなインフォーマルな側面を強調する「場づくり」の研究は、様々に行われている。職場内でのコミュニケーションに着目した研究では、中原•長岡(2009) は「対話」というコンセプトのもと職場環境におけるオープンなコミュニケーションの重要性を示唆している。ここでいう「オープンなコミュニケーション」の実現とは、日常的な活動の中で、自律的な個人と個人の関係を保ちつつも、同時に深い相互理解を生み出してゆくコミュニケーションを態度をメンバー全員が自 然に受け入れる状態を指している(図2)。彼らはこれらが実現される場を「学びのサードプレイス」とし、自由意志で取り組まれるインフォーマルな学びを、他者との関わりを保つパブリックな場で展開し、自由で心地よい他者との関係のなかで進めることが、新たな学びの可能性であると指摘した。

 ここではプライベートでも緊密な関係を保つ―たとえば、社員旅行や飲み会などを頻繁に行うなどの工夫をするのではなく、効率的にコミュニケーションを追求するのでもなく、個人の主体性や相互理解を重視しているのである。志向性のある集まりのなかでも、合理的なシステムだけではなく、気楽でインフォーマルな会話がなされる「第三の場」にある側面を含んでいる。ここで「第三の場」のコンセプトを提唱した、レン•オールデンバーグの研究をみておきたい。

 オールデンバーグ(1999)は、日常生活における「たまり場、お気に入りの場所」(hangouts)がどのような場所に形成されているのかを観察し、考察を行った。そして、その「たまり場、お気に入りの場所」がいかに都市生活者の活気と潤いある日常生活やコミュニティーの安全・秩序を支えているかを説いている。

 「第三の場」は「堅苦しくない公共的な集まりの場(informal public gathering places)」 であり、住民がいつでも誰でも自由に出入りでき、陽気に会話を楽しめる場所である。その例として、ドイツのビアガーデン、イギリスのパブ、フランスやウィーンのカフェ、アメリカの開拓時代の居酒屋、床屋、美容院などをあげている。オールデンバーグによると、そうした「第三の場」は、人々のストレスや孤 独を癒す「安息の場所(haven)」や「避難所(shelter)」 であるばかりでなく、独自の価値と存在意義をもっている。つまり、「第三の場」は、他のどこの場所とも違う特徴を有しており、社会やコミュニティや個人に大きな利益と効用をもたらすものとして描かれている。都市生活者には「第一の場」である家庭と「第二の場」である職場の他に、「第三の場」が必要であるこ とを指摘し、街角から「第三の場」が消失するということは、住民の健全な日常生活や地域のコミュニ ティそのものが衰退することとなるとした。

 第三の場が このような特徴を持つ要因のひとつには、場所としての特性が挙げられる。家(第一の場)は個人の意思で行動することができるインフォーマルな場であるが、同時にプライベートな場でもあり、他者との関わりは限られている。職場や学校(第二の場)は、他者との関わりのなかで行動することができ刺激があるが、そ こには従わなければならない規則があり、個人の自由な行動は制限されることがある。

 先の中原•長岡(2009) の研究のように、第三の場が空間的特性に依存しているものではなく、第二の場においても「インフォーマル」や「パブリック」な側面が重層的に存在することで合理的システムから脱却しうることを強調する研究がなされている。これらの研究は、この重層的関係について考察しているが、このような関係を保ちながら 存在する場がどのようなプロセスを踏み実現されるかについてまでは言及されていない。本研究では、これらをふまえその形成プロセスを観察することから、〈場〉を性格づける概念について読み解いてゆく。

 

3 対象地のサンプリングと三宅村

 本研究の対象となる人の集まりのうち、筆者が関心をもっている〈場〉として非常に際だっている事例を選ぶ方法をとっている。大人数のサンプリングをして一般性のある結論をもとめる量的研究法では、極端な事例は例外的なものとして、あまり重視されない。本研究は質的研究のアプローチをとり、人びと の個別具体的なコミュニケーションに着目している。質的研究においては例外的な事例を調べることによって、代表的・標準的な事例だけを見ていたのでは気がつかない貴重な情報が得られる場合があると考えられている。例えば三宅村はファッション雑誌や布などの雑貨を購入することが困難であり、ファッション ショーを開催する上でじゅうぶんな環境が整っているとは言いにくい。対象者たちは内地の東京に行くことを「上京」と呼び、長期休みに訪れることがあるものの、生活の拠点は三宅村にある。街中のファッションに触れることも少なく、

日常的なお洒 落も制限されたものである。目標としている「ファッションショー」に関わるものに触れる機会が限られているなか、彼らは工夫をこらしこの伝統を受け継いでいる。さらに、内地から6時間半の時間をかけながら帰省してくる卒業生たちの存在は、彼らの〈場〉への帰属意識の高さを裏付けている。彼らの置かれた環境 は特殊なものとも言えるかもしれないが、この環境のもとつくられている〈場〉からはその特徴が際立って見えてくることもあるはずだ。

 筆者は2011年6月にはじめて三宅村に訪れた。そこで知り合った地域の方から、三宅高校にて毎年秋にファッションショーが開催されていることを聴き、8月にはその準備を 行う被服室をたずねた。高校生たちにふだんの生活について訊ねながら過ごしたが、ここで卒業生たちが被服室へ遊びにくるシーンに遭遇したのであった。その後10月に開催された三宅高校ファッションショーは、筆者にとって今でも鮮明な記憶を呼び起こさせるくらいに衝撃を与えるものであった。

 ファッショ ンショーの運用について当時の教員の先生に話を伺うと、近年は生徒数の減少により、全校生徒が総出でショーを運用しているという。専門的に被服を学んでいるわけではない生徒をも巻き込んで継続され続けているこの事実は、その準備過程やショー当日が彼らにとってたいせつなものであることを裏付けていた。

 彼らが共に「つくる」ことを中心としたコミュニケーションを行うなかで、居心地よく帰属意識のうまれる〈場〉がうまれ、継続され続けているのではないだろうか。これを明らかとするため、当日のみでなくその準備段階からの参与観察を行うに至った。

4 調査方法

 ここで、本 研究の調査方法と、対象者について述べたい。本研究は、フィールドワーク、インタビューをもとに分析を試みている。主たる調査対象は、ファッションショーを運営している有志団体「都立三宅高校ファッションショー製作委員会」の所属メンバー9名である。さらに学年の異なる3名を抽出し、インタビュー調査も試 みた。調査は、彼らがドレス制作とショー準備にうつる夏期休暇中より、表1のようなスケジュールで行われた。

 まず、フィールドワークの方法について述べる。まず調査にあたり教員の先生方、対象となる生徒へ向け調査の説明を行った

。そして同意をいただいたのち、インタビューや観察を行うに至った。夏期休暇中ファッションショー準備の期間、20128月中は、水曜日を除く平日14時〜17時までの間、被服室に訪れ、対象者たちがドレス制作を行うところを観察した。筆者は現場でノート

を書きとめ、 そのノートはその日のうちに、細かな描写を加えた清書版フィールドノートに起こしている。現場では、その日に参加した生徒の名前、服装、教室内の滞在時間、作業する机の位置をテンプレートとして書き留めており、加えて会話やふるまいなどを時間とともに書き留めている。また、教室内に貼り出されているノル マを掲示したポスター、ホワイトボードの写真を毎回撮影し、彼らの活動記録ノートなどの一次資料の収集を行っている。また、2学期中は放課後である1540分〜17時までの時間を同様に観察した。

 次にインタビューについて述べる。調査対象者より4名を選定し、20分〜1時間のインタビューを行った。実施時期は8月1週目〜4週目、10月の調査期間中、教室内•外で行っている。教室内では、作業中にインタビューを行うことへ了承を得た上で音声を録音しながら行った。また、彼らと行動をとも にする中で話しやすい環境を探りながら、バスで下校中に隣り合わせで行ったり、2人で待ち合わせをして三宅村内の飲食店でインタビューをするなどの工夫をした

。 

 筆者は、彼 らのふるまいを客観的に観察するのではなく、ともに過ごし活動をすることを通した参与観察を行う立場で現場に赴いた。具体的には、デザイン画を描く生徒と意見交換しながらデザインをつくりあげたり、ミシンかけをする生徒たちの間で手を動かしながらの会話をしたり、片付けや掃除を一緒に行うといった過ごし方 である。

また、彼らの下校時には一緒に帰り、携帯電話でのメールやSNS上でやりとりしたり、本の貸し借りをしたり、休日に学校外で会うなど彼らの教室外での時間をともに過ごすようにした。彼らの暮らしにより近づき、具体的な記述を行うことを目的としたためである。

 本研究では この調査に基づいたフィールドノート、インタビューデータという文章データをコーディングしてゆく編集作業を続け、分析を試みている。まずはデータをひとつの完結した読みものとして読み込み、下線をひきながらマーキングをしていった。フィールドノートやインタビューの記録を何度も繰り返して読み返しなが ら、その記録に「コード」(=小見出し)を記入していく。これは佐藤(2002)による技法を参考 におこなっており、ここまでのコーディングは「オープンコーディング」と呼ばれている。このコーディングの作業が進むと、これらがグループにわけられるようになる。そこでは次第に抽象度の高いコードが使われるようになり、複数のコードの間の関係が明確になっていく焦点をしぼったコーディングを行うことにな る。

 

5 フィールドワークの結果 

 ここでは被服室内で行ったフィールドワークのうち、オープンコーディングを行いグループとなった24のグループのうち「ドレスに名前がつく」を取り上げたい。

 

ドレスに名前がつく

 彼らがつくっているドレスたちには、それぞれに季節に即したモチーフがあり、名前がある。

 

「このくらい(の時間があいて)あれば着れる?」「着れるっちゃ着れるんだよねー。そんなに人魚、複雑じゃないし」                     

                                                  fieldnote 2012年8月27日)

 

 ショーの構成 について相談していたこの会話には、「人魚」というドレスが登場していた。これは「夏」のテーマに即したドレスである。水色のサテン地が身体にぴたりと沿ったタイトなラインでかたちどられ、裾が少し広がる、マーメイドラインが描かれている。片方の肩が露出する、ワンショルダーのドレスになっており、肩に はベロア素材の青いフリルが施されている。

 ノルマポスターやホワイトボードに書き込まれているのは、ドレスの正式名称である。しかしながら、彼らの会話のなかにはこれとは異なる名前でドレスを呼ぶシーンもあった。

 

瑞希ちゃんのひとことで、歩ちゃんの描いていたデザイン画を思い出した。身体にあてていたのは、「結晶」のドレスの装飾部だった。

歩「結晶結晶!だっせぇ!!!なんか。」

瑞希「いや、それ色ついたらかっこいいと思う」

筆者「うん、かっこいいよ」

歩「だっせぇなんか!」

筆者「繰り返すね(笑)」

瑞希「たぶんシーチングだから!」

歩「そうかな、なんかあれみたい、カブトガニ。」

筆者「ああー…(笑)」                    

                                                    fieldnote 2012814日)

 

 完成シーンでこのような会話があった「結晶」のドレスは、しばらく「カブトガニ」と呼ばれることとなった。ショー直前にはその呼び名は失われ、「結晶」と呼ばれるようになったのだが、被服室内でそれらを呼ぶときには「あのカブトガニ」であった。

 

美佳ちゃんのつくっている、ちょっと変わったドレス(頭からすっぽり布をかぶり、顔まわりに穴が空いているもの)は少しずつ仕上がるたび話題になる。          

                                                  fieldnote 2012年8月16日)

 

 これは「いちょう」のドレスであったが、これはシーチングができる度、また誰かが試着をする度に「アレ」と呼ばれ続けていた。「それ、アレ?」にやりとした口元で笑う表情を添えて、「アレ」が出来上がっている状況を確認する。

 

今回のファッションショーのテーマ「春夏秋冬」では、4人がそれぞれの季節でリーダーになっている。それぞれが、ウェディングドレスを着る。

                   (fieldnote 2012年8月21日)

 

 このウェディングドレスは、「ウェディング」と呼ばれており、ホワイトボードや議事録ノートには「W」と書き込まれている。ほかのドレスとは異なり、これだけは「あゆこのウェディング」などというように制作者の名前をつけて呼ばれていた。                                               

 3人のリーダーは女生徒であったが、「秋」のみは男子生徒がリーダーであった。そのため、秋のメインはタキシードであったが、これも「ウェディング」と呼ばれている。

 

歩「ね え、秋のパートなんだけど、最後にライダー(ドレスの名称)を残したいからさ、ウェディングをこっちにしようと思うんだけど」歩ちゃんから、海ちゃんに相談。
海「えー、ライダー前がいい」
歩「でもさ、これ着替え時間かかるじゃん?早くやらないとだからさ。冬の一番前は、海のタマタマ(ドレスの呼称)がカラフルでいいと思うのね」

            (fieldnote 2012926日)

 秋のドレス であった「ライダー」は、そのままの名称で呼ばれているが、「ぶどう」というテーマドレスは「タマタマ」と呼ばれていた。オレンジ色のサテン地のタンクトップに、球の型になったカラフルな装飾が縫い付けられている。赤、緑、ピンク、黄色、紫。さまざまな色の球体があつまって付けられており、「ぶどう」を モチーフにしている。このひとつひとつをつけるのにとても苦労していたので、これは「タマタマ」と呼ばれ、それがあたかも正式名称であるかのように最後まで「タマタマ」と呼ばれ続けた。

 

6 フィールドワークの分析

 彼らがつくっているドレスたちには、それぞれに季節に即したモチーフがあり、正式名称がある。正式名称は、ノルマポスターやホワイトボードに書かれるのだが、彼らは日常的な会話のなかでそれらを特別なニックネームで呼ぶことがあった。

 たとえば、 「春」のテーマに沿ったドレスを見て見よう。「小花」のドレスが、「花」となっているのはわかりやすい。呼びやすいように、単純に略されているのだ。また、「チューリップ」は「菜穂の」と呼ばれることがあった。菜穂とは「チューリップ」の色つきドレスを着用するモデルのことで、度々被服室に訪れていたた めモデルの名前で呼ばれることがあった。菜穂ちゃんも、被服室に来ると「わたし、2着着るんですよ!すごく楽しみで」と言っており、ファッションショー開催後もこの「チューリップ」のドレスを着て写真を撮っていた。彼女が気に入っていたドレスであることから、このように呼ばれていたと考えられる。ウェディ ングドレスは、すべての季節でパートリーダーが制作•着用するため、名前に「ウェディング」をつけて呼ばれている。春は海ちゃんの担当だったため、「海のウェディング」と呼ばれていた。

 「夏」で は、ほとんどが正式名称で呼ばれている。「パニエ」のドレスは、美佳ちゃんが担当したドレスであり、完成したシーンをメンバーたちで共有しているため、名前が挙がることが多かった。「人魚」はまた別の理由で、名前が挙がっている。これは身体にフィットする、タイトドレスだったために、モデルが不在のままつ くることが難しかったのだ。

 「秋」は、 呼び名のついたドレスが多い。たとえば「ぶどう」は、ショーの構成について相談していた会話に何度も「タマタマ」という呼び名で登場した。カラフルな特徴的なドレスなために、ショー構成をするときに考慮されたものだった。また、「いちょう」はこの余り布がお面になったりと、完成に近づくたびに話題となった ドレスだった。しばらく「アレ」と呼ばれ、ショー近くなると「いちょう」とよばれるようになっていった。また、「ライダー」は秋のパートリーダーの智がもっとも時間をかけていたドレスで、シーチングに3ヶ月ほどかけていたのだった。目に触れることも多く、演出を考える際にもよく登場している。

 最後の 「冬」のドレスたちは、特徴的な呼び名がついている。まず、「雪娘」は、サテン地のドレスの裾にファーがあしらわれたドレスだった。このファーが彼らにとって印象ぶかいものだったのだ。生地を手にもって、ばさばさと揺らすと、粉雪のようにファーの毛が飛び散るのだ。これに気がついた「雪娘」制作者の歩 ちゃんは、「見てみて、これ、すごいの!!」と言ってメンバーがやってくる度に被服室に雪をふらせた。生地が「すごいの」と言われはじめ、このドレスも「すごいの」と呼ばれている。「結晶」は、一部の装飾部が仕上がった際に「これ、カブトガニみたい」という発言があったことから、彼らには「カブトガニ」 だった。それまでは「結晶」と呼ばれていたのだが、このシーンのインパクトが強かったのだ。ショーの間際には、これらも正式名称で呼ばれる。最後まで呼び名で呼ばれるのは、全季節に共通していた「ウェディング」だった。

 このように、彼らには正式名称のあるドレスについたニックネームが存在する。これは、完成シーンや制作中にインパクトのある出来事があった時に名付けられたり、ドレスの制作に困難が生じた際に呼ばれるようになる。

 

7 結論

7−1  場に埋め込まれた言葉

 〈場〉に は、そこでしか通用しない、場に埋め込まれた言葉が存在する。そこで行われている活動や学習に必要な特別な言葉に自然とメンバーの呼びやすい名前がついていったり、メンバーであれば経験的に理解できる曖昧な表現がなされることがある。また、そこでつくられたモノやメンバーの所有物など、メンバーがモノを囲 んで話ができるようなものに、独自の名前がつくこともある。

 これらの言葉は、メンバーたちが共有したシーンや、重ねて行われた事柄から記憶とA鎖されつくられ、使用されるうちにメンバー間で共有されてゆく言葉である。これらはふたつの重要な側面を持っている。

 第一に、こ れらがその〈場〉に即した専門性を持つことである。これは、フォーマルな実践共同体におけるものである。メンバー内であれば短い言葉で通じる言葉があることにより、それを説明する長い言葉は必要なくなり、作業はスムーズになる。また、その言葉があらわれている言葉以上の意味を含むこともある。いくつもの シーンを共有しているからこそそれらの意味の共有性が見られ、一見曖昧な表現をしているかのように見えるも、メンバーにとっては適切な表現として受け止められるような言葉も存在する。

 第二に、そ の〈場〉でしか通用しない言葉を操ることによって連帯感を生み出すことである。これは、インフォーマルな実践共同体におけるものである。メンバーとメンバー以外の人びとが混在する際にそれはひときわ目立つ。たとえばそこでつくられたモノについたニックネームなどは、そこにいたメンバー以外には理解するこ とができない。それらがそのモノの見た目の特徴を示す名前になることもあるが、製作過程における思い出や、会話に依存する名前であることもあるからだ。これら言葉は、〈場〉における予期せぬ結果としての帰属意識を高めることにも繋がる。

 

 7−2  〈場〉からうまれるもの

 こ こまで、彼らが目標とする「ファッションショー」の製作過程を追い、そこで行われるコミュニケーションについて考察してきた。被服室内の具体的な彼らの行動から、彼らの〈場〉を性格づける「ひらかれた空間」「ゲーム性」「シーンの共有」「意識を支えるモノ」「維持するためのルール」「可視化する情報デザイ ン」「場に埋め込まれた言葉」の7つの概念を導きだした。

 彼らの〈場〉は、目標としてきたファッションショー当日を迎えるにあたってもさまざまな作用をもたらしていた。当日の彼らの即興的な演出にいたっても、〈場〉によりもたらされた方針により実現していることを論じるためである。

 昨年度の 「ファッションショー」は完全なものを目指している印象があった。モデルも笑顔を出さずに歩き、ときどきふっと笑ってしまえるような演出があったものの、演出としてつくられたものとわかった。今年度のファッションショーは、「楽しんでファッションショーを行う」ことをみんなで共有しているようにみえた。こ の人数の少なさでやってきたことがネガティブな意味で作用していない。昨年度は19人で運用していたことから考えると、9人という人数ではかなり縮小されたものだ。そのためショーの練習をあまり積むことは出来なかったが、それを製作過程でできた「方針」によって即興的に演出に変えているのだった。

 「方針」とは、ゴフマン(1974) が提唱したコンセプトである。彼は、相互行為とは互いの人格を認め合う秩序とそれが破壊された場合の再生を前提として行われるものであるとした。相互行為に参与するものは、自らの役割や評価に対する願望として「方針」と呼ばれるひとつの傾向を示す。意識的・無意識的に感じている「相手にこう思われたい」と いう思いが、相互行為の中の様々な言動の中に現れるその一連の傾向のことである。コミュニケーションを行う際は、互いが持っているその「方針」を、互いに受け入れられるように調整する役割を相互行為が担うことになる。彼らは〈場〉が出来てゆく、重層的な関係のなかで「方針」を持つことができたのだ。ショー の完成度としては、モデルがランウェイですれ違うときにぶつかりそうになったり、2人で出て来てポージングをするタイミングがずれていたり、「ベールが落ちてしまう」ことが2回連続起こってしまうなどが見られ、これらは失敗と数えられるかもしれない。しかしながら、メンバーたちはそれにも動じずに観客の声 援に応えてうれしそうに笑い、手を振り応えることを即興的に行った。歓声に応えてもらった観客たちは、「笑ってくれたね」と感想を言いあい、ファッションショーは見ている観客をも巻き込むものになった。

 それは、彼 らが被服室のなかで製作するという目的だけではなく、メンバーとの〈場〉をさまざまな相互行為によってつくりあげてきた過程があるからこそ実現できたものである。ショーが終わり、観客たちが口々に「きれいだった」「かわいかったね」と言いながら名残惜しそうに体育館をあとにする姿は、彼らだからこそ行うこ とのできたファッションショーを観客たちも感じることができたことを物語っている。観客がいなくなったあとの体育館では、メンバーたちはともに涙し、これまでの過程を思いながら、ファッションショーを終えることのできた喜びを共有することができるのだ。

 このよう に、本研究にて観察された〈場〉においてつくられた方針は、構成員たちに共有されたものとなることで予期できない事態が起こった場合にも即興的にふるまうことを可能としている。〈場〉における彼らの方針はすでに、修正プロセスをふむことなくしても実践されるようになるのである。これが各個人の作品の寄せ集 めとなって、共有された方針がなくては、当日の舞台を迎えることはできなかったであろう。公共空間において開放されることによって彼らの〈場〉がいかなるものであったかを観客も垣間見ることが出来る。

 近年の 〈場〉への関心は、ますます高まっている。地域コミュニティーの形成や、教育プログラムといったさまざまな実践の場面において、〈場〉の重要性が問われるであろう。本研究は三宅高校ファッションショー製作委員会というひとつの〈場〉から、それを性格づける概念を明らかにした。ここからは今後の〈場〉づくり のデザイン実践において、参照しうる知見が見いだせるはずだ。

 

参考文献

■荒木淳子(2008)「職場を越境する社会人学習のための理論的基盤の検討―ワークプレイスラーニング研究の類型化と再考―」『経営行動科学』第21巻第2号(pp119-128

■アーヴィング•ゴフマン(1974)『ゴッフマンの社会学2:出会い : 相互行為の社会学』石黒毅訳、誠信書房

■アーヴィング•ゴフマン(2002)『儀礼としての相互行為〈新訳版〉』浅野敏夫訳 、法政大学出版会

■エティエンヌ-ウィンガー • リチャード-マクダーモット • ウィリアム-M-スナイダー(2002)『コミュニティ•オブ•プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践』櫻井裕子•野中郁次郎•野村恭彦訳、翔泳社

■大西未希・上地里佳・加藤文俊(2012)「東京都三宅村におけるコミュニケーション環境に関する研究:「超高齢化」「情報化」の現状と課題」『地域活性学会 第4回研究大会論文集』(pp. 23-26

■ジーン-レイヴ • エティエンヌ•ウィンガー(1993)『状況に埋め込まれた学習―正当的周辺参加』佐伯胖訳、産業図書

■中原淳・荒木淳子(2006)「ワークプレイスラーニング研究序説:企業人材育成を対象とした教育工学研究のための理論レビュー」『教育システム情報学会誌』23巻(2)(pp88-103

■中原淳•長岡健(2009)『ダイアローグ 対話する組織』ダイアモンド社

Ray Oldenburg 1999)『The Great Good Place: Cafes, Coffee Shops, Bookstores, Bars, Hair Salons, and Other Hangouts at the Heart of a Community,Da Capo Press

 

 

 

末尾となりますが、本研究に森泰吉郎記念研究振興基金より助成いただきましたことを心より御礼申し上げます。