2013年度森泰吉郎記念研究振興基金研究成果報告書
-日本語を母語とする幼児・児童の音声分節と読字能力-

研究代表者氏名: 中村美代子

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科
miyokon@sfc.keio.ac.jp

 

研究組織:  中村美代子、及びDr. Rėgine Kolinsky, Professor, Free University of Brussels (ULB), Faculty of Sciences of Psychology and Education, 


 

1.   研究の背景

言語の音声と文字の関係については言語心理学的観点から様々な研究がなされてきた。特に音素に対するアウェアネス(phonemic awareness、音素レベルの音韻的気づき)は、アルファベットを読むのに必要で「言語と文字の読み書きの橋渡し」として文字未習得成人文字習得前児童についても研究がなされている。日本語においても、特にかな文字一字とほぼ対応するモーラという音韻的単位に対するアウェアネスがかな文字の獲得に関連しているという報告がある。既に我々の研究では成人の日本語母語話者における単語レベル以下の、音素、モーラ、音節などの音声構成要素(speech constituents)に対するアウェアネスを実験的手法により調べ、日本語の正書法では文字に対応しない音素に対するアウェアネスの存在を明らかにした。

一方で、音声言語の波形信号には単語の境界が明確にあるわけではなく、連続した音声言語を分節して単語に分けることは単語認知の過程で大変重要である。そのため、音声言語の分節過程や分節方法は多数の言語心理学研究の焦点となってきた。様々な実験的手法により、多様な言語で、単語ストレス、モーラ、音節といった言語に固有の優先的な分節方法が報告されている。この側面から我々の研究では、成人の日本語母語話者の音声分節に関しダイコティック・リスニング(両耳異音聴:左右の耳に別々の刺激を提示する)を用いた実験を実施し、漢字及びかなで表わされるターゲットを用いた実験では、音声分節は文字に対応しない音素にも依存するが、音節とモーラはより重要で、モーラが優先することを明らかにした。が、ターゲット提示の文字種による正書法の影響は見いだせなかった。次にカタカナで表わされる外来語をターゲットに用いた実験では、音素への依存も観察できる一方、モーラも音節も同様な音声分節を示していることを明らかにした。すなわち、意識的操作がより少ない課題を用いた実験の結果、音節もモーラと共に重要な役割を果たし、音節やモーラレベルよりは少ないものの音素レベルでの錯覚が起こったことにより、日本人の日本語音声聴取において、文字との一致がほとんどない音韻特性、音素も役割を担っていることを示すことができた。また、漢字の影響を受けるので音節による分節が行われるのではないかという仮説に基づいた正書法の影響は見いだせなかった。この先行研究で、日本人の音声知覚は、「注意の及ぶ前の、前注意段階(preattentive level)でより知覚的、かつ単語認知のかなり初期の段階(early level of speech processing)では、数種の単語より小さい単位(sublexical units)が関わり、それらが書字の心的表象には影響を受けていない」という知見を得た。

一方で、乳幼児についての研究によると、初期の乳児は分節要素(セグメント)を聴き分けることに対して「言語共通」の能力を持っていると言われている。生後二日目で、乳児は言語の音節(例えば英語のpat または tap) と疑似音節(pst tsp)を聴き分ける能力があり、しかも前者を好む。また、乳児は二つの音素の差異を、成人の話者のように知覚し (例:/ba/ /pa/)、成人と同様のカテゴリー知覚を示している。また、言語共通の音声知覚能力は音声的には生得的と思われる一方で、成人の音声知覚は母語の音韻構造によって決定されているので、音素的な知覚は言語固有の知覚になると考えられている。近年、言語獲得のデータによると、生後一年の終わりまでに音声知覚、音声産出双方について、言語固有の特化が生得的な学習プログラムにより大きく導かれていることがわかった。また、乳児は、生後数カ月の間に一般的には、母語でない音声の対比(コントラスト)を識別する(聞き分けること)ができ、生後6カ月では、乳児は獲得しつつある言語(すなわち母語)でのコントラストと同様、母語でない破裂子音のコントラストを聞き分けるが、この能力は生後9カ月かそれ以前には衰退し、生後1012カ月ではその識別能力は成人の聞き手のように、母語でないコントラストより母語に関してより良く識別できるようになってくると言われている。

 

しかしながら、単語認知の初期段階での音声処理の単位に関して、日本語母語話者でも幼児や児童については、特に読字能力やその習得との関連は詳細に調べられていないのでこれを明らかにする必要がある。

 

 

2. 研究の目的と意義

本研究では,日本語を母語とする幼児・児童において、単語認知の初期の段階での母語音声の分節単位や方略について、数種の音声構成要素(すなわち、音素、モーラ、音節)を比較し、認知言語心理学的観点から実験的手法を用いて明らかにする。特に、幼児・児童のかな、および漢字の読字能力やその習得との関係を比較検討することを目的とする。

 

本研究の意義としては、 成人の日本語母語話者の場合と同じように、幼児や児童でも「注意が及ぶ前の、いわゆる前注意段階において、すなわち、より知覚的で、かつ単語認知のかなり初期の段階では、モーラを基礎としたかな、音節を基礎としていることが多い漢字の影響のみならず、文字とは独立した音声構成要素である音素の介入もあるのではないか」という予測を明らかにしている研究は非常に少ないこと、また読字能力やその習得との関連での研究も極めて少ないためこれを研究することに意義がある。 

 

本研究は認知言語心理学として広く認知科学の枠組に属し、心理学、言語学の他、語学教育や教育工学、医学、神経心理学ともつながっている基礎研究であり、その応用は広く、日本人の母語の読字能力の獲得、及び、外国語の学習や教授の際に、アルファベットによるつづりの獲得を容易にすることに対して大きく貢献する一方で、症例は少ないが日本でも見られる読み書き障害者への支援や訓練方法の一助となることが挙げられる。 

 

 

3. アプローチと研究方法

  

    認知言語心理学の立場から、実験的手法を用いて実証するアプローチをとっている。本研究では、基礎となる成人を対象とした実験方法と同様の以下の手法を用いる。

 

3.1 実験手法

ダイコティック・リスニングによりマイグレーション・エラー(migration error)があるか、すなわち、単語より小さい単位の音声構成要素(音素、音節、モーラ)で分節した音声を、片耳ずつ別々な刺激として与え、それらが混ざった(migration)結果、誤った知覚(illusory perception)により、ターゲットの単語が聞こえてくるかを問う実験ツールを構築、使用する。

 

3.2  昨年度までの成人を対象とした研究での実験手法

本実験手法は最初に、フランス語話者に対する母語の実験材料による実験ツールとして考案し、その構築と実施を行った。

 

これを応用し、日本語の実験材料での実験ツールも成人の日本語母語話者について構築し、初めに漢字及びかなで表わされるターゲットを用いた実験を実施した。但し、正書法の分節手順への影響をコントロールするために、ターゲット語の提示に関しては、モーラに対応するひらがなのみで視覚提示する群と、音節に対応する漢字(またはひらがなと漢字の組み合わせ)で視覚提示する群に分けた群間比較も同時に行なった。

 

次に、成人の日本語母語話者に対して漢字の実験材料を用いると、日本語母語話者の心的表象として1つの音節を構成することが多い漢字の書字体系の影響が考えられるため、それを排除すべく代わりにカタカナのみで書かれる語(日本語の外来語)をターゲット語に用いて日本語の分節方法に関する同様の実験を実施した。ここで、ターゲット語には日本語のモーラと音節の違いを出すために、特殊拍を含む3モーラ、2音節からなる実在の日本語でカタカナで書かれる外来語名詞(一部固有名詞も含まれる)を選定する。具体的にはそれらをペアにした場合、語頭子音、語頭モーラ内の母音、語頭モーラ、語頭音節、第二モーラ(特殊拍の部分)で区切り、それぞれを組み合わせた刺激が、実在の日本語でなく非語となるよう、またペアのターゲット語同士は同じピッチパターンを持つような単語を選択する。

 

 

4. 研究成果の概要

 

今年度は、第一にこれまで成人に対して使用してきた以上の実験手法、手順、及び材料が幼児、児童に対して有効であるか、以下について再検討した。すなわち、1)日本語を母語とする幼児・児童を対象とし、 各音声構成要素の統制に関しては被験者内で比較し、読字能力に関しては被験者間の比較を行うこと(グループ 1:かな、漢字とも読字を未習得の幼児、グループ 2:かなの読字のみ習得し、漢字の読字は未習得の児童、グループ 3:かな、漢字とも読字を習得した児童)。 2)実験材料としては、 基礎となる成人の日本語母語話者に対する実験で用いられたものと同様の材料を用いる。すなわち成人を対象とした第二の実験と同様に、漢字表現が全く存在しない「カタカナ」だけの、すなわち日本語の外来語のターゲット語を用いること。 3)実験手順として、 刺激はダイコティック・リスニングによる聴覚提示を行い、過去の日本語を母語とする成人を対象とした実験と同様、実験試行とターゲットの一部を変えた統制試行の両方をランダム提示し被験者内統制実験として行う。その場合、刺激は左耳と右耳で参加者間のカウンターバランスをとる。ターゲット語は、カタカナで視覚提示する。但しグループ1において、かな未習得の日本語母語話者が対象の場合には、ターゲット語も予め録音された音声により聴覚提示する。 また、年齢による注意の低下と疲労による課題の放棄を懸念し、全ての材料を数日に分けて実施すること。

 

これらを見直し、再考したことにより、日本語を母語とする幼児・児童における単語認知の初期の段階での母語音声の分節単位や方略に関し、モーラを基礎としたかな、音節を基礎としていることが多い漢字、それぞれの読字能力や習得の影響が明らかになる見通しとなった。また、読字能力に拘わらず成人と同様の結果が示されるなら、「前注意段階で、より知覚的、かつ単語認知のかなり初期の段階では、数種の単語より小さい音韻的単位が関わり、それらが書字の心的表象には影響を受けていない」という成人の日本語母語話者に対する結論をより強固に支持するものである。加えてそれらが読字能力により違う場合には、読字能力と各音声構成要素の重要度の差異が明らかになるという予測を検証できる見通しがたった。

 

第二に、昨年度まとめていた本研究の基礎となる成人を対象とした研究に関する論文は、研究計画の段階では国際学会誌Language and Speechに投稿中であったが、今年度は英文校正を含めて、修正を加えた論文を再投稿して6月に受理され、9月に正式に採録が決定した。(研究業績参照。)

 

 

. 5. 研究業績(2013年度)

学術雑誌

· Nakamura, M. & Kolinsky, R. (2014). Multiple Functional Units in the Preattentive Segmentation of Speech in Japanese: Evidence from Word illusions.  Language and Speech, 57(4), 2014 (in press).