モータースポーツの熟練度が
視線探索運動および身体運動のコーディネーションに及ぼす影響
—運転における運動制御学習が成り立つ過程を明らかにする—

慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科
CBプログラム
Human Performance Laboratory所属
松本章宏

1.    研究の主題
 本研究の目的は自動車を用いたスポーツ走行時において視覚情報による入力と運動制御による出力との間にどのような関係があるのかを明確にし、運転に対する 熟練度が視覚による入力と身体運動としての出力のどちらに差異として生じるのかを明確化することにある。自動車を運転し、他者よりも速く所定のコースを走 りぬけることを目的としたスポーツをモータースポーツと呼ぶ。本研究では運転の熟練度をモータースポーツ走行の熟練度と定め、Novice, Expertの2段階に分け、スポーツ走行時における眼球運動および身体運動のコーディネーションを実際にサーキットにて車両を走行させるリアルフィール ド実験、シミュレーター上にてモーションキャプチャを装着させた上で車両を走行させるバーチャルフィールド実験の双方にて検討する。これにより、運転にお ける運動制御学習が成り立つ過程を明らかにし、安全かつ高速に走るための視索探索および身体運動を明確化する。本研究の成果は、日本におけるモータース ポーツ走行時の安全性の向上、および一般の高速道路走行場面において生じる車体制御不能などの単独事故の防止に寄与する。
 モータースポーツにおいて高度なパフォーマンスを発揮するには、高重力にも耐えられる強靭な肉体、およびその状況下でも適切な判断を行うことができる精神 力と状況把握能力が求められる。 運転中、ドライバーが車両を制御する際に得ている情報の90%以上が視覚によって受容され、処理されていることが明らかとなっている(Hartman, 1970)。運転は、視覚有意の生物であると言われている人間(岡田・廣中・宮森, 2005)が日常的に行う行動の中でも、特に視覚の重要度が高い。黒沢(2000)やミハエル(2012)によると走行中、モータースポーツ熟練者は走行 コースの遠くを見るのに対し、初級者は走行コースの手前に目線を向けることが示唆されている。しかし、これはあくまで黒澤やミハエル自身のモータースポー ツ経験から語られた体験であり、実験的手法でモータースポーツ中における視線・身体運動を検討した研究は少ない。モータースポーツを扱った代表的な研究と してはM.F.Land & B.W.Tatler(2001)の行った研究が挙げられるが、一般道における眼球運動とモータースポーツにおける眼球運動はタンジェントポイントが異 なっていることを明らかにしたものの、身体運動のコーディネーションという観点からの検討は行われなかった。またLandら(2001)の研究ではドライ バーの頭の動きは1秒後の車体の動きと連動しており、1秒後に頭の向きの通りに車体が動くことも示したが、これは車両が1座席のフォーミュラーカーであっ たため、運転席と助手席が並列に設置された一般車(GTカー)とは結果が異なる可能性が高い。元来行われてきた自動車運転中の眼球運動や身体運動に関する 研究の多くは一般道走行を対象としたものであるが(村田・王, 2010) : 廣瀬・登坂・春日・澤田・小口, 2005など)、一般道における走行は自動車における限界走行中の認知的負荷とは質が異なるため、サーキットという競技的場面においても適応できるモデル とはなり得ない。一般道における走行の熟練度は路肩からの人物や車の飛び出しを想定したもの、対向車とのすれ違い場面における円滑さ、高速道路における合 流の円滑さといったものが定義となっているが、これらは純粋な運転技能そのものに着目しているわけではなく、不測の事態に対する備えという要素が強い。そ のため運転による純粋な車体制御の熟練度の差がどのような過程を経て形成されていくかについては未だ詳細な検討がなされておらず、その際の身体運動に関す る研究を熟練度ごとに明らかにするという研究も行われていない。
 そこで本研究では、運転における運動制御学習の形成がどのようになされているのかをモータースポーツという新たな側面より検討する。具体的には、図1のよ うに実際の自動車でスポーツ走行をするリアルフィールド実験と、加減速による重力加速度が生じないレーシングシミュレーターを用いてスポーツ走行をする バーチャルフィールド実験の2つを行う。熟練度ごとの違いをFrame by Frame分析をベースに、眼球運 動・身体運動および車体運動により検討する。なお、走行車両・走行場所が同一であった場合、その際の走行ラインや速度は一定の値に収束すると考えられてい るため、Expertほど各フェイズにおいて理想とされる走行ラインを走行していると仮定でき、走行の良し悪しを判断するタイムという指標に対しても Expertが最もパフォーマンスが高いと予想される。


Figure 1. 本研究の流れと仮説

 なお、現在までの仮説では、NoviceはExpertやIntermediateと比較して視索探索運動に違いがあり、情報の入力時に その差異が生じて いるため、適切な車体制御が行えていないと考えている。また、IntermediateはExpertと比較して、同様の視索探索運動が見られるものの、 身体運動による出力がオーバーリアクションだったりするなどにより適切に車体の制御が行えていないと仮説を立てている(Figure 1)。なお、本研究では熟練度におけるスポーツ走行中の眼球運動および車体運動がどのように生じるのかを明らかにするため、基礎的研究としてNovice とExpertを比較する。

2.    研究の背景
 モータースポーツの歴史は他のスポーツよりも浅く、1894年にフランスのパリ~ルーアン地方で行われたレースが始まりと言われている。モータースポーツ はこれまでスポーツ心理学の土壌にありながら、スポーツ心理学として実験による検討を行われた機会は他のメジャースポーツである野球やサッカーなどと比較 すると少ない。
 その背景には測定の困難さが上げられ、狭い実車室内空間の中で眼球運動計測・身体運動計測などを行うことが非常に困難であったためである。近年行われた スポーツ心理学的手法を用いたモータースポーツの研究としては、レーシングカート走行中の生体反応の測定を行った山越・山越・松村・廣瀬(2009)の実 験が挙げられる。山越ら(2009) はレーシングカート中の心拍数(Heart Rate)を計測することによってモータースポーツ時における肉体的・精神的負荷を生体反応より明らかにすることを目的に実験を行った。結果、スポーツ走 行中の心拍数は150bpmを超えており、これらの心拍数の変化は肉体労働による影響だけではなく、ドライバーの精神的負荷によっても引き起こされる事を 明らかにした。これまでの心理学的知見より、感情や情動の変化は眼球運動と密接に関連しており、交感神経活動の指標として瞳孔面積の拡大などがあることを 明らかになっている(柏原・岡ノ谷・川合, 2010)ことから、モータースポーツ時の精神的負荷によって交感神経に影響を及ぼしていると考えられる(Figure 2)。

Figure 2. 運転中における認知的負荷と身体反応の関係性

 人間における交感神経賦活の重要性は、fight-or-flight responseモデル(Walter, 1929)を中心に古くから検討されている。これらのモデルに言えるのは交感神経の賦活は人間において重篤なストレス状況下、もしくは即座に身体的反応を 示さないと生死に直結するようなシチュエーションに賦活するということである。つまり、スポーツ走行中のドライバーには日常では考えられない高ストレス状 況下にあり、高い認知的判断能力を求められているといえる。一方、一般道走行時におけるタイヤのスリップや自動車同士の衝突といったシチュエーションで も、多くの「人が手に汗を握った」や、「焦ってドキドキした」という報告を示すが、これらはまさに交感神経の賦活を意味する。つまり、モータースポーツと いうシチュエーションは、一般道走行場面における不慮の危機的状況下の緊張と近いと言える。特に、大雨の中での高速走行や、雪道での峠道走行などでは事故 の危険率が高く、自動車のもつ性能を超えて制御を行ってしまったために事故に繋がることが多く、自動車の運動性能を限界まで使って走行をするモータース ポーツとも近い。ゆえに本研究によって、運転における運動制御学習が成り立つ過程をモータースポーツの側面から明らかにすることにより、一般道走行場面に おいても車体制御不能などの単独事故の減少が見込める 。

3.    研究の技術的限界
バーチャルフィールド実験によって身体運動計測を行う理由
 人間は車両から生ずる情報を、ステアリングインフォメーション、エンジン音やタイヤのスキール音、ロール・ヨー・ピッチングなどの車体の傾きを体内の視 覚・触覚・聴覚情報より入手している。ゆえに、本来であれば実車内において身体運動計測を行わなければならないが、現在の身体運動解析のデファクトスタン ダードともいえる近赤外線を用いたモーションキャプチャシステムは、確実に地面に固定された赤外線ストロボを6から8つほど設置しなければならない。これ らのストロボを狭い上に激しく動く車内に設置することは 非現実的であるため、3次元動作解析モーションキャプチャシステムの使用は現実的に不可能である。また、近年発達した9軸センサー(加速度・ジャイロ・地 磁気)とワイヤレスセンサネットワークを組み合わせたモーションキャプチャシステムが存在するが、自動車内という鉄板に囲まれた空間内では地磁気を取るこ とができず、地表に対しての平行補正をかけることができない。また、自動車は発進・停車際に加減速が生じるため、加速度センサーが身体の運動とは異なる車 体運動に対しても反応してしまうことから正しい計測結果を得ることができない。
 これらを考慮すると現状の工学的技術では、広い計測フィールドが確保され、なおかつ実際には加減速による重力加速度が発生しないレーシングシミュレー ターをバーチャルフィールド条件として設定し、身体運動の解析を行う事が妥当と判断される。そのため、本研究ではドライバーが視覚による入力情報以外のど の感覚モダリティをもってして限界走行時の自動車との対話を行っているかという部分に関してまでは言及しきることができないが、こちらの点に関しては実験 後に行うインタビューにおいて言語報告より傾向を示すこととする。

4.    研究方法
 (1) リアルフィールド実験
対象競技
モータースポーツ競技には単独で走行を行うジムカーナやサーキットタイムアタックなどが存在し、一方では複数のマシンが同時に走行して速さを競うレースが 存在する。レースなどの複数台のマシンが同時に走行する競技での視線移動は相手の車との位置関係を把握するためにバックミラーやサイドミラーなどに目を向 ける可能性が示唆されるが、単独走行で行われるジムカーナやサーキットタイムアタックでの視線は各ミラー類を見る必要性がなくなることから大きく質が異な ると予想される。そこで本実験では要因が複雑化しないよう、単独走行で行われるジムカーナとサーキットタイムアタックを対象競技とする。ジムカーナとは、 所定のパイロン間を通過する競技であり、JAFの規定する競技規定からも認定を受けている。また、サーキットタイムアタックとは所定のコースをより早く駆 け抜けることを目的とする競技であり、こちらもJAFからの競技認定を受けている。

実験方法
 本研究では眼球運動・身体運動・車体運動をそれぞれ異なる方法を用いて計測を行った(Figure 3)。


Figure 3. 運転操作におけるフィードバックループと各情報の計測方法
 
 眼球運動はEMR-9(NAC Image Technology社製)を用いて計測する。車体運動はVideo Vbox Lite(株式会社アネブル製)を用い、車速・加速度(X軸・Y軸・Z軸)・ラップタイム・回転半径・GPSによる走行ラインを調査した。眼球運動および 車体運動を計測することにより、注視点に追従した車体運動が生じたかを解明でき、具体的にコーナーのどのフェイズにおいて熟練度による差が生じていたのか を明らかにできる。また、身体運動解析においては補足的ではあるものの上記のVideo Vbox Liteを用い、高解像度カメラにて撮影された映像を解析し目視で頭部・左右前腕部の動きを計測した。

実験参加者
 リアルフィールドおよびバーチャルフィールドではそれぞれNoviceを4名、Expertを2名計測した。実験参加者の属性については表 1に準拠した。郡配置の操作チェックは計測ラップタイムおよび平均車速、ラップタイムの標準偏差などにより検討した。

表1. 郡配置

分析方法
 車体運動をフェイズごとに分析し、どのフェイズによってExpertの走行ラインやタイムと差異が生じているのかを弁別した。続いて、Expertとの 乖離ができたフェイズを分析対象とし、視索探索運動の分析をFrame by Frame法により明らかにした。これまでの眼球運動計測では、Fixation(注視)あたりでの分析が主となっていたが、自動車における眼球運動は自 身の移動も含めた検討を行わなければならないため、1つのオブジェクトに注意を向けていたとしても、そこにはパーシュート運動(smooth pursuit eye movement:追従眼球運動)が生じている。そのため、今回はFrame by Frame法による分析をベースに、Fxationによる注視ではなく、オブジェクト単位でどのように情報入力が変わったのかを検討する。

(2) バーチャルフィールド実験
対象競技
リアルフィールドと同じく、単独走行可能で運転に直接的に関与しない要因を排除できることからサーキットタイムアタックを対象競技とした。実験にはレーシ ングシミュレーターは現在、Sony Computer Entertainment社製のGRAN TURISMO 5を用いた。GRAN TURISMOシリーズは実際のプロレーサーが練習に使用するなどされていることから、レーシングシミュレーターとしての信頼性は高いといえる。

実験方法
 リアルフィールド実験と同様に眼球運動はEMR-9(NAC Image Technology社製)を用いて計測した。また、身体運動計測に関してはモーションキャプチャシステム(MotionAnalysis, MotionAnalysis社製)を用い、頭部・左右前腕・左右下腿部の動きを計測した。モーションキャプチャシステムの計測範囲は、横2m x 縦3m x 高さ1.5mの範囲であった。また、これらの範囲を計測するに必要な近赤外線フラッシュの台数は6台を予定しており、Visual3D(NAC Image Technology社製)を用いて、同一アプリケーション内で身体運動と眼球運動をリアルタイムに検討を行っている。なお、眼球運動は60Hz、モー ションキャプチャは200Hzで計測した。

 
図4. バーチャルフィールド実験の様子

分析方法
運転中の動作を下記に記した各4フェイズを設けた。

1. コーナーに入る前に速度を落とす”ブレーキングフェイズ”
2. ハンドルによる舵を入れ始める”ターンインフェイズ”
3. コーナーの最も内側にアプローチをしている”クリッピングフェイズ”
4. コーナーの外側に膨れながら速度を乗せて再加速する”アウトフェイズ”
車体運動をフェイズごとに分析し、どのフェイズによってExpertの走行ラインやタイムと差異が生じているのかを弁別する。Expertとの乖離ができたフェイズを分析対象とし、視索探索運動の分析をFrame by Frame法により明らかにした。

これまでの研究結果
 本研究は慶應義塾大学と学外の研究所との共同研究によって行われているため、不特定多数への情報公開が禁止されている。そのため、ここでのデータ公開は控え るが、来年度に行われる7th Asian-South Pacific Association of Sport Psychology International Congressにて研究発表を
行うこととなっている。

   
図5. 実際の実験の様子

研究費の用途
 研究費の用途は、車内カメラのマウント自作費用、認知・行動・計量セミナーでの発表・日本心理学会での発表費用、自動車メンテナンスを行う各種工具費用などに充てられた。


参考文献
1)    Hartman, E., 1970, Driver vision requirements, SAE Technical Paper Series, Hillsdale, pp629-630.
2)    廣瀬敏也 登坂亮祐 春日伸予 澤田東一 小口泰平, 2005, 前走車の車幅の視角変化による制動開始タイミング, 電子情報通信学会技術研究報告. HIP, ヒューマン情報処理 104(582), pp33-36.
3)    芋坂良二 中溝幸夫 古賀一男, 1993, 眼球運動の実験心理学, 名古屋大学出版会, p3-8.
4)    村田厚夫 王曙光, 2010, 自動車用スイッチのタイプと設置位置が操作性と視線の動きに及ぼす影響, 人間工学46(6), pp373-388.
5)    黒沢元治, 2000, ドライビング・メカニズム―運転の「上手」「ヘタ」を科学する, 勁草書房, pp69-74.
6)    柏原考爾 岡ノ谷一夫 川合伸幸, 2010, 快・不快感を喚起する視覚刺激が眼球運動に及ぼす影響, 電子情報通信学会技術研究報告. HCS, ヒューマンコミュニケーション基礎 110(33), pp41-46.
7)    岡本康太郎 内海章 山添大丈 宮下敬宏 高橋和彦 萩田紀博, 2009, 視線計測を用いた商業施設における来店者行動の分析, 電子情報通信学会技術研究報告. MVE, マルチメディア・仮想環境基礎 109(281), pp1-6.
8)    ミハエル・クルム, 2012, ミハエル・クルムのレーシング「超」運転術, 東邦出版, pp101-120.
9)    李震鎬 宮崎紀郎 村越愛策1994, 自動車走行における道路案内標識の視認性に関する研究 : 視覚情報の視認性に関する基礎的研究(3), デザイン学研究 41(4), pp9-16.
10)    山越健弘 山越康弘 松村健太 廣瀬元, 2009, モータースポーツ時の生体情報反応 レーシングカート走行による基礎的検討, 生体医工学, 47(2), pp154-165.