2003年度 SFC研究所プロジェクト補助 報告書

 

研究課題:

スポーツの視覚探索活動にみる身体知の解明

 

研究代表者:総合政策学部 専任講師             加藤 貴昭                  研究総括

分担者:環境情報学部 教授               福田 忠彦                  実験・データ分析指導

環境情報学部 教授               佐々木 三男              競技別実験結果分析

SFC研究所 所員(訪問)        伊藤 納奈                  実験・データ分析

政策・メディア研究科博士1年  永野 智久                  実験・データ分析

政策・メディア研究科修士2年  内藤 潔                     実験・データ分析

政策・メディア研究科修士1年  落合 祐輔                  実験・データ分析

環境情報学部 4                    前沢 一成                  実験・データ分析

総合政策学部 3                    安西 正樹                  実験・データ分析

環境情報学部 2                    崎島 まり                  実験・データ分析

 

 

はじめに

本研究は各種スポーツ場面における運動行動において、選手がいかにして環境からダイナミックな情報を効率よく収集し、正確かつ高速に処理し、高度なパフォーマンスを発揮しているのかについて、主に眼球運動測定と身体運動動作解析による他覚的評価手法を用いて視覚探索ストラテジーを明らかにし、一流アスリートの身体知を解明することを目的とする。特に時間的な変化を伴う情報や空間の位置関係を把握するのに優れた特性を持つ視覚機能である周辺視システムを活用しているとの仮説を立て、これを多様な状況下において実験的に実証し、得られた成果をもとに周辺視−運動制御システムモデルの検証を行った。

本研究では、@各種スポーツ場面における一流アスリートの視覚探索ストラテジーの解明。A異なる競技における共通な視覚探索行動。B一流アスリートの持つ「コツ」「ワザ」といった身体知の科学的な手法による定量化。C時間および時空間特性に優れた周辺視システムの機能と運動パフォーマンスとの関係を示した周辺視−運動制御システムの考察を行った。

 

 

1)剣道における遠山の目付評価実験

宮本武蔵は自著の「五輪書」の中で「観見の目付」について述べている。このように日本古来より伝わる武道、武術においては、目の使い方が重要視されてきた。特に剣道においては「一眼、二足、三胆、四力」と言う教えがあり、何によりも一番大切な事柄は「目付」であると言われる。特に相手の動きに惑わされず、全体を大きく広く捉えるように相手の目(心)に目を向けて「観る」ことは「遠山の目付」と呼ばれる。宮本武蔵も言及しているように、流派によってその目付の解釈は様々なようであるが、一般的には相手と対峙した際、相手の竹刀や打突部などを局所的に見つめたりせず、遠い山を望むように、相手の目を中心に体全体をおおらかに見るべきである、という教えが「遠山の目付」である。また「遠山の目付」は、相手をはるか遠い山を見るように相手の構え全体を見て、調和が取れているか、どこに隙があるかを見破る目付の事でもある。一方で「紅葉の目付」とは、紅葉している特定の葉を見つめてしまうことにより大切な全体像を見失うことを指す言葉として知られる。これは「木を見て森を見ず(Some people cannot see the wood for the trees)」という英語の諺と同じである。このように特定の一点を見るのではなく、遠くの山全体を望むような目を半眼にして見る気持ちで、相手に望むことが大切であると言われる。

この「遠山の目付」に注目し、剣道範士八段の師範、大学剣道部員の熟練者、一般の大学生の非熟練者らの実際の剣道の競技場面状況下における眼球運動の計測を行った(図1参照)。対峙する相手剣士の身体を6つのカテゴリーに分類し、各カテゴリーに対する視線配置の推移パターンを示したのが図2である。

この視覚探索活動の結果から、(1)師範は相手の目から視線を外すことはほとんどない、(2)熟練者も相手の目に視線を配置させる時間が長い、(3)非熟練者は相手の小手、胴、竹刀といった特徴的な対象に対して視線を向けることが多かった、という事が分かった。また特に師範の眼球運動のほとんどは随従運動であり、頭部に対する視線移動角度の標準偏差値が極めて低いことから、眼球そのものだけではなく、頭部を含めた身体全体で相手に対峙していることが示唆された。師範の言葉を借りると「臍下丹田で相手を見る」事が大切であるそうだが、このように身体の中心に意識をおいて相手に向かうことが「遠山の目付」の第一歩であると考えられる。すなわち外的に付随する眼球という器官を用いて対象を見るのではなく、身体の奥深い内部にある「心の目」を用いて対象を観ることが重要なのだろう。このような心がけにより、全身運動が協調的に制御され、結果的に安定した視線位置が創出されると推測される。

そして、師範や熟練者が相手の目に対して視線を向けていても、相手の攻撃に対する防御や自分の攻撃が適切に行えていた結果から、相手身体の全体像を周辺視によって処理していたことが考えられる。つまり師範や熟練者は相手の目に対して注視(fixation)していたのではなく、視支点(visual pivot)を置くことで周辺視を活用していたことが考察される。この視支点として視線を配置させることはボクシング(Ripoll et al., 1995)や空手(Williams & Elliott, 1999)においても確認されている。おそらく師範や熟練者は、統合的(synthetic)な視覚探索活動を行っており、非熟練者は分析的(analytic)に視覚探索活動を行っているのであろう。

師範や熟練者が対象の全体像を広く、相対的に捉えようとする視覚探索活動は周辺視システムと深く関連し、一方で非熟練者が対象の各部位に対して狭く、絶対的に捉えようとする視覚探索行動は中心視システムと深く関連すると推測できる。また、師範が全身運動を協調的に制御し、結果的に安定した視線位置を保っていたような視覚探索行動は、周辺視システムが運動制御システムと密接に連携するものであること示唆している。こうしたことらも周辺視システムの運動(行為)をガイドする視覚情報処理システムとしての特性を読み取ることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1: 遠山の目付評価実験の様子

 
 

 

 

 

 

 

 

2: 剣道の模擬試合時における視線移動パターン(7500ms

上:師範、中:熟練者、下:非熟練者

各データにおける行は部位カテゴリー(上から、面、胴、竹刀、小手、下半身、瞬き・他)を示し、1frameにおける視線配置位置が示されている。

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2)野球の打者における視覚探索活動

 野球の打者が相手投手に対してどのような視覚探索を行っているのかについて調べた研究(Kato & Fukuda, 2002; 加藤&福田, 2002)においては、熟練者は(1)投手の肩・胸部を中心に視線を配置させ、(2)投球腕が前方に振られる直前に、投球動作を予測して投球腕が振られるであろう位置に予め視線を固定させ、(3)投球腕の肘近辺を中心に視支点を置き、網膜の周辺部分で投手像全体を捉えて、投球動作から動的な情報を効率よく収集する視覚探索ストラテジーを用いていることが確認されている。特に熟練者の示した視覚探索パターンは、視線配置分布が比較的狭い範囲に留まり、視線位置を安定させ、視視点を用いることで周辺視システムの機能特性を効率よく活用していたことが示唆されている。

また今回の研究において、生態学的な妥当性に基づいてフィールド実験とシミュレーション実験の結果を比較したところ、両結果の共通点と相違点が明らかとなり、特に熟練者は身体運動と眼球運動を包括するシナジー(協調構造)を持ち、周辺視システムと運動制御システムを巧みに連携させていることが考察された。

 

3)サッカー11のディフェンス状況における視覚探索活動

 サッカーの11のディフェンス状況における視覚探索活動においては、熟練者がボール以外にも相手の膝や足先に視線を移動させることで注意を分配し、先の動きを予測しているであろう行動が示唆された。特にフェーズ2における相手選手のフェイント時においては熟練者が相手の膝辺りに視支点を置いて全体の動きを周辺視で捉えているのに対し、非熟練者はボールそのものに視線を配置させていた。熟練者はボールから目を切る(off-the-ball)事により、先の動きを効率よく予測し、フェイントに対して素早い対応を行っていることが考察される。

 

4)ゴルフのパッティング時における視覚探索活動

 ゴルフのパッティング時の視覚探索活動においては、熟練者はボールやヘッドなどの特定な位置に視線を置くのではなく、ストローク中のヘッドの動きやボールの位置を把握するために、2つの視支点を用いて周辺視機能を利用していることが示唆された。特に前述の野球やサッカーの例と異なり、ゴルフのパッティングは外的要因が予想可能で時間的制約のないクローズドスキルであることなどから、熟練者は身体のストローク動作と同期して視支点の移動が起こり、結果的に視支点が2つ存在することとなった結果は興味深い。

 

5)バスケットボールにおけるディフェンスプレーヤーの視覚探索活動

バスケットボールのオフェンスプレーヤー3名対ディフェンスプレーヤー1名での速攻状況における視覚探索活動においては、経験者はドリブル中、ディフェンスプレーヤーの動きやディフェンスプレーヤーと自分との距離を把握すると同時にパスを受ける2人のプレーヤーの進行方向といったスペースを意識していた。またパス動作に入ると、ディフェンスの動きを良く見て、パス方向を決めていた。初心者はドリブル中、ボールに対する注視時間が非常に長く、左右のプレーヤーをほとんど見ず、パス動作に入り初めて左右のプレーヤーに意識が行くことがわかった。すなわち経験者は各スペースを意識してコート全体を把握している。一方、初心者はボールやパスの受け手のような物体を注視し、周辺視機能を使いきれていなかったことが示唆された。

 

6)今後の研究に向けて

従来の視覚探索活動に関する研究の多くは「知覚」と「行為(行動)」を切り離して捉えている場合が多かった。直接知覚理論である生態心理学立場に立つと、「知覚」と「行為」は相互依存、および周期的なプロセスであると考えられる。感覚と運動のシステムを同時に機能させるような研究方法の発展こそが、眼球運動行動研究の生態学的な妥当性を目指す上で絶対的に必要なステップとなる。実際、制約のある実験室内の実験のみでは行為の要素を取り入れることはできない。スポーツ現場におけるフィールド実験と、さらには実験室内におけるシミュレーション実験双方に関して同様の実験を実施することにより、これらの状況下における類似性と差異を分析することが可能となる。本研究でにおいては、実験室内における実験ではなく、実際のスポーツ現場におけるフィールド実験を主に行っている。

 また従来のスポーツに関する研究の主流は、「意味の視覚機能」ばかりを強調するものであったが、視覚行動に関してより完全な分析を目指すためには、タスクにおける「意味」と「感覚運動」双方の特徴をシミュレートするような研究方法の開発に取り組むべきであると考えられる。そこで本研究では、眼球運動により「意味の視覚機能」の側面を計測することと同時に、「感覚運動としての視覚機能」を計測するためにハイスピードカメラ、小型CCDカメラを用いた実験装置のプロトタイプを作成した(図3参照)。今後はこの実験装置を改良し、より生態学的に妥当な研究法略を確立していきたい。

 

 

3: 眼球運動計測装置と各種カメラを組み合わせた実験装置