SFC研究所長御中

 提出  2004年 4月 28日

研究概要報告書

 

研究課題名:難病患者の医療コミュニケーションニーズ:カリキュラム開発に向けての実態調査

氏名:杉本なおみ

所属:看護医療学部

(共同研究者: 相野田紀子 金沢医科大学医学部)

(研究協力団体:シェーグレン症候群患者の会)

 

1. 研究目的

 医療系学生(看護学生・医学生・薬学生など)に対するコミュニケーション教育は近年めざましい発展を遂げているが、疾病別の指導まで徹底されていないのが現状である。その背景には、カリキュラム開発の基盤となるべき、疾病別医療コミュニケーションニーズに関する基礎的実証研究が不十分という問題点が存在する。結果として、医療コミュニケーション教育の現場においては、最も普遍的な医療場面(問診など)や患者数の多い疾病(癌など)に関心が集中するという弊害が生まれている。反面、致命的ではないが原因も治療法も確立されていない、いわゆる「難病」患者の受診経験に関しては、医療系学生対象のコミュニケーション教育カリキュラムの中心的テーマにはなり得ていない。しかし、このような難病患者こそ、診断確定までの過程で病院の「たらい回し」を経験し、「難病」に対する社会的偏見と闘い、完治の望めない状況下で闘病生活を余儀なくされる存在であり、その声こそ医療コミュニケーション教育に反映されるべきである。

 そこで本研究においては、シェーグレン症候群患者の会事務局の協力を得、同会員を対象とし、特にコミュニケーションという側面から患者のニーズに関する面接調査を実施した。シェーグレン症候群は自己免疫疾患の一種であり、その患者数は国内だけでも17,000人、潜在的患者を含めれば10〜30万人と言われているが、その数に比して社会的認知度が低い。難病認定や治療費援助も各自治体によって扱いが異なり、診断確定に平均6.5年を要するという、患者にとってかなりの身体的・経済的・心理的負担を強いられる「難病」である。このような患者層から得られた実証データに基づき、難病患者への対応も広く視野に入れた医療コミュニケーション教育の提案を目的として調査を行った。

 

2. 研究方法 (看護医療学部 研究倫理審査委員会 2002年度受理番号28号)

<対象者の抽出方法>

 シェーグレン症候群患者の会発行の会報に研究協力者募集の依頼状を同封し、自発的に協力を申し出た会員のみを対象とした。40名の協力申し出者のうち、入院・体調悪化などにより5名の辞退者が発生した結果、最終的な面接数は35となった。全員、30代〜80代の女性であった。

 調査に際しては、対象者の居住地に研究者が出向く形で行われた。一時間程度の半構造化面接において、発病から診断に至るまでおよび診断確定から現在に至るまでの受診経験において医療者とのコミュニケーションについて感じたことを中心に質問を行った。面談内容は対象者の了解を得て録音を行った。35名の対象者のうち、1名が録音を拒否し、他の1名の面接は録音状態が悪く筆耕不可能であったため、最終的に得られたデータは33名分の面接内容となった。

<データ処理>

 面接を録音した音声データは、匿名処理を施した後すべて筆耕に付された。840ページの筆耕を「意味上の最小単位」に分割し、4,795単位を得た。2名の研究者が担当したこの分割作業の一致度は0.996であった。これをさらに、単位毎に13の大カテゴリと70の小カテゴリに分類した結果得られた信頼度は、κ係数0.77であった.不一致のカテゴリ分類については研究者が話し合い最終分類を行った.

 

3. 研究成果

<研究により得られた知見>

 前述のような強制力の弱い募集方法であったにも拘わらず、会員数120名の3分の1にあたる40名から協力申し出があったという事実から、自己の闘病生活・受診経験を語りたいという患者の欲求の強さが窺える。

 調査により得られたデータの分析は、2003年度末に一旦第一段階を完了し、得られた知見を、以下に掲げる論文として発表した。

1)            量的分析

 上記の4,795単位のうち、最頻出のテーマは自分自身 (2,258単位:47.1%),ついで医療関係者(1,282単位: 26.7%)であった。後者では医師に関する発言(HD)の割合が圧倒的に多かった(84.2%,総単位数の22.7%)という結果が得られた。さらに、同一面接者(NA)に対する20名の発言に限定して分析したところ、総単位数に占めるHD数の割合と年齢,診断後経過年数との相関は見られなかった(rs=0.10,p<0.01; rs=0.078, p<0.01)。すなわち、年齢や病歴の長さに拘わらず、医療関係者への言及が多く見られたということになる。HDの内容は否定的な発言(M 43.2%,0〜85.7%)が肯定的な発言(M 20.1%,0〜37.8%)より多く出現した(p<0.01)。否定的な発言内容を医師側の受容面と表出面に分類すると,受容面では「聞いてくれない」,表出面では「説明が不十分」,「説明内容が理解できない」,「冷たい反応」などと形容されていた。今回得られた知見は,医学部卒前教育のコア・カリキュラムで指摘されている患者医師関係の目標をさらに具体化することに貢献すると考えられる。

2)            質的分析

 上記の4,795単位を対象に、「テーマ間分析」(interthematic analysis)を行った。その結果、以下のような主要テーマが認められた。1)病気の特性と、それに起因する診断確定までの特殊な医療コミュニケーション上の問題点(「不定愁訴」扱いされ悩みを聞いてもらえない、「ドクターショッピング」に迫られ医療者と安定した治療的関係を築けない、大学病院への通院の負担および頻回な人事異動のため、医療者と安定した関係が築きにくい)、2)「難病」のイメージから、友人・隣人などの社会的サポートネットワークと疎遠になる悩み、3)原因・治療法共不明の難病であるため、服薬や人工唾液などの使用に関する不安が大きいが、この点に関する医療コミュニケーション上の援助が不足している。これら諸要因を踏まえ、「患者が自らの受診体験を語る際に診られる、『勧善懲悪』的論理構造は、日本の女性難病患者として被る、さまざまな不利益への抵抗・反動の現れと解釈することができる。

 

<本プロジェクトに基づく研究業績>

1) Sugimoto, N., Toyoshima, S., &  Ainoda, N. (2004). And the good doctor lived happily ever after…”: Poetic justice themes found in narratives of Sjogrens syndrome patients in Japan. National Communication Association 提出論文(審査中)

2) 相野田紀子,杉本なおみ,菅井進(2004)「患者が医師に対して抱いているコミュニケーション・ニーズ:シェーグレン症候群患者との面接調査から」日本医学教育学会提出済(審査中)

3) 大西弘高・杉本なおみ(2004). 「日本の医学教育はどこへ:コミュニケーション能力は身につけられるか」論座、106号、232-239ページ、朝日新聞社。

4) 杉本なおみ(2003)「シェーグレン症候群と向き合って」三田評論、1062号、48ページ。慶應義塾大学出版会。

 

4. 今後の課題

 現時点では、初期分析を元に得られた知見を学会で発表するという段階であるが、今度はこれを学会誌などで公刊し、難病患者のコミュニケーションニーズがどのように医療教育カリキュラムに取り込まれるべきかについて論じる。

 また、さらに高度な二次的量的分析、最新の研究動向を踏まえた上での質的分析なども続行し、患者一人一人の声を、できるだけ短期間で実際の医療教育現場に生かす働きかけをしていく。

 また、患者を取り巻く家族や友人のあいだに、「シェーグレン症候群」に関する知識が低いことも、患者のコミュニケーションニーズの充足を妨げていると考え、患者ではなく家族や友人に向けた「病状解説パンフレット」の作成・配布といった、患者のエンパワーメントを目標としたコミュニケーション学的介入も計画中である。