SFC研究所長殿

2004年度 SFC研究所プロジェクト補助

2005523

研究報告書

 

研究テーマ: 自立型の共生をめざして

                 − 藤沢市における外国人児童・生徒の教育・学習環境整備

 

<メンバー>

 代表 古石 篤子 (慶應義塾大学総合政策学部 教授)

    石川 隆介 (慶應義塾大学環境情報学部 訪問講師)

    関口 明子 (横浜国立大学教育人間科学部講師、国際日本語普及協会常務理事)

    櫻井 ひろ子(かながわ難民定住援助協会会長)

 

<研究概要>

 藤沢市においては、1990年の出入国管理法改訂の直後から、外国人登録者数が大幅に増加した。それに伴い、市内の公立小・中学校に在籍する外国籍児童・生徒数も当然のことながら増加してきた。最近は人数としては落ち着いてきてはいるが、日本の他の地域にも見られるように「定住化傾向」が増している。しかしながら、そのような子どもたちは日本語に大きな困難を感じているにもかかわらず、実際の教育現場では、なかなかきめ細かで効果的な日本語教育や教科補助は行われていないのが現状である。また、保護者と学校とのコミュニケーションもうまくとれておらず、そのために様々な問題が生じている。本研究では、市内の小学校で2003年度から実験的に行ってきた新しいタイプの日本語教育を「子ども日本語教室」として定着させ、そして地域に発展させていくためのネットワーク作りなどの方策を模索したいと考える。そのためには外国人を受身の存在としてとらえるのではなく、積極的に役割を果たしてゆくアクターとしてとらえる視点が必要であると考える。なお本研究は3年計画プロジェクトであり、2004年度がその最初の年である。

 

<研究の意義>

 これからの日本社会では、労働力不足を補うために多くの外国人労働力の導入が不可欠といわれる。しかし欧州の例にも見るように、外国人は定住するようになる。その場合、彼らの子弟の教育問題は、人権的な観点からも、ソーシャルセキュリティの観点からも、最重要課題のひとつとなることは明白である。新しい非識字者を生み出さず、子どもたちを社会にうまく統合し、自立して生活できるだけの力をつけてゆくためには、今この時点でどのような教育ができるか、地域がそれをどのように支えていけるかにすべてがかかっているといっても過言ではない。

 このようなパースペクティブの下、本研究は年少者への日本語教育法、地域ボランティアとのコミュニケーションのあり方を探りつつ、保護者や子どもたち自身の力も生かしてネットワーク形成を目指す新しいタイプの実践研究といえよう。学校や教育委員会にイニシアティブを期待できない今、このような形で言語教育政策研究者(古石篤子)、日本語教育専門家(関口明子)、ボランティアグループ・リーダー(櫻井ひろ子)、そしてラテンアメリカ出身研究者(石川隆介)との共同研究が行われることは極めて意義のあることであり、その結果は他のネットワーク形成にも応用できよう。

 

2004年度 実施項目の大要>

 日常生活を営む上でも、また学校教育を十全に受ける上でも「ことば」の問題は最重要課題である。子どもにとって自由に使えることばを使って教育を受けることは、基本的人権に属することがらである。したがって外国籍児童・生徒に対しては、その状況により本来的には母語教育と日本語教育の両面から、その教育問題を考察していく必要があるが、本研究ではその中でも日本語教育を中心に、新しいタイプの教育・学習環境の整備を模索した。本年度の研究実践は次の3本の柱から成る。

 

(1)   専門家による学校教育の中での日本語教育

 学校教育という制度のなかで、日本語を第二言語とする児童にいかにして体系的な「学習言語」を身につけてもらうことができるかを研究の中心とする。彼らは学校の開催する「国際教室」において、週に数回の日本語の取り出し授業しか受けていない。またその教室の担当者はほとんどの場合、教員免許は持っているものの、第二言語としての日本語教育に関しては素人であり、十分な研修も受けていない。このこと自体大きな問題で、今後制度的・政策的な観点から緊急な解決が望まれるところであるが、我々の研究の範囲においては、そのような限られた教育しか受けられていない児童に対して、いかにしたら有効な教育ができるかということを模索した。具体的には、学年別・教科別に必要な学習項目を整理し、どのようにしてその内容を体系的な日本語学習と結びつけていくことができるかを研究の対象とした。2004年度には2回「子ども日本語教室」を開催したが、それぞれにテーマを決めて行い、最終回には保護者を招待しての発表会を行った。

 1回目 2004511日(火)〜61日(火)全10回  テーマ「読む」

 2回目 20041012日(火)〜114日(木)全10回 テーマ「書く」

 また、2003年度に開催した日本語教室では、授業後の子どもの送り届けが問題になったこともあり、保護者の理解を得る必要を痛感したため、各日本語教室開催前に保護者との交流会(意見交換会)を企画・実行した。春には424日(土)午後2時〜5時、秋には105日(火)午後6時半〜8時までスペイン語とポルトガル語の通訳を交えて行った。特に初回の会合では、言葉の壁がなく意見が言える環境を整えたせいか、「子ども日本語教室」に対してというより、保護者から学校への質問や要望が噴出し、予定時間を1時間もオーバーして話し合いが続いた。

 

(2)   地域との連携:専門家と共に行うチームティーチング ボランティアの力

 上記の実験授業では専門の日本語教師と共に、きちんと研修を受けたボランティアが多く(毎回56人)参加して大変きめの細かい指導をすることができた。この形態は、ともすると精神的に不安定で、また日本語能力もばらばらな子どもに対してきめ細かい指導をするには理想に近い姿であることがわかった。本研究の枠組みでは、いかにして年少者に日本語による教科指導を行うかというテーマのもと、あるべきボランティアの養成と専門家とのチームティーチングの仕方も模索した。

また、実際に2回の日本語教室に参加してくれたボランティアの方々は、長後地区以外の地区からいらしていただいたので、長期的視野から長後地区独自のボランティアネットワークを形成する必要を痛感したため、200531日より「年少者への日本語ボランティア養成講座」全20回を企画・開催した。場所は当初は長後小学校をお借りして始めたが、学期末の変則的な時期と校長の交代とが重なったため、3月末以降は長後市民センターに場所を移して継続し、講義と実践も含めての終了は同年75日を予定している。

 

(3)   教科補助のための拠点形成

身につきやすい「生活言語」から「学習言語」の育成までは数年の時間的ギャップがあるといわれる。しかし子どもたちは日々学業をこなしていかねばならない。そこで彼らの教科学習をサポートするため、「長後子ども学習室」という名前で、放課後に参加できる学習補助の拠点を形成した。これは20051月から開始し、1月の間は毎月曜日午後3時〜5時に行い、2月からは毎土曜日午後2時〜4時に行っている。場所は長後滝山市民の家を利用している。これは藤沢市の施設で、使用は20054月までは無料、5月からは有料となった。1月末から年度末までに開催したのは次の日にちである。

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この学習室を支えているのは、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの学生諸君である。彼女ら彼らはボランティアで子どもたちに教科を教えてくれている。(参加者の間での連絡を密にするために、メーリングリストや電子掲示板を利用した。)学生たちの参加は子どもたちに自分たちの年齢に近いロールモデルを提供するという意味で、予想以上に大きな意味を持ったようである。長期的には地域ボランティアの参加や、大人のみでなく、子どもたち自身の先輩が後輩を教えるというシステムを構築したいと考えている。外国籍の子どもたちが中学・高校レベルでつまずいているケースも多いと聞くが、彼らに何らかの形で「人の役に立つ」経験をしてもらうことは、互いに刺激的であるに違いない。

 

<まとめ>

 詳しい考察も含めた報告は、現在準備中のリサーチメモを参照されたいが、2004年度の活動としては、いずれも2005年度以降に開始予定であったボランティア養成講座や学習室を今年度中に開始する等、当初の予定を先取りした成果をあげることができた。

 しかし研究年度の最後になり大きな課題が発生した。それは2003年度より深い理解をもって我々の活動を支援してくれてきた長後小学校の校長が定年退職となったことである。後任の新校長は学内の安全を理由に、着任早々学内での日本語教室の継続を拒否した。(学内での国際教室の担当者が二人から一人に減ったにもかかわらずである。)これまでの我々の活動の意味と外国籍の子どもたちの現状を理解しようともしないその一方的な態度に怒りを感じると共に、我々の行ってきたようないわゆる「ボランティア的」な活動の弱点と限界を痛感したといえる。また、教育委員会にも文化庁主催「親子の日本語教室」企画提案を通じて長後小への働きかけも含めて依頼をしたが、全く力にはなってもらえなかった。同様のことは藤沢市のみではなく、多くがボランティア的な活動に頼っている現在の日本の外国籍児童生徒の教育・学習環境の現場が抱える問題としてある。これは制度的な支えがしっかりしていないために起きる問題であり、そのためにはまずは文科省による制度的な枠組み作りを働きかける政策的なアプローチが平行して行われなければならない。