2004年度SFC研究所プロジェクト補助 研究概要報告書

研究課題名:サッカーにおけるキックモーションデータのマイニングに基づくキックスキルの類型化と指導法の提案

研究代表者:川本竜史(総合政策学部)


研究目的

 足でボールを扱うことを最大の特徴とするサッカーにおいて,キックは最も重要な技術である.中でも,インステップキックとインサイドキックは,競技中最も頻繁に用いられるキックであり,一般に前者では「強さ」が,後者では「正確性」が主目的となる.「インステップキックでいかに強く蹴るか?」という課題に対しては,バイオメカニクス的な先行研究によって,これまでにいくつかの科学的示唆がなされている.一方,「インサイドキックでいかに正確に蹴るか?」という課題に対しては,インパクトの瞬間に足関節を固定することなど,指導上一般的な要点が挙げられてはいるものの,これらの要点を支持すべき科学的根拠はほとんど得られていない.この理由としては,1) インサイドキックの運動解析には,3次元的手続きが不可欠であること,2) “強さ”の定量分析に比して, “正確性”の定量分析が容易でないこと,3) 多関節運動の個人内・個人間でのばらつきを取り扱うため,多変量データの獲得が不可避であることなどが挙げられる.

 以上の問題を解決し,正確なインサイドキックを遂行するための動作の要点を解明することによって,非熟練者がインサイドキックスキルを有効に獲得するための指導上の注意点を,科学的に示唆できる可能性がある.

 そこで本研究では,身体運動の3次元運動学的解析とデータマイニング的を応用して,サッカーにおける正確なインサイドキック遂行のための下肢の運動学的要点を解明することを目的とした.


研究方法

 健常男子大学生10名(年齢:23.2 ± 5.2歳,身長:170.1 ± 4.7cm,体重:63.8 ± 6.9kg.いずれも平均値 ± 標準偏差)を対象として実験を実施した.このうち4名は熟練者(競技歴: 5 ~12年)であり,6名は非熟練者であった.7名の被験者の利き足は右であり,残り3名の被験者の利き足は左であった.

 実験は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの映像スタジオで実施した.室内にモーションキャプチャシステム(Vicon 8, Oxford Metrics)の光学式カメラ8台を設置し,壁にキックの誤差を定量するための標的板を設置した.標的板の横幅は2.2mであり,中心線(標的線)を基準として0.1mごとに垂線を引いた.標的板から4.5m離れた床面にボールを置く位置をマーキングした.標的線に対するキックの誤差を記録するために,ボール位置の1.0m後方にデジタルビデオ(DCR-TRV30, SONY)を設置した.キックされたボール速度を計測するために,ボールの初期位置から0.5m離れた地点に2対の光電管を設置した.実験に先立ち,実空間距離のキャリブレーションを行った.いずれの方向でも,標準誤差は2.0mm未満であった.

 各被験者の下肢の解剖学的指標計20箇所に,反射マーカーを貼り付けた.サッカーボールは5号球を用いた. 試技に先立ち,安静立位時の姿勢を撮影した.試技に際しては,被験者に,一歩の助走からインサイドキックで標的線を狙ってできるだけ正確にボールを蹴るように指示した.この際,光電管で計測した球速が下限速度(5.0 m/s)を下回った試技は不採用とした. 各試技における被験者の下肢運動を,同期された光学式カメラによって120Hzでキャプチャした.また,キックされたボールの軌道をVTRで記録した.各被験者につき,成功試技が左右各10本得られるまで試技を繰り返した.キャプチャされたモーションデータは,付属ソフト(Vicon Workstation 4.1, Oxford Metrics)により3次元座標化した.

 標的線に対するキックの誤差(Kerror)は,記録されたVTR画像をデジタイズした上で,ボールが標的板に当たった時点での標的線からボール中心までの側方距離として定量した.Kerrorの方向は,蹴り脚の対角方向を正方向と定義した(図1).インパクト(imp)の時間は,VTR画像と蹴り足の加速度の時系列波形に基づいて決定した.

 蹴り足のキネマティクスとして,標的方向に対する足部角度(KFA),ボール中心に対する足部中点の側方および垂直位置(KFPmlとKFPud),足部中点の方向角度(DAKF)を求めた(図1).その他のキネマティクスとして,軸脚の足部中心の前後および側方位置(SFPapとSFPml),標的方向に対する足部角度(SFA),蹴り脚の足関節底/背屈角度(KAAdp),膝屈曲/伸展角度(KKAfe),股関節屈曲/伸展角度,外/内転角度,外/内旋角度(KHAfe, KHAaa, KHAei),そして標的方向に対する骨盤回旋角度(PA)を求めた.

 キック精度の定量指標としては,Kerrorのばらつき,すなわち標準偏差(S.D.)に着目した.キック精度の個人差の主要因を解明するため,各被験者各脚(計20サンプル)のKerrorのS.D.を目的変数,インパクト直前の蹴り足のキネマティクスのばらつき,すなわちKFAimp, KFPmlimp, KFPudimpとDAKFのS.D.を説明変数とした回帰分析(ステップワイズ法)を行った.更に,正確なキックを遂行するための下肢運動の要点を解明するために,KerrorのS.D.の回帰結果から,キック精度の個人差の主要因とみなされた蹴り足のキネマティクスと,その他の下肢キネマティクスとの関連性を検討した.具体的には,Kerrorに対する回帰分析から抽出された主説明変数のS.D.を目的変数,SFPapimp, SFPmlimp, SFAimp, KAAdpimp,KKAfeimp,KHAfeimp, KHAaaimp, KHAeiimp, PAimpのS.D.を説明変数とした回帰分析(ステップワイズ法)を行った.また,熟練者と非熟練者者間,利き足と非利き足間でも各変量の比較を行い,それぞれ対応なしと対応ありのt検定で統計的に処理した.以上の統計処理には,統計ソフト(SPSS11.5, SPSSinc.)を用い,有意水準は5%未満とした.


研究成果

 平均ボール速度は,7.69 ± 1.33m/sであり,これは先行研究によって報告されているキック速度の約1/3であった.この点には,試技の条件設定,ボール速度の計測方法や助走距離などが影響していると考えられた.

 キック誤差(Kerror)のS.D.の幅は7.8 – 47.6cmであり,熟練者の平均S.D.は,非熟練者と比べて有意に小さかった(それぞれ13.5 ± 6.3 cm と31.1 ± 11.0 cm, p<0.001).利き足と非利き足の間では,Kerrorの平均S.D.には統計的有意差は認められなかった. 回帰分析の結果,KerrorのS.D.は,インパクト角度(KFAimp)のS.D.のみによって,高い精度で回帰できた(R2 = 0.849, p<0.001, 図2).この結果から,インサイドキックの精度は,インパクト角度の再現性にきわめて強く依存することが明らかとなった.一方,インパクト位置(KFPmlimpとKFPudimp)のS.D.は,説明変数として選択されなかった.すなわち,インパクト角度と比べてインパクト位置の再現性は,キック精度の決定要因として,重要度が低いことが分かった.また,インパクト前後での蹴り足の進行角度(DAKF)も,キック精度に有意な影響を及ぼさなかった.

 インパクト角度の再現性を高めるための下肢運動の要点を検討するために,インパクト角度と蹴り足を除く下肢キネマティクスとの関係を検討した.この結果,インパクト角度(KFAimp)のS.D.は,軸足方向角度(SFAimp)および骨盤回旋角度(PAimp)のS.D.によって有意に回帰できた(R2 = 0.719, P<0.001).以上の結果から,インサイドキックにおけるインパクト角度の再現性は,目標に対する軸足方向および骨盤回旋の再現性に強く依存することが示唆された.

 先行研究では,キック時の足部ならびにボール速度を増す上での骨盤運動の重要性が指摘されている.しかしながら,インサイドキックで「正確に蹴る」という目的を達成する上でも,骨盤の運動が重要であることが,本研究によってはじめて科学的に示唆された.また,実際の競技指導でも,キックの精度という観点から骨盤に着目することは,一般的ではない.骨盤の回旋運動が蹴り足インパクト面の再現性に影響するという本研究結果は,インサイドキックの指導における新たな視点を提供するものであると言えよう.


指導への示唆

 インサイドキックの精度を高めるためには,蹴り足インパクト角度の再現性を高めることが不可欠であり,このためには,軸足方向と骨盤回旋運動の再現性を高めるのが有効である.特に,これまでは十分な注意が払われていないが,正確なインサイドキックを指導する上では,骨盤の運動をより重要視するべきである(図3).








関連業績

<論文>
古川康一他(2004)身体知研究の潮流 --身体知の解明に向けて--人工知能学会論文誌(20巻2号)117-128
<学会発表>
川本竜史他(2004)サッカーにおけるインサイドキックスキルの解明人口知能学会(第18回)大会論集3D-304
川本竜史他(2004)サッカーのインサイドキック精度に関するバイオメカニクス的研究第18回日本バイオメカニクス学会大会論集H1
<著書>
SFCフォーラム事務局編(2004)未来への貢献 -慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス - 産学の対話 2004 -水曜社