2006年度 SFC研究所プロジェクト補助研究報告書        

 

 

テロ事件後の在米邦人に対するメンタルケアプログラム

―「ノンヒューマンな環境」をどのように生きるのか― 

 

 

 

研究代表者  末 安 民 生

                       (慶應義塾大学看護医療学部 助教授)

 

研究組織

研究代表者  末 安 民 生   (慶應義塾大学 看護医療学部 助教授)  

共同研究者   南  歩     (慶應義塾大学 看護医療学部 4年生)

 

 

 T 研究の背景と目的

1.研究の背景

 

 研究代表者(末安民生)は、ニューヨークテロ事件(以下、特に断らないときには911と表記)発生直後の2001919日―926日の7日間にわたり、被災邦人対するカウンセリングとコンサルテーションを行った。

 当時研究代表者が精神的ケアにあたった被災邦人数は7日間で49名を数え、カウンセリングに費やした時間は昼夜にわたり延べ80時間にも及んだ。これらの被災者との対話を通して、母国から離れた国で予期せぬ大規模事件に巻き込まれた人々が経験する葛藤のさまざまな側面が明らかになった。

 特に、米国の被災者には行方不明者の捜索とともに翌日から精神的なサポートが開始されるとともに、企業管理者に対しても公的なバックアップがなされている一方で、わが国の被災者は基本的に領事館の利用時間の制限ある「電話相談」のみの対応であった。したがって被災した邦人への基本的な支援の判断と対応は企業レベルの対応であった。駐在員の派遣が小規模の企業や米国の企業に雇用された日本人の場合には、事実上、日本語によるサポートが期待できない状態に陥っていた。しかも、日本の本社からの指示は現地の状況を十分に把握しておらず、先ずは企業活動の再開、つまり企業利益の保全を最優先としていると考えられるような復旧をめざした活動を行っていた。その結果、「社員の心情」についての配慮はほとんどなされていないことが研究者のカウンセリング対象者の状況から明らかになった。個人の心情については企業の影響を行使できる範囲を超えているという考え方もあるが、事件の重大性や社会的影響力の強力性、個人の心理状態への侵襲性の高さを考慮した場合、企業が社員を守ることは当然の責務と考えられる。

また、この活動の中では、カウンセリングとコンサルテーションの結果、社員の混乱は企業内の役職や採用区分(本社派遣か現地採用か)によっても違いが見られた。テロ事件への心理的な反応は企業内の雇用方法によっても、ストレスレベルに影響する度合いが高いのではないかと推察された。これは現在の国内での政治経済問題でもある正規社員の中でも役職者と社員との間での雇用条件に違いによるストレス度の高低があること、正規雇用社員と非正規雇用社員と間の格差問題とも関連があるのではないかと考えられた。 

ところが現地雇用の中の非正規雇用社員である日本人の中には、本社の復興支援からは最も遠いところにありながら、現地のコミュニティに最も溶け込むことによって、地域のネットワークを通した精神的サポートを得て、事件による心的な被害を乗り越えようとしている例があった。一方、日本から派遣されていた管理職は最も孤立度が高いようであった。「911」以降も続発していたテロ情報の中にあって派遣社員と家族の安全な日本への帰国という形での「事件への決着」を図ろうとする行動がみられた。

これらの駐在員の中には、罹災により「自社の代表」という意識を超え、企業という枠組みから離れた「日本人」としてのアイデンティティが極度の高まりを見せた例も見受けられた。さらに、日本から派遣され、同僚や知人を事件で亡くしつつも復興要員として現地にとどまった一般社員や中間管理職は、事件の規模や復興のスピードに関する日本の本社との「温度差(現状認識のズレ)」に困惑し、本社の要求を調整しつつ、これを契機にそれまで会社中心であった自らのアイデンティティに疑問を抱き始めた者も少なからずあった。

 このような当時の数々のエピソードは、事件発生直後に救援者として被災者と直接接触した看護師であるからこそ得られたものであるが、この活動が政府の指示によるものではなく、社団法人 日本精神科看護技術協会による社会貢献としての派遣であり、精神科看護師の社会活動として行われたからこそ明かされた事実でもあるかもしれない。この活動が必要とされた背景には、母国を離れた国際社会での日本人の行動に危機が訪れたときの救援、支援は誰がどのような方法でいつから始めるのか、その場合の国家との関係性や距離のとり方の問題とも重なる重要な問題である。

このことは本論では論考しないが、このような非政府組織や民間団体による活動は公的な制約がないがゆえの活動であったために、逆に多くの企業が支援を自然な形のものとして受け入れを得ることができたのではないかとも考えられる。もちろん実際の企業へのコンタクトなどに現地の協力者のネットワークに依存した面はあった。しかも活動の最低条件であった相談に必要なスペース(個室)と情報の収集整理のために拠点を作ることは混乱にている状況下では困難である。特に、被災した人々の移動先や企業がどこで業務再会の準備をしているのか、ツインタワービルディングの周辺に住居を持っている人々が一時移転している場合の移転先情報など、ニューヨーク市内各地に離散した邦人への呼びかけを行わなくてはならない状況をすべて克服することはできなかった。

このため派遣された看護師の手に余る状況を解決するために、広報、連絡調整活動をJapanese Medical Practice Manhattan Office(東京海上記念診療所)に協力依頼し承諾を得ることができた。この現地の医療機関の日ごろの邦人への医療活動が基盤となって進められたことが活動の成功を導いたともいえた。

このような背景を経て、前回の支援活動を踏まえた現状調査を行う有用性は高いと判断した。当時は支援活動であったため、現状の分析等を行う研究目的を明確に持っていなかった。現地の邦人組織などの支援を受けながら前回、接触した方から継続して話をうかがえる人を特定し、「911」以降の環境の変化を新たに盛り込みながら現在の比較を行うことが可能となった。時間的にもまだ混沌とした事件直後のニューヨークに乗り込んだ第一次支援の視点を堅持しつつ、“post 9.11”のニューヨークに生きる日本人を対象とした、セルフケア支援からメンタルケアニーズの把握とそのサポートに関する経時的変化を捉えることができた。今回の調査結果の分析・考察には、一回限りの単独施行の調査では得られない奥行きと深みが加わることが期待できると考えられる。

 

 

2.研究の目的

 テロ事件後のニューヨークに今日まで継続して在住している駐在員と現地雇用職員を主たる対象とし、テロ後の不安の中で暮らす人々はどのようなメンタルケアを必要としているのか、そしてそのニーズはどの程度充足されているのか、という点に関する面接調査を行う。これにより、テロ事件から5年経った現在のニューヨーク在住日本人駐在員およびその家族へのメンタルサポートのあり方が明らかになる。

 重ねて、テロ発生直後に研究代表者(末安民生)自身が行ったコンサルテーション・カウンセリングの内容と照らし合わせ、この5年間で利用者のニーズがどのように変化したかについて考察する。

 特に被災した企業・組織における従業員向けメンタルサポートへの取り組みについて聞き取り調査を行い、当時の充足されなかったサービスや医療支援の不備が現時点ではどの程度サポート体制として整えられたかを明らかにする。当時、テロ事件発生以前の日本人の支援には領事館の開設した「相談窓口」しかなく比較的大企業であってもほとんどメンタルケアプログラムがなく、ある場合にもテロ事件での被災を想定した内容ではなかった。また、現地採用社員が多数を占めているような企業においては、サポートは不十分であった。その人たちはいわば「置き去りにされた人々」といってもよい状態であった。

そこで、この聞き取り調査の目的は、この5年間でこれら諸問題に関して改善が見られたか、見られたとすればそれは社員のニーズに即応しているか、見られないとするならばそれはどのような障害が存在するためか、といった点の検証を行う。

 この企業側担当者対象の聞き取りにより、単にサポートの利用者(すなわち駐在員とその家族)側の声を一方的に把握するのではなく、メンタルサポート提供をめぐる企業側の実態を明らかにすることができる。その結果、5年間で未改善の部分に関し、改善を阻む組織上の要因に迫ることが可能となる。またこれを踏まえ、将来へ向けてのメンタルサポートプログラムの策定にあたっては、企業の実情に即した現実的な提案が可能となる。

 「テロ事件後のニューヨーク」で働くことに対して新たなメンタルサポートが必要とされているか、されているとすればそれはどのような内容・種類のものか、またそれは今後多数赴任してくることが予想される、被災経験はないが「メンタル面で不安定な」駐在者のニーズにも十分応えられるものであるか、といった問題に関する示唆が得られる。

 このように、メンタルサポートの利用者である日本人駐在員、現地雇用職員、サポートの提供者である日本人医療職、そしてプログラムの提供者である日本企業という三側面から、テロ事件後の米国に居住する日本人に対するメンタルケアの現状を検証し、より適切なサポート方法を提案することが、本研究の目的である。

 

 

U 研究方法

本研究においては、その活動期間を4期に分け、調査項目の選定から、データの分析・検討までを行った。

 

1.調査対象期間

 第1期 20067月〜8月初旬

 テロ事件発生直後と現在の被災邦人向け救援内容の整理と先行研究の概観を通じて、今回の調査に含めるべき質問項目を精査した。

 

 第2期 200687日〜818

米国ニューヨーク市において、現地在住邦人を対象とする面接調査(個別、グループ)を研究代表者(末安民生)が現地に出向き、データ収集。調査補助者として研究分担者(南歩)が一部同席した。

 

 第3期 20069-20072

 面談調査により得られたデーターを筆耕に付し、追加データーの収集、積み上げ、確認した内容の分類・分析を行う。

 

 第4期 200612月〜20072

 テロ事件前後の在ニューヨーク日本人駐在員・家族のメンタルケア面でのニーズ変化と、公的機関、民間企業が用意するサポートプログラムの存在を確認し、現状の問題点と今後の課題を明らかにした。

 

2.インタビューの対象者および方法

 1)インタビュー対象者

 面接を受けても差し支えない健康状態にあると自己の責任による判断(必要に応じて主治医などとの相談を経る)できた被災後もニューヨークに在住している邦人 7名および、今回、直接は面談できなかったが2001.9に末安が個別に対応したマスメディアの関係者、教育関係者などのニューヨーク在住者への書面インタビュー3名の計10名。(30歳代〜60歳代、男性8名、女性2)

※ 当初、より多数の聞き取りを計画したが、研究者の渡米時に英国で米国の航空会社と標的としたテロが発覚し、一時旅行制限が行われた。ちょうどこの時期に調査を実施した研究者もロサンゼルスで足止めを受け、米国滞在時間が少なくなってしまったため、多くのインタビューを断念せざるを得なかった。

 

 2)インタビュー方法 

 あらかじめ決められた質問項目を網羅する半構成的面接とし、テロ事件前後の受療行動やストレスケアに関するニーズの変化について聞き取り調査を行った。インタビュー内容は対象者の承諾が得られた場合に限り録音した。個別インタビューは1人あたり60分〜90分で、グループインタビューは120分であった。対象者に感情の変化(悲哀感が強まった例)があった場合の精神的ケアについては、精神科看護師である研究代表者(末安民生)があたった。

 

3.インタビュー項目

 インタビュー項目は直接被災した駐在委員と現地雇用職員向け(A)と、被災はしていないがニューヨーク在住者向け(B)に分けた。これらは基本的な事項で、相手の被災状況、企業内、組織体でのポジション等によって多少の変動はある。また、グループインタビューは基本的に被災後の生活(環境)をキーワードにしたフリーディスカッションである。

 

1) 直接被災した駐在委員と現地雇用職員向け(A)

@  9,11当日の朝900頃にはどこにおられましたか(たぶん、ということで結構です)

A  周辺に同僚が何人くらいおられましたか

B  その中には現地採用の方もおられましたか?

  (現地採用の方がいたとしますと、彼女、彼らはどのような反応でしたか?)

C 最初に異変にはどのように気づかれましたか?

    (異変に気づかれた瞬間の印象は?)

D  その異変に対してはどのような対応をされましたか?

   (周囲の方々の反応は?)

E  非難しようとしたときに避難場所は決まっていましたか?

F 12時の時点では誰とどこにおられ、状況は把握されていましたか?

G  ご家族への連絡はどのようにされましたか?

   (ご家族にはなんと伝えましたか?、あるいは逆に、ご家族の方から何か伝えられましたか?)

H 9.12はどこでどのようにしていたかを教えてください。(差しさわりのない範囲で)

I  状況が飲み込めた後の気分、感情の状態を教えてください。

    (怒り、不安、焦燥感、徒労感、疲労感、見通しのなさなどなど)

J 職場ではどのように業務を再稼動させたでしょうか?(移転、事務機器の確保など)

K 職場からは、どのようなメンタルヘルス上の問題がありましたか?

    (眠れない、食欲がない、疲れやすい、周辺が気になる等々)

L 問題にはどのような手助けが必要だと思われましたか?

   (その問題には具体的な手助けがあったでしょうか?)

M 大使館にはどのような援助をしてほしかったですか?

N  9.11の体験を一言で言うと、いったい何が起こったのでしょうか

 

個別対応質問の例   

1 ○○さんの場合には、911以降、帰りたい、もしくは帰りたいものは返すというような渡米生活の選択枝が「会社」から提示はされませんでしたか?

2 ご家族は帰りたい、日本からも親御さんなどのご家族から戻って来い、という意見はありませんでしたか?

 

 直接に被災はしていないニューヨーク在住者向け(B)

@ 9,11当日の朝900頃にはどこにおられましたか (たぶん、ということで結構です)

A  最初に事件を知ったときの印象を覚えておられましたら教えてください。

B  ご自分も含み周辺の日本人の受け止め方はどのようでしたでしょうか。

C  911以降の職場の雰囲気に変化はあったでしょうか?

D  その変化に対しては何か対処をされましたか?

E  911はご家族にはどのような影響がありましたか?

F ご家族とは911についてなにか特別なことを話し合いましたか?

G  あなたや家族へのサポートはどこからかありましたか?

H  911以降、あなたや周囲の方々で体調とか感情の状態の変化がみられた方がありましたか? (「ある」とお感じの場合、例えば、怒り、不安、焦燥感、徒労感、疲労感、見通しのなさ、食欲がない、イライラする、寝つきが悪いなどなど)

I 職場では、何かメンタルヘルス上の問題が起こりましたか?

   (眠れない、食欲がない、疲れやすい、周辺が気になるなどなど)

J  ニューヨークでは日本からの派遣、赴任者と現地の採用の方がありますが、両者に911の受け止め方には差があったといわれていますが、あなたもそのように感じられましたか?

K   大使館・日本政府にはどのような援助をしてほしかったですか?

L  現在、被災者に対する民間の支援体制もあると聞きますが、どのような活動か知っ 

ておられますか?

M  9.11の体験を一言で言うと、あなたにとってはいったい何が起こったといえそうで

しょうか

 

個別対応質問の例

1 ○○さんの場合には、911以降、日本に帰りたい、もしくは帰って来てほしい、

       いうような渡米生活を継続するかどうかの選択を検討したことがありましたか?

2 ご家族は日本に帰りたい、日本からも戻って来い、という意見はありませんでしたか?

 

 

4.分析方法

@ インタビューを録音し、逐語録を作成する。インタビューを録音しない場合にはフィールドノートを作った。

A 逐語録および書面インタビュー、その他の公表されている資料から、テロ後の不安の中で暮らす人々はどのようなメンタルケアを必要としているのか、そしてそのニーズはどの程度充足されているのか、についての全体像を描き出す。

B  対象者ごとにインタビュー内容を解釈し、その共通性と差異を見出す。

C  データー分析の全過程で、質的研究の研究者からのスーパービジョンを得た。

 

 

V.方法と結果

1. データ分析方法

インタビュー対象者の事例研究は全事例の逐語データを文節ごとに区分し、コーディングを行い相互の影響について質的に分析した。また、対象者ごとに「911」が現在の生活にどのように影響しているのかについての要因の質的な分析を行った。また、全体の分析については木下の(2003)修正版GT法(M-GTA)に準拠してカテゴリー化を行い、限られた人数のデータではあるために偏った分析を防ぐ目的から、データ生成と分析の段階から、全過程の分析に質的研究者のスーパーバイズを得た。

 

事例分析はインタビュー質問項目から以下の視点で分析をした。

1)テロ事件前後の生活の様子と生活変化に与えた影響は何か

2)テロ後に生じた変化にはどのように対応したか

3)ケアプログラムあったか、それはどのように活用されたか

4)駐在社員と現地雇用社員との所属の違いにより、サポートは異ったか

5)公的な(領事館などの)支援には何を期待していたか

 

GT法(M-GTA)法によるカテゴリー化では、

(1)  分析テーマに照らしインタビュー対象者から得られたデータの相互関係の関連箇所に着目し、そのヴァリエーション(具体例)を、他の類似具体例をも説明できると考えられる説明概念を生成した。

(2)  概念の生成には、データのヴァリエーションから定義、概念の順にまとめの文章を作成した。

(3)  データ分析を進める中で、新たな概念を生成し、分析ワークシートを概念ごとに作成した。

(4)  ワークシートに具体例の、ヴァリエーションが2つ以上出てこない場合は、その概念は有効でないと判断し不採用とした。

(5)  生成した概念の完成度は類似例だけでなく、対極例も精査し比較する観点からデータを検討し解釈が恣意的に偏る危険性を防いだ。

(6)  生成した概念と他の概念との関係を個々の概念ごとに検討し、関連性の深い複数の概念をまとめてカテゴリーを生成し代表的と判断できるヴァリエーションを要約して命名し、その後カテゴリー相互の関係を検討して考察とした。

 

2. 倫理的配慮

(1)  インタビュー協力者に対し書面もしくは口頭、介在者を通して研究の目的を説明し、了解を得た。

(2)  本研究の参加には同意するが、所属や発言をそのまま使われることに不承知の方(複数)の意志を尊重し、データは研究者のみが使用し、テープは報告書提出後に責任をもって消去し、ご本人や家族、会社に不利益が生じない表現とすることを確約した。

(3)  インタビューを録音する際は、研究協力者の同意を得た。

(4)  プライバシー保護の観点から、報告書の情報は個人を特定できないように記号化した。

(5)  得られた情報は、本研究以外の目的に一切使用しない。

 

 

 

 

 

 

W. 結果

 37個の概念と7個のカテゴリー、<現実と向き合いながら生活している>、<自分の中に揺れ動く自分を感じる>、<自己の存在を否定しない>、<家族や友人との信頼関係を深める>、<自分らしさ、生きる目的を確かめる>、<何かと戦っていた自分に気づく><ここで生きることを肯定できる>が生成された(表)。

 

1. インタビュー結果の概要

重大事件発生後の心理的な負担と重圧と共存しながら海外に駐在する日本人が必要としている精神面でのサポートを明らかにするためのこのインタビューでは、被災邦人が二次的な障害を受けているのではないかということをひとつの仮説としていた。実際にインタビュー対象者は日々葛藤しながらも、この地に残り<現実と向き合いながら生活している>状態が続いており、迷いながらもニューヨークでの生活を継続し、一定の満足を得ていた。毎日の生活の中では特に06年になってから911を扱った映画が複数上映されたり、アフガニスタンに続いてイラク戦争が眼前に広がっており、これらの出来事はけっして新しい国家戦略による政治行動ではなくて、「あの911」と連続していた。

したがってインタビュー対象者は誰一人として「911」は終わっておらず、米国内の政治経済のあらゆる側面で<自分の中に揺れ動く自分を感じる>状態がさまざな姿を持ちながら続いている。「911」が直接に姿を現さなくとも、意識的無意識的にときに自分を悩ませ、ときに苦しませており、ここが自分にふさわしい場所なのかとまどっている姿もみられた。

直接に被災していない人、たとえば父親の仕事の都合で滞在していた学生に対しても日本に戻るとあらゆる人々から「大変だったね」と語りかけられ続け日本での生活を重荷に感じているという話も聞かされた。「911」は直接に被災した人だけではなくて「911」のその日にニューヨークにいたすべての日本人に影響を与えていたことが分かる。そのような生活を送りながらも自分の仕事場は今でもここにある、自分はここで生きようと決めたことに迷いを持ちながらも生活を続けている。確かに悲しいことは少なくないが、自分の意思は揺るがせたくないという<自己の存在を否定しない>という自信というよりはむしろ信念というべきものが自分を守り、生き残ることが必要であるという認識を立脚している。

特に、<家族や友人との信頼関係を深める>ことが公的な支援が得られない中では重要なサポートになっている。治療や介入と違ってサポートは広い意味での支え、生活基盤と一体的な関係性の構築とみることができそうであり、個人が生きる強さを支えている。今回のインタビュー対象者は、現在も会社の意向や、自分の意志のどちらでニューヨーク在住をしていたとしても、いずれも<自分らしさ、生きる目的を確かめる>ことに生きることの意味を見出している。その過程ではほぼすべての人が自覚の度合いは違っていても「911」からの時間の経過を歩みながら<「何か」と戦っていた自分に気づく>に気づいている。これは自分のおかれている状況に対する自覚を抜きには生き続けることは困難であることの証明であると思われる。「911」のそのときの自分のおかれている状況(会社もしくは日本政府から見捨てられたと認識している人もいた)を否定的にとらない人もいたが、「911」による社会意識の転換、その後の米国の国家としての変貌が「外国人としての自分」に厳然と突きつけられてもたじろがない強さがあるからだと考えられる。このような厳しい状況を経て、やっと<ここで生きることを肯定できる>ことにつながっている。厳しい状況の変化の中にあって公的(日本政府)な支援を得られなくても自分の存在を否定せずに、常に前向きに生きようとして希望と期待を失わない強さを示している。

 

 

2.政府、非政府の支援に期待するもの

 インタビュー対象者からは、911直後を除くと公的、私的にかかわらず何らかのメンタルサポートを利用したという人はいなかった。その理由は、日本語媒体で支援が受けられることは告知されるようになっているが(領事館のホームページ、ケーブルテレビ、ミニコミ誌などのほか口コミュニケーション)どれが自分にふさわしいものであるのかわからなかったり、仕事が忙しかったり、他の方法に自分を向かわせたりしていることが必要だと感じたりしていた。また、学童期の子どもがいる場合には、子どもについては教育機関のサポートが充実しているのでその点では安心していたという意見もあった。

 したがって当初の目的であったサポートプログラムについての利用者の意見の聴取、企業側の目的や方法については調査することができなかった。非政府の支援やネットワークに関してはインタビュー対象者のそれぞれが会社内、もしくは仕事以外のコミュニティごとの日本人同士のつながりを活用していた。やはり、遠くに出かけてまでサポートを受けるというよりも近くの顔のわかっている範囲での人のつながりが重要であるということが明らかになった。

 サポートの必要性ということでは、異口同音に領事館の「初動」に期待する言葉が聴かれた。「たった一回でいいから安否の確認をしてほしかった」というものである。インタビュー対象者はそれぞれに所属が違っており、何らかの援助は期待しないが、自分がここにいることを誰かに知っておいてほしかったということを強調した人もあった。

 

 

 

3. カテゴリーの説明

   以下、生成されたカテゴリーを説明する。その際、カテゴリーを構成する各概念を表し、各概念ごとに定義を示めす。本来はデータとした「生の声」を表記するべきであるが、複数のインタビュー対象者から発言、会話そのものが自分や自分の勤務先を特定されるので希望しないという申し出があったため概念と定義だけを示し、一部を考察の中で活かした。

 

1) 現実と向き合いながら生活している  

概念@ まだ思い出したくない 

定義: 自分が陥った事態の大きさに圧倒され直接には目を向けられない

 

概念A 自分に出来ることはなかった

定義: 未曾有の事態に強い無力感を感じている

 

概念B 生涯忘れられぬ悲惨な出来事

定義: 事実の重さに驚愕している感情が渦巻いている状態

 

概念C 助けがないので諦める気持ち

定義: 誰もが救いの必要な状態だが誰にも援助がないという現実

 

概念D 自分だけが被災したわけではない

定義: 諦めなくてはならないのは自分だけではないという自覚

 

概念E もっと不幸な人・家族がいた

定義: 自分も被災しているのにもかかわらず他の人を思う気持ち

 

概念F 自分達の身は自分達で守らねばならない

定義:  大惨事であっても誰も自分(家族)を守ってくれない

 

概念G  会社は社員を見放しているように感じた

定義: 復興を最優先することが会社から求められた

 

2) 自分の中に揺れ動く自分を感じる

概念@ 自分を見失わないようにした

定義:  誰にも相談できない状態で頼りになるのは自分

 

概念A 攻撃的な気持ちが沸き起こる

定義: 不安と圧力に反発する感情が生じている

 

概念B 助けを求めたいが言い出せない自分

定義:  言葉にならない思いがある

 

概念C 生きる力が足りなくなっている自覚

定義: 精神的、身体的な限界に気づいている

 

3) 自己の存在を否定しない

概念@ 何を信頼していいのか分からなくなっている

定義: 情報が錯綜している中で混乱している

 

概念A 何かの、誰かの役に立っているのか

定義: 自分の存在に他者との関係を重ねる

 

概念B ここで生きるしかない

定義: 誰も頼らずに生きていき続ける

 

概念C 毎日生きるので精一杯だった

定義: 全体を見渡すことなかなかできなかった

 

4) 家族や友人との信頼関係を深める

概念@ 家族や友人がいたからやってこれた

定義: 孤独な中にも支えられた人がいることで今がある

 

概念A 家族や友人を支えたいと思っていた

定義: 自分も被災しているのに人の役に立とうとしている

 

概念B 一緒に行動できる人をつくる

定義: 家族以外に自分を支え、支えられる人を見つけようと行動した

 

5) 自分らしさ、生きる目的を確かめる

概念@ 仕事を忘れたいときには忘れる

定義: 仕事以外にも目を向けて人生を考えている

 

概念A 意識的に元気なときの自分を取り戻す

定義: セルフケアの重要性を自覚し元気な自分をイメージする

 

概念B  異国で生きるということの実感

定義: 自分の内側での母国の存在を感じている

 

概念C 今のままの自分でいいという自己理解

定義: 今の自分を保つことへの自然な変化

 

6) 「何か」と戦っていた自分に気づく

概念@ 今思えば、強い不安を抑えていた

定義:  時間の経過とケアによって当時の自分の変化に気づく

 

概念A 自分が何か大きなものに脅かされていた

定義: 身動きのとりにくかった自分への圧力の正体を知ろうとする

 

概念B もし病気になったらどうしようか

定義: 誰も守ってくれないことに対する不安

 

概念C もし次のテロに遭遇したらどうしよう

定義: 状況が好転しているとは感じられず緊張が続いている

 

概念D 二度と経験したくはない

定義: 被災したときの恐怖の強さ

 

7)  ここで生きることを肯定できる

概念@ ニューヨークに来て良かった

定義:  大惨事に直面したことによって改めて経験を振り返った

 

概念A いろいろな人や出来事に出会えてよかった

定義:  国境を越えた人との出会いに意味を見出している

 

概念B まだまだやれることがあるはずだ

定義: 諦めそうになった自分を立て直している

 

概念C 社員全員が問題解決に向かって動ける

定義: 誰も置いてきぼりにしないという結束力ができた

 

概念D だれかにいつか語れるときがくるかもしれない

定義: まだ問題は終わっていないが少し希望を持てるようになっている

 

概念E 今は仕事ができる気持ちになっている

定義: 決められた仕事だけではなく、仕事に対する意欲が出てきた

 

概念F 自分の存在が少し見えた

定義: インタビューを受けて自分の経過を振り返った

 

概念G 新しい仕事や人との関係を考えている

定義: 現状を肯定し、さらに経験を広げようとしている

 

概念H人の役に立ちたいという気持ち

定義: 仕事以外でも人との関係を築こうとしている

 

 

X.考察

 

1) 現実と向き合いながら生活している  

今回のインタビュー対象者は、一人を除いて「まだ思い出したくない」という趣旨の発言をしていた。晴天の霹靂、秋晴れの一日が悪夢のような一日に突然変わることを目撃した生涯忘れられぬ悲惨な出来事、「911」に遭遇したすべての人々が自分の陥った事態の大きさに圧倒され現実に目を向けられない現状を述べている。目を閉じると崩れるビルやそのビルに突入する航空機の軌跡や逃げ惑う群集の中にいる自分の姿を見るのが怖いと述べた人もいる。その時点では自分に出来ることは何もなかったこと、それは避けようとすれば避けられたことではないのにもかかわらず、また、人類の歴史の中でも特筆すべき未曾有の事態だけに強い無力感を感じていた。なぜ、自分がここにいなくてはならないのか、生涯忘れられぬ悲惨な出来事に遭遇した自分がこの事実の重さに驚愕し感情が渦巻いている状態からどのようにしたら逃れられるのか、自問しながら立ちすくんでいたのであろう。事実、記憶が乱れたり、夜間の不眠など体調が崩れた状態になっている人々がいた。なぜ、自分がこんな目にあうのかという答えの出ない質問を繰り返している時期があったと話す人もいた。これを「助けがないので諦める気持ち」と表現した人がいたのだが、これは無理もない受け止め方だと理解できる。というのも誰もが救いの必要な状態だが誰にも援助がないという現実に直面しているからである。その一方で、自分だけが被災したわけではないので、諦めなくてはならないのは自分だけではないという自覚も生まれている。もっと不幸な人や家族がいるんだ、だから自分だけがつらいということを叫んではいけないと自然に抑制している。自分も被災しているのにもかかわらず他の人を思う気持ちがあり、同時に自分達の身は自分達で守らねばならないという葛藤に苦しんでいる。大惨事であっても誰も自分も家族も守ってくれないという実感がとめどなく押し寄せてくる。企業という安全網の中にあっても社員としての自分が見放されているように感じざるを得ないような復興の対策要員でしかないと感じているからである。

 

2) 自分の中に揺れ動く自分を感じる、

市内だけではなく全米が震撼とする中で、インタビュー対象者が自分を見失わないようにしているのは、誰にも相談できない状態で頼りになるのは自分だけだと感じているからである。なんとかこの難関を抜け出したいという強い思いがある。出口の見つからない強い気持ちは時としてやり場のない怒りとなって攻撃的な気持ちとして感情のコントロールを失い言葉に表現できない感情の渦巻きを起こす。強い不安と圧力には反発する感情や衝動が発生する危険は言語のコントロールを失わせる。無理もないことなのであるが、そうはなかなか思えずに「モノ」に八つ当たりしたり、アルコールなどに助けを求めた人もいた。言い出せないでいる自分が自然な反応をしているとは感じられず、社会性を保つためにエネルギーを費やしている。「911」以前の自分と同じように周囲と強調しながら仕事を続けようとしている。自分の力でコントロールできないことから、すべてのことが解決できないのではないかという悪循環を生んでいる。心理的にも生きる力が足りなくなっている感覚が自分にもたらされる。このことから精神的、身体的な限界に気づく人と、気づかない人に分かれていく重大な過程でもあったといえる。

 

3) 自己の存在を否定しない、

自分ではこのままではいけないと思いながらも、何を信頼していいのか分からなくなっている。情報が錯綜している中で混乱しているが、そのようなときだからこそ自分が何かの、誰かの役に立ちたい、そのことを通して自分の存在を確かめようとしていた。どのような事態が起きても自分の存在にしっかりと目を向けて安定しようとしている意思の力の確かさがある。その基盤となるものは、自分はここで生きるしかない、誰にも頼らずに生きていき続けるということが自分の拠りどころになっているからであると考えられた。これらの一連の出来事は、その瞬間に必ずしも自覚されているものではないが、今回のインタビューを通して。「毎日を生きることで精一杯だったんだ、全体を見渡すということはなかなかできるものではないのだ」ということはノンヒューマンな環境下では自然な反応だった、という答えにつながり安心をした人が複数見られた。「たったひとつの答えにたどり着くのに五年の歳月が必要だったのか」と気づく人もいた。

 

4)  家族や友人との信頼関係を深める

このままでは不安は強まるばかりであると感じていた人たちが、なんとかニューヨークに留まってこれたのは、家族や友人がいたからこそやってこられたという言葉で表現されている。見上げると黒煙が上がりガラスや外壁が崩れる人が落ちる光景を目にしたときの想像を絶する光景の中で、どこからも救いの手が差し伸べられない孤独な中にも支えられた人がいることで今の自分がある、ということを自分に言い聞かせている。

同時に、自分の存在によって家族や友人を支えたいと思っていた、自分も被災しているのにもかかわらず、だからこそ人の役に立とうとしている姿が見られている。それも自分だけの力ではなくて一緒に行動できる人をつくることによって視野の広がりが出てきている。家族だけではなくて仕事や趣味の仲間、同窓会、同郷人的な人のつながりが自分を支え、こんどは自分が支えられる人を見つけてあげたいと行動していた。

 

5) 自分らしさ、生きる目的を確かめる

自分でも自覚できないような激しい不安を乗り越えながら、仕事を忘れたいときには忘れる、次第に仕事以外にも目を向けての人生を方向付けている人もいた。これは意識的に元気なときの自分を取り戻そうとして、安心できる関係性を再構築しようする自然な行動である。日常生活の中にあってセルフケアの重要性を自覚し元気なときの自分をイメージアップすることを目指している。しかし、どこにいても自分らしくしたいと思うのだが現実は芳しくない。やはり異国で生きていくということの難しさを実感し、自分の内側では母国の存在を信じ、感じることによって安定が得られていた。「911」が個人の力だけでは超えられないような事態であることがこのことからも分かる。そのような個人の歴史や経験を根こそぎ動員して対処することによってやっと安定が得られて、今のままの自分でいいという自己理解に達することができている。あらゆる努力によって今の自分を保つことへの自然な変化こそが「911」を乗り越えるための方向を示していたのである。

 

6) 何か」と戦っていた自分に気づく

仕事が手につかない状態、家事に関心が向かないなどの状態の中でもなんとか安定できるような試みやセルフケアを保とうとするように個人としての努力はしている。そのときどきには自分でも気づいていなかったが、今思えば、強い不安を抑えていたのだと実感している。強い緊張や特定することのできない不安は、今回のインタビューなどの「振り返り」を通じて、やっと始められたと感じる人がいた。今の時点だからこそ、これまでの時間の経過とさまざまなケアを試せている。ここまでの時間が自分の変化には必要だったのだと気づいている。たしかに未曾有の出来事であり、それを直視できないような自分が何か大きなものに脅かされ、身動きがとりにくかった。そのような自分への圧力の正体を知ろうとしている。

そのときも今も、もし病気になったらどうしようかと誰も自分を守ってくれないことに対する不安や、もし次のテロに遭遇したらどうしようかと震えるような思いであると語った人は、同時に自分の核となるものが揺らいでいたと述べている。また、別な人は時間は経過しているが、状況が好転しているとは感じられず緊張は続いている。これではいけないと思いながらも、事態の大きさが二度と経験したくはないという被災したときの恐怖の強さと相まって、今でもこころの底で解決されないままで終われている。

 

 

7)  ここで生きることを肯定できる

だが、多くのインタビュー対象者は一様に今の生活を否定せず、ニューヨークに来て良かったと感じるときがあることを述べている。大惨事に直面したことによって改めてこれまでの経験をさまざまな方法、時間で振り返っていた。その中からこれまでのいろいろな人との出会い、幸せだった時間や出来事に出会えてよかった、と国境を越えた人との出会いを大切にしていることに意味を見出そうとしている。

 米国やニューヨークでのさまざまな出会いの中から、自分にはまだまだやれることがあるはずだ、と諦めそうになった自分を立て直している。企業の管理者や東京からの指示に、社員全員が問題解決に向かって取り組んだという例もあった。日本からの派遣であろうと、現地の雇用者であっても誰も置いてきぼりにしないという結束力が自然に出たと述べている。これは現地での雇用社員には違ったニュアンスを述べた人もいる。常に「別なメニュー」でこれはわかってはいたが、911のようなときにはより厳しい障壁と感じられたという意見である。

だが、両者に共通のこととしては、この事態を乗り越えれば、いつか、誰かにはこの苦しんだ気持ちを語れるときがくるかもしれないと思えることである。このことからは、まだ問題は終わっていないがこころのどこかにわずかかもしれないが、希望を持てるようになっているのではないかと推察された。なぜなら、今は改めて仕事ができる気持ちを持ち始めているからであると述べているからである。決められた仕事だけではなく、仕事を変えることも辞さないような意欲も出てきている。自分がどうしたいのか、自分はどのような存在なのかに目が向きはじめている。今回のインタビューを受けて自分の経過を振り返ったことによって新しい仕事や人との関係を考え、現状をできるだけ肯定し、さらに経験を広げようとしている。人の役に立ちたいという気持ち、仕事以外でも人との関係を築こうとしている。

 

 

Y.結論

 本研究では、当初は「テロ事件後の在米邦人に対するメンタルケアプログラム」を目指したが、質的研究手法によって被災者や直接には被災していないものの悲惨な状況を自分のこととして感じたニューヨーク在住者のインタビューの分析から未曾有の事態の体験の概念化を試みた結果、37個の概念と7個のカテゴリー<現実と向き合いながら生活している>、<自分の中に揺れ動く自分を感じる>、<自己の存在を否定しない>、<家族や友人との信頼関係を深める>、<自分らしさ、生きる目的を確かめる>、<何かと戦っていた自分に気づく><ここで生きることを肯定できる>が生成された。このインタビューで見出された結果は、5年という月日が経過しても今なお癒えることなく変化する感情と向き合いながら苦しくつらかった自分と向きあってきたニューヨークで生活する人々の意思の一端を明らかにすることが出来た。

 ハロルド・F・サールズ(1は、ノンヒューマンな環境を介しても、本来の対人的な感情を経験できることがあり、その場合には人の感情的な孤立を防ぐ手立てこそが必要であると述べている。「事件」は収拾してもその後の長い経過を人は生きていかなくてはならず自分を取り巻くすべてがノンヒューマンな環境との感情的な相互関係にならざるを得ない人や時がある。

研究者は本研究において心的外傷後ストレスという言葉によってすべてを包括することを注意深く避けてきたが、その理由は長期にわたる未曾有の経験というものがひとりひとりの個別の経験の軌跡(trajectory)をときに曖昧にすると考えたからである。どのような環境や経験であっても、ときにそれがある人の人生を左右することは確かである。しかし、同時に選ぶことのできない環境と経験と出会っても、人は不安定な状態を乗り越えて力強く生きていこうともするのである。

911」の経験は確かに悲惨で人生を破壊ないしは途絶させる結果をもたらしたが、同時にある人々の生活史には人生を振り返り家族や友人との関係に新しい地平を提供したことを否定することはできない。この経験を意識して切り捨てることはできないし、心的外傷の診断で多用される解離(「意識の特殊な一形式であって通常ならば連携しているはずの事象が相互に離散しているもの(2)などに人を追い込まないで、なんとか新しい道を見出し、歩き出すことができるようなサポートこそが必要であると考えられた。

 本研究を通して、国外において重大事態に直面した人々に必要なのは最低限度の政府の責任における個人の「環境と経験との闘い」への支援である。これは「たった一回の生存確認」から始まるといってよいのではないかと考えられた。誰の責任でもないことに対して公的機関の役割と責任の範囲についてはここでは論議しないが少なくともこのインタビュー対象者からはその強い期待が寄せられていることが分かった。いわばサポートプログラム以前の問題といってよい。人がどのような苦難を乗り越えて生きようとするのかということは政府の責任ではないが、被災者が自分と家族を守るのは自分にしかできないという孤立感を感じることだけは避けなければならない。

 

Z. 謝辞

   本研究の実施にあたり、「911」は、まだ語るべきではない、思い出したくないといわれながらも「何かのお役に立つなら」とお引き受けいただいた方も含めインタビューにご協力いただきましたニューヨーク在住者の皆様、ニューヨーク三田会の関係者の皆様、研究者にニューヨーク在住者のご紹介にご配慮いただいた皆様に深く感謝いたします。また、研究の計画から一貫して懇切丁寧なご指導と激励を賜りました慶應義塾大学看護医療学部杉本なおみ先生、質的研究についてご教授、ご指導いただいた恩師である国際医療福祉大学の岩下清子先生に心から感謝申し上げます。

 

 

引用・参考文献

1. ハロルド・F・サールズ, ノンヒューマン環境論,殿村忠彦他訳,2005,みすず書房

2.フランク・W・パトナム, 解離,中井久夫訳,2001, みすず書房

3. 中井久夫,兆候・記憶・外傷, 2005,みすず書房

4. ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」増補版, 2006,みすず書房

5.  A・ヤング「PTSDの医療人類学」, 2001, みすず書房

6. シェルドン・コーエン「ソーシャルサポートの測定と介入」,2004,川島書店

7. やまだようこ編著, 2002,人生を物語る―生成のライフストーリー,ミネルヴァ書房

8. 桜井厚,2003,インタビューの社会学ライフストーリーの聞き方,せりか書房

9. 木下康仁,2003,グランデッド・セオリー・アプローチの実践,弘文堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別紙、()概念とカテゴリー

 

概   念

カテゴリー

1

まだ思い出したくない

現実と向き合いながら生活している

 

2

自分に出来ることはなかった

3

生涯忘れられぬ悲惨な出来事

4

助けがないので諦める気持ち

5

自分だけが被災したわけではない

6

もっと不幸な人・家族がいた

7

自分達の身は自分達で守らねばならない

8

会社は社員を見放しているように感じた

自分を見失わないようにした

自分の中に揺れ動く自分を感じる

10

攻撃的な気持ちが沸き起こる

11

助けを求めたいが言い出せない自分

12

生きる力が足りなくなっている自覚

13

何を信頼していいのか分からなくなっている

 

自己の存在を否定しない

 

14

何かの、誰かの役に立っているのか

15

ここで生きるしかない

16

毎日生きるので精一杯だった

17

家族や友人がいたからやってこれた 

 

家族や友人との信頼関係を深める

18

家族や友人を支えたいと思っていた

19

一緒に行動できる人をつくる

20

仕事を忘れたいときには忘れる

自分らしさ、生きる目的を確かめる

21

意識的に元気なときの自分を取り戻す

22

異国で生きるということの実感

23

今のままの自分でいいという自己理解

24

今思えば、強い不安を抑えていた

 

 

「何か」と戦っていた自分に気づく

 

25

自分が何か大きなものに脅かされていた

26

もし病気になったらどうしようか

27

もし次のテロに遭遇したらどうしよう

28

二度と経験したくはない

29

ニューヨークに来て良かった

 

 

 

ここで生きることを肯定できる

30

いろいろな人や出来事に出会えてよかった

31

まだまだやれることがあるはずだ

32

ここ(NY)での生活を楽しみたい

33

だれかにいつか語れるときがくるかもしれない

34

今は仕事ができる気持ちになっている

35

自分の存在が少し見えた

36

新しい仕事や人との関係を考える

37

人の役に立ちたいという気持ち