平成18年度慶應義塾大学SFC研究所プロジェクト補助研究報告書
平成18年2月
患者・家族・市民向けのがん情報提供プラットフォーム
研究組織
研究代表者 冨田 勝 (慶應義塾大学 環境情報学部 教授)
共同研究者 森田 夏実 (慶應義塾大学 看護医療学部 助教授)
茶園 美香 (慶應義塾大学 看護医療学部 助教授)
石崎 俊 (慶應義塾大学 環境情報学部 教授)
宮川 祥子 (慶應義塾大学 看護医療学部 助教授)
研究協力者 池上 俊介 (石崎研究室/データセクション株式会社)
高橋 晴美、森末 真里、土屋 ともえ、船江 裕美
I.
はじめに
現在、がん患者とその家族が抱える悩みの中には、疾患や治療の内容に関するものの他に、どの病院にかかればよいのかがわからない、医師から提示された治療方針やフォローアップ方針をどのように評価してよいかがわからない、セカンドオピニオンをどのように活用すれば良いかわからないといった意思決定に関するものや、自分自身ががんに罹患したことで日常生活や仕事へのかかわりをどのように変えなければならないのか、再発予防のための生活の工夫、家族のがん治療のサポートのためにどのような制度やサービスが利用できるのかといった社会生活に関連するものも多い。疾患や治療の内容に関する情報は、医師からの説明や専門書などの情報源にあたることで得られる場合も多いが、意思決定や社会生活に関する情報は医療の枠組みの中では提供されることが少なく、患者・家族は問題を解決できないまま抱え込んでしまうケースも少なくない。国民の三人に一人ががんで亡くなるという状況の中で、このような「がん情報難民」を減少させるための情報提供プラットフォームが必要となる。
その一方、Web上ではブログなどの個人メディアにおいてがん治療に関するさまざまな情報が当事者から提供されている。ブログの中には自身の闘病記や身近な人ががんになった様子などを日記で公開しているので、検査などで自分ががんと知った時は同じ病状の人の日記を真っ先に調べ、参考にしている人が多いことも予想される。また、ブログはクチコミとして爆発的に情報が伝播するという特性があり、新薬や治療法、民間療法の情報などを検索するがん患者にとって、重要な情報源となる可能性がある。しかし、それらの中には効果が認められていない薬や、様々な流言中傷なども含まれ、不正な利益を得ている人々も存在すると言われている。また、ブログの多くは物語的に記述されたものであり、個別の問題について理解を深めることはできてもそれが他のケース、他の問題とどのように関連しているのか等について、専門的な研究成果を基盤にした俯瞰的な知識を得ることは難しい。また、多くのがん患者会では独自にQ&A集を作成しているところもあるが、社会生活に関連する問題を解決するために必要な特定の地域の機関やサービス提供者に関する情報までを網羅的に提供するまでには至っていない。
がん患者・家族・市民に対して闘病生活を支えるための信頼でき、かつ使いやすい情報を提供するシステムのデザインとプロトタイプの作成のためには、がん患者・家族・市民の視点での問題意識に対応した構造で情報を提供することが不可欠である。このため、本研究では利用者がどのような問題で悩んでいるのかについて、その内容と意味構造を分析し、それにもとづいた情報提供スキームのデザインを検討する。これによって、地域によって異なる、また時とともに変化する情報をつねに患者・家族・市民の問題意識に沿った形で提供可能となることが期待できる。
II.
研究目的
本研究の目的は、がん患者とその家族、および一般の市民に対して有益ながん情報を提供するために、患者・家族・市民がどのような情報を必要としているかに関するニーズを調査・分析し、インターネットを用いてそのような情報を収集・提供するためのシステムをデザインすることである。
III.
研究概要
本研究では、患者・家族の視点として、公刊されている闘病記およびWEB上に公開されているブログをデータとして用いる2つのアプローチを用いて、情報の分析をそれぞれの方法で行った。そしてこれらの視点を融合するべく考察し、今後の方向性を検討した。本報告書では、研究1.闘病記の分析、および研究2.ブログの分析として、それぞれの目的・意義・成果を記載した後、総合的な考察・課題を述べていく。
IV.
研究1.闘病記の分析
1)目的
1
がん患者自身の執筆による闘病記から、患者が経験している気持ちや心情および、患者のニーズを明らかにし、その関連性を検討する。
2
@から、患者に必要な情報や支援について考察する。
2)意義
患者自身が自分の言葉で自分の闘病経験を公刊することは、単に自分の生きた証を残すという意味に加えて、その種々の経験をもとに、同病者が経験するであろう辛さに対して、何らかの支援を開発してほしいという強いニーズが根底にあると考える。患者・家族および患者予備軍にとって他者の書いた闘病記が大きな支えになる。それのみならず闘病記は、明確に遂行され、そして素直な経験の表現として表されているため、医療者にとっては、医療者個々の人格を通して行う面接と比較して、の主観性に左右されないため、患者の経験を理解する貴重な資料である。
そのような闘病記を、医療者が、熟読し、患者の経験という視点に立った患者理解および支援内容の開発を試みることは、がん患者へのケアの質向上に資すると考える。
3)方法
対象:闘病記の選定は、1)がん患者自身のがん闘病経験の記録で、2)日本語で表現することの専門家であり、3)心情表現が豊かなもの、4)終末期看護学の専門家が推薦するものという条件で選定した。今回の分析は、患者の視点を明らかにすることが目的であるために、家族他によるものは除外した。医療者が執筆したものは、患者の純粋な視点を抽出するには不適当と判断した。
以上の条件から、今回は下記の3冊の闘病記を分析対象とした。
●上野創『がんと向きあって』晶文社、2002.(新聞記者)
●絵門ゆう子『がんと一緒にゆっくりと』新潮社、2003.(エッセイスト、元アナウンサー)
●藤田憲一『末期ガンになったIT社長からの手紙』幻冬舎、2006.
データ収集および分析方法:
1.研究者(2名)および研究協力者(4名)を、各闘病記に2名ずつ割り当て、それぞれの闘病記の中から、気持ちや心情を表している箇所を抽出した。
3.また、文中から、患者のニーズを示していると思われる箇所を抽出し、どのようなニーズなのかを検討した。
4.各闘病記から抽出された気持ち・心情および患者のニーズについて2名の研究者で照合しながら、がん患者の気持ち・心情、およびニーズについてカテゴリー化した。気持ちのカテゴリー化には森田の気持ちの構造を参考にした1)。
5.気持ち・心情およびニーズの関連性について検討し、患者に必要な支援について考察した。
4)成果
1.
闘病記の概要
『がんと向き合って』は、26歳男性の新聞記者が睾丸腫瘍を突然酷使され、直ちに左睾丸の切除術を受けたが、肺に転移していたため、大量化学療法を受けた。2度の再発と治療の経験を新聞に連載したものを基にして闘病記として出版されたものである。
『がんと一緒にゆっくりと:あらゆる療法をさまよって』は、元アナウンサーでエッセイストの女性が、43歳で乳がんの告知、西洋医学に頼らずあらゆる民間療法を渡り歩いた結果、疼痛その他の症状がひどくなり、西洋医学の治療を受けることになった。その経験を闘病記としてまとめたものである。
『末期ガンになったIT社長からの手紙』は33歳で進行がん(ステージVの未分化がん)を発病、治療、再発の経験を闘病記にまとめるという形で社長としての事業計画のひとつとして捉え、出版されたものである。
2.
闘病記から読み取れるがん患者の気持ち
闘病記に書かれているがん患者が持つ気持ちは、がんであることを告知されたときから始まっていた。がんと告知されてから、入院や治療、再発を経験しながら病気と共に生きていく中で、告知以前に患者自身が「私」と認識していた様々な「私」のあり様とは異なる「私」のあり様を経験していた。
個々の表現を経験している気持ちとして抽出し、これらをさらにまとめてカテゴリーとした。明らかにされたカテゴリーを、『これまでの私が崩れていく気持ち』、『私らしさが脅かされている気持ち』、『私を保ちたい気持ち』、『私を立て直したい気持ち』『私を取り戻した気持ち』、『新たな私を見いだした気持ち』の6つの大カテゴリーとした。経験している気持ち(《 》で示す)、カテゴリー(【 】で示す)、大カテゴリー(『 』で示す)を表1に示した。
表1 闘病記から理解できるがん患者が持つ気持ち |
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経験している気持ち |
カテゴリー |
大カテゴリー |
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ショック、信じられない、まさか私が? |
私らしい在り方から遠い気持ち |
これまでの |
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逃げ出したい |
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混乱している |
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実感がわかない、他人事の様だ |
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どうなるのだろう、怖い |
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〜すればよかった、悔しい |
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情けない |
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死ぬかもしれない |
命が脅かされるような気持ち |
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助かるだろうか |
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だめかもしれない |
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囚人のようだ |
ガラス張りの箱に閉じこめられたような気持ち |
私らしさが |
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ほかに行くところがない |
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取り残された感じ |
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プライバシーがない |
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恥ずかしい |
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絶望的だ |
心から血を流したままで生きる気持ち |
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無念だ |
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運命を決められていくようだ |
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戦線離脱の心境だ |
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現実を突きつけられてつらい |
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底なし沼に落ち込んでいくようだ |
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行きつ戻りつする気持ちだ |
私が揺らいでいる気持ち |
私を保ちたい |
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二つの気持ちが同居している |
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社会から切り離されたくない |
普通に接してほしい気持ち |
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「患者」から脱したい |
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心配してほしくない |
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家族に心配かけたくない |
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しかたない |
覚悟する気持ち |
私を立て直したい |
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〜するしかない |
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頑張らなくっちゃ |
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これからが本番だ |
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これまでの私に見切りをつける |
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精一杯だ |
生き抜きたい強い気持ち |
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必死だ |
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あきらめたくない |
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直りたい |
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どんなことでもやってほしい |
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生きていたい |
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〜と考えるようにしている |
前向きに対応する気持ち |
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期待している |
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〜をしたい |
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生きられる可能性を信じる |
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戻ってこられた |
現実感を取り戻した気持ち |
私を取り戻した |
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自分の身体をとらえられる |
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身体が楽になる |
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ありがたい |
感謝する気持ち |
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強い自分になった |
生きていくことを実感する気持ち |
新たな私を |
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生きていてよかった |
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うれしい |
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今のままでいい |
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がんのことをいつも考える |
死を見据える気持ち |
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再発するのではないか |
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@『これまでの私が崩れていく気持ち』は、身体症状の変化に気づくが、「あれ?」と思う程度で気にせずに放置したまましばらく経過し、病気ではないだろうかと受診した後、がんという受けたときに生じてくる気持ちを示している。がんを告知された後は、これまでの自分の存在の仕方とはかけ離れた存在と感じたり、命が急激に脅かされる感覚を伴った気持ちである。特に、今回の闘病記の著者のがん罹患年齢が20〜40歳代という成人期であり、この時期は配偶者を選択して家庭生活を営み始めたり、職業などを通して社会活動の中心的役割を果たしたりする時期である(p.22-25)2)ため、強くこの気持ちが表現されていたと考えられる。【私らしいあり方から遠い気持ち】【命が脅かされるような気持ち】の2つのカテゴリーが含まれる。
A『私らしさが脅かされている気持ち』は、手術や入院によって、プライバシーの侵害を感じたり、逃げ場のないところに閉じこめられた状況として認識されたりするときに生じる気持ちである。【ガラス張りの箱に閉じこめられたような気持ち】と【心から血を流したままで生きる気持ち】の小カテゴリーによって構成されている。医療者にとっては治療のためには当然のことだとされている入院生活の中で、患者はこのような気持ちを抱いていた。医療に携わる者は、患者が入院して治療を受けている際に、患者らしさが脅かされていると感じている現実をあらためて認識させられる結果である。
B『私を保ちたい気持ち』は、『これまでの私が崩れていく気持ち』や『私らしさが脅かされている気持ち』をあじわうことと通して、「私」を維持したいという欲求が現れている気持ちである。一方向に崩れたり、患者自身が抵抗せずに患者らしさが脅かされたりするのではなく、《行きつ戻りつする気持ちだ》や相反する《二つの気持ちが同居する》という気持ちを経験しながら、どうにか自分自身の在り方を保とうとしていることが示される。
C『私を立て直したい気持ち』は、私を保ちたい気持ちをもう一押しし、元に戻すべく積極的に動いていく気持ちを表している。がんであることを避けて通れない現実であれば、いつまでも不本意に受け身になっているのではなく能動的に取り組もうとする決意をしている。それが【覚悟する気持ち】となっている。そして、がんを放置していけば「死」に到ることを心身ともに実感しているため、とにかく【生き抜きたい強い気持ち】として表現されている。【前向きに対応する気持ち】はかけ声を出すように頑張ろう、という意気込みのみならず、思考や認知のレベルでもしっかり考えて、主体的に前向きに取り組もうとする姿勢が示されており、自分自身の存在や生活など立て直そうとする気持ちをあらわしている。
D『私を取り戻した気持ち』は、立て直そうとする姿勢や努力が実り、どん底からはい上がり現実の世界に戻ってこられたことを実感する気持ちを示している。《身体が楽になった》り、日常に《戻ってこられた》という気持ちから成る【現実感を取り戻した気持ち】と、心も体も認識も融合して、生きていることや周囲のサポートなど客観的な状況もふまえた上での【感謝する気持ち】を持つことで、自分自身を取り戻した状態を表している。
E『新たな私を見いだした気持ち』には、これまでの様々な苦しみや、努力等を通して、以前より強くなった自分や、生きている喜びを感じながら、過去の自分とは異なった新たな自分を見いだしたという気持ちを表している。これは、【生きていくことを実感する気持ち】としてまとめられたが、いくら生きていても、がんを罹患していることはひとときも頭から離れないという、がん患者特有の新たな状況も同時に浮きぼりになっている。したがって、新たな患者の状況には、強い私と同時に【死を見据える気持ち】というがんという病気からは決して離れることができないという、患者の気持ちの特徴が示されている。
これらの気持ちは、おおまかには時間的な流れにそって生じてくるが、がんの告知や治療、再発などの繰り返しによって出現の様相は多様であり、時間及び出来事との関連についての分析は今後の課題である。
3. 闘病記から読み取れるがん患者のニーズ
3冊の闘病記の中から、患者のもっているニ−ドについて分析した結果、〔自分を守るニーズ〕〔がんと向き合うニーズ〕〔自分の存在を認められるニーズ〕〔他者とのつながり続けるニーズ〕〔意味を持って生きるニーズ〕の5つのカテゴリー(〔 〕で示す)が抽出できた。それぞれのニーズは、表2の左欄に示すような小カテゴリー(< >で示す)が含まれていた。
表2 闘病記から理解できるがん患者が持つニーズ |
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小カテゴリー |
カテゴリー |
主ニーズ |
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衝撃から逃げ出す |
自分を守るニーズ |
いのち (生命)を 支える力 をえる ニーズ |
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苦しみから逃れるニーズ |
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快適さ・安心を感じとどけるニーズ |
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自分らしさを失わないニーズ |
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自分に生じていることを知るニーズ |
がんと向き合うエネルギーを満つニーズ |
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病気の状況に向き合うニーズ |
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よい医療を受けるニーズ |
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見通しを持つニーズ |
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希望を持つニーズ |
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自分の気持ちを話すニーズ |
自分の居場所を持ちつづけるニーズ |
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自分の存在を感じるニーズ |
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理解して認めてもらうニーズ |
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支援をえるニーズ |
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家族に気を遣うニーズ |
他者とつながりつづけるニーズ |
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仕事の継続・職場に気を遣うニーズ |
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意味づけるニーズ |
意味を持って生きるニーズ |
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生きていくニーズ |
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死について知るニーズ |
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[自分を守るニーズ]には、がんの告知を受け、生理的な調整によって自分かを守ろうとする反応が生じたり、自分の置かれている状況を広くとらえて自分を安定させようとしたり、自分の状況を察してそっとして
おくことを望んだり、がんと向き合うことを先延ばしにし押し寄せる悪い運命から逃げ出したいというような <衝撃から自分を守りたいニーズ>が存在していた。また、がんに伴う症状や抗がん剤治療によって生じるつらい副作用の苦しみを克服したり遠ざかることを望んだり、再発の恐怖を忘れたいというような<苦しみから逃れるニーズ>が存在していた。患者は、医療者との良い関係の中に身を置きたい、快適で落ち着いた時間空間や住居空間を保ち安心感を得たい、自己調整しながらバランスをとりつつエネルギーを保ちたいというような、<快適さ、安心を保ち続けるニーズ>をもっていた。さらにがんや治療によって変化する状況の中で、患者は自分の身体イメージを変えたくない、自己イメージを保っていたい、自分の価値観を変えたくないというように、これまでの自分自身を保とうとしたり、がんにかかっていて苦しい治療をしていてもこれまでのような日常生活の中で生きたい、そして、動揺する自分を立て直し本来の自分を取り戻したいというような、<自分らしさを失わないニーズ>が含まれていた。
[がんと向き合うニーズ]には、がんによって自分の身体に生じる異変が何かを明らかにしたい、医師の説明を自分のこととして理解したいのように、<自分に生じていることを知るニーズ>があった。また、自分を生理的に調整してがんの告知の衝撃に立ち向かおうとする身体的な状況や、がんを自分のこととして受け止め、がんになった自分の人生や生きている自分を受け入れようとし、コントロールできないことについて見方を変えて乗り切るというような、<病気の状況に向き合うニーズ>もあった。また、患者は心身の状態を考慮した情報提供を受けたい、専門家から自分の意向にそった、高いレベルの治療を受け支えてもらうことや、医療者と人間同士の関係を継続的に築くことを望むというような、<よい医療を受けるニーズ>があった。また、患者は、自分の力、将来、運命を信じたり、この先自分がどうなるかを知りたいと思うというような、<見通しを持つニーズ>を持っていた。さらに患者は、生きる希望をもちつづける、希望につなぐものを得る、もっと幸せになる、必ずいい結果がでるというような、<希望を持つニーズ>をもっていた。
[自分の居場所を持ちつづけるニーズ]には、誰かに自分の気持ちを話したいという、<自分の気持ちを話すニーズ>があった。また、がんと闘っている自分や治療を乗り越えて自分の存在をみとめてほしい、自分を擁護してくれる存在がほしい、<自分の存在を感じるニーズ>があった。さらには、抗がん剤治療のつらさをわかってほしい、ストレスをもっている自分を認めてほしい、がん患者の心情を理解してほしいやつらさを分かってほしいのような、<理解して認めてもらうニーズ>を持っていた。だれかにそばにいてほしい、愛情をうけたいというような、<支援を得るニーズ>が含まれていた。
[他者とのつながり続けるニーズ]には、自分のことで家族を動揺させたくない、親に心配かけたくない、家族を不幸にしたくないのような、<家族に気を遣うニーズ>があった。また、受診のために仕事に支障なく自分の居場所で自分の担っていた役割を遂行し社会とつながっていたいや、自分のために同僚に動揺や負担をかけたくないのような、<仕事の継続・職場に気を使うニーズ>が含まれていた。
[意味を持って生きるニーズ]には、起きている事態や人が生きること、自分ががんになったということの意味を見出したり、がんと闘っている自分のがんばりを認める、がんと闘ってきたことに充足感や達成感をもつというように、自分の経験していることを<意味づけるニーズ>をもっていた。また、今の命を最優先にし、生きる事のありがたさや、生きる希望を持って生きる、生きている証を感じる、自分の人生を生きるというように、<生きていくニーズ>があった。さらに、死がどのようにやってくるかを知ることや、自分の死の意味を知る、生きる希望を失った時に備えて死と向き合うというような、<死について知るニーズ>が含まれていた。
以上から、がんという告知を受けた後、患者には、まず【自分を守るニーズ】が生まれ、やがて、[がんと向き合うニーズ]へと変わっていく。その過程で、[自分の存在を認められるニーズ]が生じたり[他者とのつながり続けるニーズ]が生じることが考えられた。さらに、これらの過程をたどる中で、[意味を持って生きるニーズ]が生まれ、これにより、[いのち(生命)を支える力を得るニーズ]へと高まっていくことが考えられた。
4.
闘病記から理解できるがん患者の気持ちとニーズの関連性
これまでに明らかになった闘病記から理解できるがん患者の気持ちとニーズの関連について検討した。カテゴリーとして明らかになった5つのニーズの全てを統合すると、がん患者のニーズは、{いのち(生命)を支える力をえるニーズ}と捉えることができる。これらのニーズは単独で存在するのではなく関連しあっていると考えられる。今回はニーズ内の相互の関連性についての分析は報告していないが、次回の課題としたい。
患者は、これらのニーズを有しているが、様々な現実的な出来事に直面することでニーズと関連してそれぞれの気持ちを経験しているのではないかと推測される。そこで、それぞれのニーズと気持ち(カテゴリーのレベルで)の関連を検討した結果を図1に示す。
〔自分を守るニーズ〕は、【私らしい在り方から遠い気持ち】【命が脅かされるような気持ち】【ガラス張りの箱に閉じこめられたような気持ち】【心から血を流したままで生きる気持ち】【私が揺らいでいる気持ち】が関連していると考えられる。
〔がんと向き合うためのエネルギーをみつニーズ〕は、【私が揺らいでいる気持ち】【覚悟する気持ち】【生き抜きたい強い気持ち】【死を見据える気持ち】と関連すると考えられる。
〔自分の居場所を持ちつづけるニーズ〕は、【ガラス張りの箱に閉じこめられたような気持ち】【現実感を取り戻した気持ち】と関連していると考えられる。
〔他者とつながりつづけるニーズ〕は、【普通に接してほしい気持ち】【感謝する気持ち】と関連するとかんがえられる。
〔意味を持って生きるニーズ〕は、【生き抜きたい強い気持ち】【死を見据える気持ち】【前向きに対応する気持ち】【生きていくことを実感する気持ち】と関連すると考えられる。
これらは、単純に一対一の対応関係にあるのではなく、患者の置かれた家族・友人・職業などの社会心理的背景、価値観、信念、病状の進行や治療、医療者との関係などによって重みが変化すると同時に、生じる気持ちも変動すると考えられる。闘病記においても、発病、病名の告知、治療、再発、治療、再々発など、病気の進行と共にその気持ちやニーズが変化していた。今後は状況の変化に伴う関連についても検討していく予定である。
5.
がん患者の支援への示唆
今回の分析結果からがん患者への支援について考察する。まず、がんと告知されたとたん、患者自身の有りようが変化するため、自分自身を〔自分を守るニーズ〕がある。様々な気持ちが生じることは避けられないが、患者が自分を守れるようなサポートが必要となる。入院治療などでは、自分自身を脅かされていると感じているので、医療者は脅威を少なくする対応が求められる。また〔自分の居場所を持ちつづけるニーズ〕は、単に空間的な場所というだけでなく、家族や職場など他者との関係のなかでも気持ちや在り方など尊厳を持って自分の存在が認められることを意味している。特に医療者は、治療・身体症状への関心が高くなりがち(これも重要なことである)だが、同時に人間としての存在に対するケアが必須であることが改めて確認された。これらのサポートを通して、患者が〔がんと向き合うエネルギーを自分自身の中に満たしていけることへのサポートや〔意味を持って生きるニーズ〕への対応がさらに必要となる。
闘病記から読み取れる支援は、単に知識などの情報でなく、人が関わっていくことで満たされるニーズが浮き彫りになったと考えられる。これは、闘病記の著者たちは、それなりに知識などの情報は自分で収集し活用してきたという経緯があったことも一つの原因かもしれない。また分析を行った研究者はいずれも看護職のため、人が関わるニーズとして読み取ったということも考えられる。この点は、今後、支援をする人の立場により、ニーズの読み取りも多角的になることが予想される。
V.
研究2.ブログの分析
1)目的
ブログ等インターネット上の情報からの情報抽出と意味構造を分析し、がんに関するリアルタイムなトピックの視覚化を行なう。
2)意義
書籍やインターネット上のブログとして多くの闘病記が語られるようになり、数年前に比較して、人は簡単に多くのがん情報を得られるようになった。特にがん告知を受けた患者は不安と共に自分と似た症状の闘病記を読んで勇気づけられ、それに応えるために自身の闘病記を書く人も増えた結果、ネット上の闘病記は無視できないほどの大きな影響を患者やその周囲の人に与えていると思われる。
そのため、がん関係のブログを大規模に収集し、闘病記が実際にどのようなことが語られているのか、時系列に定量的な分析を行なうための手法を開発することは患者を取り巻く状況理解およびケアの質向上につながると考えられる。
3)方法
ブログを時系列に1000万記事単位で収集し、単語の発生確率や共起情報を基にがん関係の情報抽出およびがんに関するオントロジー(情報体系)の構築、関係する知識発見のコーパスとして利用するための基盤つくりを行なった。また、がん関係の用語に対する情報を自動抽出するアルゴリズムの研究を行ない、抽出した結果を見やすく可視化するためのデータセット作成する手法の開発を行なった。
これらの作成プロセスにおいて、第1アプローチによる結果との統合を図り、市民の視点を重視した内容を充実させることを重視した。また、将来的な課題としては、セマンティックWebなどでも使用される予定の概念記述言語を用いて、ブログから得た情報の意味情報を記述する手法を開発し、専門家や専門外の人たちへの分かりやすい情報の普及を図りたい。さらに、抽出した情報を可視化するためのツールを作成することで、動画の表示機能、連想情報の分析、要約機能、ブログの時系列的な比較などを行ないたい。
4)成果
1. 「がん」に関するブログ記事収集
ブログは個人が日々の雑感を日記風に書くのに適しているネット上のサービスである。国内主要ブログ事業社24社で開設されている約260万ブログの新着情報(RSS)を起点に記事のクローリングを行ない、2007年2月1日から23日までの間に収集された約2,000万記事から「がん」に関係するエントリーを解析するため、「胃がん」およびその同意語のキーワード/ストップワードを含む約2,000記事の抽出を行なった。
胃癌 |
胃ガン |
胃がん |
胃 ガン |
胃 癌 |
キーワード(単語内の文字間に空白がある場合はそれぞれの語をAND検索)
ストップワード
※以下のワードは「ガン」を含むが、抽出対象外としてストップワード指定を実施。
ガンバ |
ミシガン州 |
Νガンダム |
ガンダムウォー |
プロパガンダ |
スローガン |
エレガント |
ガンダーラ |
マンガン |
モリガン |
トップガン |
ウガンダ |
ガンダム |
オルガン |
ガンマ |
Gガンダム |
スタンガン |
ウォルフガング |
マシンガン |
ガンプラ |
フーリガン |
ハンドガン |
アフガン |
ガンバ大阪 |
ヤングガンガン |
ガンツ |
サブマシンガン |
Zガンダム |
エレガンス |
ミシガン |
カーディガン |
ボーガン |
サイコガンダム |
エアガン |
レーガン |
サガン鳥栖 |
パイプオルガン |
モーガン |
デスティニーガンダム |
ガンスリ |
ガンジー |
SDガンダム |
モルガン |
トライガン |
ガンダムX |
ガンダルフ |
ガンホー |
マリガン |
2. ブログ記事からの共起確率連想語の取得
(1)
3文単位に共起するワードの集計
抽出した「胃がん」に関するブログ記事内の文章を1文ずらしづつ3文単位に分割し、その文単位で共起情報の集計を行なった。
例)ブログ記事中の3文単位で集計とは
胸のつかえや痛み・胸焼けなどはストレスからくるものもあるらしいので、皆様もお気をつけくださいね。胃がんや食道がんなどは、初期症状がないらしいので定期的な検診がやっぱり大事みたいです。ところで、私のブロガー様の中でどれくらい胃カメラ経験のある方がいらっしゃるのかな〜〜?
上記の3文を一単位として形態素解析を行い、以下のように使用される名詞、動詞、形容詞の単語対の組み合わせをカウントしていくことである。
胸のつかえ − 痛み
胸のつかえ − 胸焼け
胸のつかえ − ストレス
・・・・
胸のつかえ − 経験
痛み − 胸焼け
痛み − ストレス
・・・・
胃カメラ − 経験
(2)
ベイズ推定による共起確率連想語計算
単語A→単語Bを連想する確率を測定するためにベイズ推定を使用する。ベイズ推定はスパムフィルタなどに使用されるアルゴリズムで以下の式で表される。
P(A) = a
P(A|B) = b
b/(b+a) の値が0.5で平均。0.9以上で関連度が高い。
2000記事の解析で約4万2千対の共起確率連想語が取得された。
解析元データがブログであるため、抽出された連想語は概念的なものよりも、「がん」に関する世の中のトピックにおける連想関係が抽出される傾向がある。
例1)「つらい」というワードの連想語
吉本興業の大助花子の大助が脳内出血で入院し、相方の花子が以前、胃がんを克服したニュースが「つらい」という言葉と共に配信され、多くのブログで転載されていることがわかる。
つらい:形容詞:吉本:名詞:point:0.98787
つらい:形容詞:大助:名詞:point:0.98624
つらい:形容詞:胃がん闘病:名詞:point:0.98309
つらい:形容詞:花子:名詞:point:0.98107
例2)「抗がん剤」というワードの連想語
岩手医大が、ぼうこうがん用のワクチンを開発し、抗がん剤に取って代わるものとして期待されるというニュースが多くのブログで話題になった傾向がわかる。
抗がん剤:名詞:投与:名詞:point:0.96964
抗がん剤:名詞:岩手医大:名詞:point:0.96726
抗がん剤:名詞:胃がん手術患者:名詞:point:0.95626
抗がん剤:名詞:センター:名詞:point:0.95443
抗がん剤:名詞:腎臓:名詞:point:0.95434
抗がん剤:名詞:生存率:名詞:point:0.95418
抗がん剤:名詞:療法:名詞:point:0.9538
抗がん剤:名詞:治療後:名詞:point:0.95229
抗がん剤:名詞:末期ガン患者:名詞:point:0.95229
抗がん剤:名詞:延命効果:名詞:point:0.95212
抗がん剤:名詞:基づく:動詞:point:0.94996
3. トピックの視覚化
あるキーワードを軸にその連想語を配置することで、そのキーワードのトピックの視覚化を行い、ビジュアルにトピックワードの関係性と記事分類を行なう。
中心となるキーワードAに対して、その連想語Bを周囲に配置し、さらにAとBに対する連想語Cを二次元上に配置。ブログ上でがん関係のキーワードAがどのようなワードとトピックと共に語られているかの視覚的な表現を行なった。
例)「岩手医大」は「膀胱がん」「ワクチン」と共に語られ、「抗がん剤」「副作用」は「グルカン」「安全性」と共に語られている。
4. ブログで語られるがんのトピックへメディアの影響
がんをキーワードにブログ検索を行なうと、話題のニュースに対して書かれた記事が大量に抽出され、その結果、今回解析を行なった連想語もニュースの文脈で語られている言葉の組み合わせが多く見られた。これらはがんに関連するキーワードが社会の上でいかなる言葉と共に語られているかをリアルタイムに俯瞰するトピック抽出として有効と思われる。
一方、今回は2007年2月に収集したブログ記事を対象に解析を行なったため、どうしてもメディアのニュースの影響が色濃く抽出された。収集した記事からブログ上の闘病記を自動判定し、そのブログの過去記事を中心に収集することのできるクローラを開発することができれば、より患者の心情に近い解析を行なうことができる可能性がある。
VI.
考察
本研究において分析対象になったものは、がん患者の闘病記と、がんをトピックとしたブログ記事である。闘病記は、ある継続的な経験を後になってから再構成して完成させる作品であり、ブログはリアルタイムな社会の縮図であるとも言える。これら2種類の手記の共通点は病気を実際に経験している人が、自分の経験を文章で表していることである。これらを人間の感覚でカテゴリー化を試みた結果とコンピュータ解析による結果は、成果の現れ方は当然異なっているが、人間の経験に言葉から接近し、がん患者あるいは家族、そしてがん患者予備軍としての市民の視点を明確にしていく基本的な調査として位置づけられる。
闘病記の分析は成人期患者、再発経験者という点で共通しているが、1000を超える公刊されている闘病記にはまだまだ様々な経験が語られていることが容易に想像できる。またカテゴリー化によってvividな表現は失われてしまうが、多様な表現を網羅することによって、より洗練した表現を用いたカテゴリーが抽出できることもまた事実である。今回の結果では、例えば、「ガラス張りの箱に閉じこめられたような気持ち」というのは、作者独自の表現に依拠している。また、ニーズでは「生きるエネルギー」という表現は、単に単語としての「エネルギー」ではなく、行間からにじみ出て闘病記の読者に伝わってくる「生きるエネルギー」そのものであったと言えるだろう。
ブログ解析からは、日々更新される日記という特性上、がんのリアルタイムなトピックを俯瞰し、日々書かれる大量のブログ記事を実際に読むことなく定量的な連想ワードから社会の関心がどこに注目されているかを視覚的に確認することができた。解析対象とする文書集合を今回のブログ全体の一方、特定の少数の闘病記ブログに限定することや、俯瞰したいキーワードを感情表現やがん用語に限定するなどの工夫することで、より患者の心情に近い解析を行なうことができる可能性があるだろう。
VII.
今後の課題
人間による分析では、文章の単語のみに着目するのではなく、文脈、行間などを読者(今回は研究(協力)者)が感じて認知した状況に基づいて気持ちやニーズを抽出している。一方、ブログの解析では、単語の共起連想語の確率として抽出された。この分析では文脈や意味の分析は、今後の課題であるが、単語の関連性が可視化されることによって文脈理解に迫っていけるだろう。これらのプロセスのなかで、がん患者がいだく気持ちやニーズなどのカテゴリー名の洗練も課題である。
今後の研究課題としては、まず、闘病記を第2アプローチで分析した比較を行うことで、分析成果を厚みのある内容とすることと、ブログを第1アプローチで分析してみることがある。
さらに、本来の研究の目標である患者・家族市民向けのがん情報提供プラットフォーム作成のために、幅広いデータを活用し、人間の感性とコンピュータによる解析の融合によって、新しいが本質に迫れる情報や情報を提供するためのシステムデザインを目指したい。
これらの課題達成のためには、本研究での成果を基礎として、厚生労働省のがん戦略研究、慶應義塾大学先端生命科学研究所と
これらの課題達成のためには、本研究での成果を基礎として、厚生労働省のがん戦略研究、慶應義塾大学先端生命科学研究所と
VIII.
文献
1)
森田夏実、血液透析療法を受けて生活している慢性腎不全患者の“気持ち”の構造、聖路加看護大学博士論文、2006.
2)
森田夏実編、新体系看護学19『臨床看護論』第2版、メヂカルフレンド社、2006.
3)
言語と計算 (4) 確率的言語モデル 言語と計算 辻井 潤一 (著), 北 研二 (編集)
4)
言語と心理の統計―ことばと行動の確率モデルによる分析 統計科学のフロンティア 10 甘利 俊一, 金 明哲, 村上 征勝,
永田 昌明, 大津 起夫, 山西 健司