2006年度SFC研究所プロジェクト補助 報告書 |
スポーツにおける効果的な知覚トレーニングの提案 |
総合政策学部 永野智久 |
1. 研究背景 |
以前より熟練競技者は“目が良い(sperior visionまたはgreat eye)”といった言葉を使った事例的な報告が、オプトメトリストを中心になされてきた。しかし、最近の研究報告では、そのような熟練者の視覚系ハードウェア(静止視力、動体視力、深視力など)の優位性を支持する研究報告は殆ど見られず、多くの研究で相反する結果が報告されている(例えば、Abernethy,
Wann, & Parks, 1998; Loran & MacEwen, 1995; Williams et al., 1999)。例えば、Helsen
& Starkes (1999)は、サッカー上級者と中級者を対象に、視覚反応時間、静止・動体視力、薄明視、周辺視野範囲などの視覚機能に関して調査を行った結果、両グループの視覚機能に一貫した相違が見られなかったと報告している。よって、今日では、「熟練競技者は非熟練競技者と比較し、優れた視覚機能成分を備えているわけではない(Abernethy
et al., 1994; Blundell, 1985; Hughes et al., 1993)」という見解が支持されている。それに伴い、研究者の興味は、視覚系ハードウェアから視覚系ソフトウェア(情報処理機能)にシフトしている(Ward
& Williams, 2003)。 また、熟練競技者の知覚的な優位性は、スポーツ特有の知識構造によって支えられていることが支持されている(Ericsson, Krampe, & Tesch-Romer, 1993; Ericsson, 1996)。さらに、Williams & Ward (2003)は、これまでの研究を振り返り、熟練競技者の知覚的な優位性を以下のようにまとめている。
さらに、Ericsson & Smith (1991)は、熟練パフォーマンスアプローチとして熟達研究に関する記述的な枠組みを提案している。その中で、熟練パフォーマンスの分析において、以下に示す3つの重要な段階があることを説明している。 [第1段階] 実際のプレー状況もしくは、それを模擬した実験室状況においてパフォーマンスを観察する [第2段階] プロトコル分析、眼球運動測定といったように、パフォーマンスのプロセスを計測することで説明される熟練パフォーマンスのメカニズムを決定する [第3段階] 効果的な練習を伴うことで、熟達に関するプロセスの詳細を記述する このアプローチは、スポーツ競技における高度なパフォーマンスを支える予測や意思決定といった知覚スキルを評価する上で、非常に重要な概念と成り得る。 また、湘南藤沢キャンパスにおいては、スポーツサイエンスとコグニティブエルゴノミクス(SSCE)プロジェクトのメンバーを中心に、熟練競技者特有の視覚探索行為に関する研究が進められている(図1参照)。例えば、サッカー(Nagano et al., 2004, 2006)、野球(Kato & Fukuda, 2002)、ゴルフ(Naito et al., 2004)、バスケットボール(久米, 2001; 落合, 2004)、ラグビー(上野, 2005)といった各種スポーツ競技の具体的なプレー状況において、周辺視システムの機能を有効に活用するような視覚探索ストラテジーが示されている。さらに、これらの研究成果を活用し、視覚情報の効果的な収集を促すような知覚トレーニングの方法について議論がなされている。また、今後も引き続き、刺激映像を時間的に遮断する方法、空間的に遮断する方法を用いることで、競技者が利用可能な視覚情報について、「いつ(when)」、「どこに(where)」視覚的な注意を向ける必要があるのかを明確にする必要がある。 |
図1: SSCEプロジェクトによって実施された眼球運動測定実験の様子 (左から野球、ゴルフ、サッカー、バスケットボール) |
2. 研究目的 |
本研究の目的は、高度なパフォーマンスを発揮する熟練競技者の予測、そして意思決定に関わる能力を明確にすることである。特に、オープンスキル(競技中の環境が絶えず変化し予測が困難な状況で発揮される運動スキル)を重要とするスポーツ競技において、対戦相手、チームメイト、もしくは道具(ボールやゴール等)といった視覚情報に対して、「いつ(where)」、「どこに(where)」といった時間的・空間的な視覚探索ストラテジーを明確にする必要がある。さらに、重要な情報を「どのように(how)」収集しているのか考察し、効果的なトレーニング方法を提案、さらには検証することが最終的な目的となる。 |
3. シミュレーション状況におけるパスコース予測実験 |
3.1. 実験の目的 |
実際のサッカーの試合を観察すると、対戦相手のパスコースを予測しようとするディフェンス選手は、キッカーのキック動作や敵味方の位置情報などを収集しようとする。その中で、特にキッカーのキック動作は予測の重要な要素と考えられる。実際に、ペナルティーキック状況のゴールキーパーは、キック動作を手がかりにし、シュートの方向に関する予測を行っている(Williams
& Burwitz, 1993)。 そこで、本実験においては、キッカーのキック動作のみをパスコース予測の手かがりとする際、どのタイミングで正確な予測が成立しているのかを明確にすることを目的とした。 |
3.2. 実験方法 |
(1) 被験者 被験者として慶應義塾大学に所属する5名の学生がシミュレーション状況におけるパスコース予測実験に参加した。そのうち2名を熟練者グループとし、3名を非熟練者グループとした。熟練者グループは、慶應義塾体育会ソッカー部及び現役Jリーガーで構成され、サッカー競技歴が10年以上であった。一方、非熟練者グループは、一般の大学生で構成され、中学以上でのサッカー競技歴はなかった。 (2) 実験装置 被験者の眼球運動を測定するために、野球帽型の小型・軽量眼球運動測定装置EMR-8B(ナックイメージテクノロジー社製)を用いた。また、刺激映像の再生にはHDVカメラHDR-FX1(ソニー社製)、刺激投影にはビデオプロジェクターVPL-HS10(ソニー社製)を使用した。 (3) 刺激映像 同一選手によるキック動作を刺激映像として撮影した。刺激選手にはキッカーの正面に立つディフェンス選手の視野を代替するように設置された撮影用カメラの正面に立ち、あらかじめ指定した5方向(左下、右下、左上、上、右上)を狙ってパス動作を遂行するよう指示した。さらに、キック動作を4つの特定フレーム(助走開始後の1歩目、軸足接地、インパクト、インパクト後2フレーム)で遮断するように映像を編集し、刺激映像集とした。上記の4つの特定フレームを時間閉塞ポイントとした(図2参照)。 |
図2: 刺激映像における時間閉塞ポイント |
(4) 手続き 被験者には、キック動作中の特定のフレームで遮断された刺激映像を提示し、どのコースにボールがパスされるかを予測し、そのパスコースを素早く口頭で答えるよう指示した。実験の様子を図3に示す。 |
図3: パスコース予測実験の様子 |
3.3. 分析方法 |
(1) 予測パフォーマンス 刺激ビデオ映像の各時間閉塞ポイントにおいて、予測の正答試行を得点化し、両グループで比較した。その際、水平垂直方向ともに正答の場合は1点、水平方向のみ正答の場合は0.5点とし、15点満点で予測パフォーマンスを評価した。 (2) パスコース別正当試行割合 予測テストにおけるパスコース別の正答試行割合について、時間閉塞ポイント間で比較した。その際、水平垂直方向ともに正答の場合を正当試行とした。 (3) エラータイプ 予測テストにおけるエラータイプを水平方向エラー、垂直方向エラー、水平垂直方向エラーの3つのタイプに分類し比較した。 |
4. 実験結果と考察 |
4.1. 予測パフォーマンス |
各時間閉塞ポイントにおける予測パフォーマンスについて比較した(図4参照)。 |
図4: 両グループの予測パフォーマンス |
いずれの時間閉塞ポイントにおいても熟練者グループが非熟練者グループよりも優れた予測パフォーマンスを示した。特に時間閉塞ポイント1においては、有意な差が見られた。また、熟練者グループは、時間閉塞ポイント2の予測正答率が約80%に達していることから、キッカーの軸足が地面に接地する時点でパスコースの予測をほぼ確立していると考えられる。 |
4.2. パスコース別正答試行割合 |
両グループのパスコース別の正答試行割合について、時間閉塞ポイント間で比較した結果を以下に記す。時間閉塞ポイント1において、熟練者グループは、左上(67%)、右上(50%)の正答試行割合でチャンスレベル(20%)を大きく上回っていた。一方、非熟練者グループは全てのパスコースの正当試行割合が0%であった。これらの結果から、熟練者は右上及び左上のパスコースについてはキッカーの助走開始時の特徴を即時に認識し、予測に結び付けていることが推測される。特に、右上、左上のパスコースにキックをする際、キッカーはボールの下を足のインフロント(つま先に近い)部分で蹴り上げる必要があるため、助走動作に影響を与えることが予想される。 時間閉塞ポイント2以降について、熟練者グループの予測正当試行割合が全てのコースにおいて急激に上昇していた。一方、非熟練者は不規則に上下動を繰り返す傾向が見られたことから、規則的な予測が確立されていないことが示唆される。 |
4.3. エラータイプ |
熟練者グループについて、時間閉塞ポイント1及び2において、絶対的なエラー(垂直水平方向エラー)が40%を下回っていた。さらに、時間閉塞ポイント3において約90%が垂直方向のみのエラーであった。一方で、非熟練者グループについては、時間閉塞ポイント1において、絶対的なエラーが93%に達していた。さらに、時間閉塞ポイント3においても、絶対的なエラーが22%あり、時間閉塞ポイント4においても約90%が垂直方向のエラーであった。また、Williams
& Burzitz (1993)によると、熟練者はキッカーの足とボールのインパクト前に水平方向を、インパクト後に垂直方向を判断していると示唆している。つまり、熟練者は、キック以前の助走動作から、水平方向の正確な予測が可能であり、インパクト後のボールの弾道により垂直方向を判断するべきだと考えられる。よって、キック直前までは、左か右かだけを判断するように助走動作から事前の情報を収集し、キック直後に上か下かを見極める方略が、高いパフォーマンスを導く要因となり得ると考えられる。 |
5. 総括と展望 |
本研究の最終的な目的は、予測の正確性がパフォーマンスを左右する環境において、重要な情報を「どのように(how)」収集しているのか考察し、効果的なトレーニング方法を提案することである。本報告書では、対戦相手のキック動作のみからパス方向を予測するという比較的、視覚情報の少ない状況を設定し、競技者の予測に関わるストラテジーを記述した。特に、高い予測パフォーマンスを発揮した熟練者は、キックの助走動作中にパスコースの水平(左右)方向を見極めることが可能で、キック後に垂直(上下)方向を見極めるという予測ストラテジーが明確に示された。 今後は本報告書で得られた結果に加え、競技者の視覚探索ストラテジーを明確に記述することで、「いつ(where)」、「どこに(where)」、そして、「どのように(how)」情報を捉えることが、正確な予測に結びつくのかを明確にする必要がある。また、そこから得られた成果をもとに、効果的なトレーニング方法を模索し、検証することで、実用的なトレーニング方法が確立されると考えられる。 |
参考文献 |
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学会発表 |
永野智久, 加藤貴昭. (2006). サッカーにおける予測能力と視覚探索行為に関する研究. 日本スポーツ心理学会第33回大会, 12月, 沖縄. 金志尚, 加藤貴昭, 永野智久. (2006). パスコース予測における熟練サッカー選手の視線の動き. 日本スポーツ心理学会第33回大会, 12月, 沖縄. |