2009年度SFC研究所プロジェクト補助研究報告書

 

研究課題「ネットワーク分析による政治的つながりの可視化」

 

土屋大洋 政策・メディア研究科准教授

加茂具樹 総合政策学部准教授

 

研究概要

 

 本研究の目的は、近年発達著しいネットワーク分析の手法を用いて、いくつかの政治的つながりに関する分析を行うことである。これまである行為や現象の決定要因を行為者の属性に帰する分析を行うことが一般的であった研究分野において、ネットワーク分析の手法を導入することによって、分析者が予想もしなかったような「つながり」を発見することができるかもしれない。こうして発見された「つながり」は、ある行為や現象の決定要因について、これまでとは全く異なる「仮説」を導き出す可能性がある。また、これらの成果を踏まえてネットワーク分析の応用の可能性と課題を検討する

 

研究意義

 

本研究の目的は、近年発達著しいネットワーク分析の手法を用いて、いくつかの政治的つながりに関する分析を行い、その成果を踏まえてネットワーク分析の応用の可能性と課題を検討することである。

政治におけるネットワークの重要性は、従来から直感的には認められていたものの、実証的な研究には困難が伴っていた。しかし、コンピュータ及びデータ獲得方法の発達に刺激されたネットワーク分析の様々な分野への応用がはじまっており、政治的つながりの分析にも応用可能になっている。「ある行為を決定する重要な要因は、その行為者を取り囲むネットワーク(関係構造)である」という考え方にもとづくネットワーク分析の手法は、ある行為や現象の決定要因にかんする仮説の「検証」の手段として有用である。その一方でネットワーク分析の手法は、新しい仮説の「発見」の手段としても可能性を秘めている。

特に、これまである行為や現象の決定要因を行為者の属性に注目して分析を行うことが一般的であった研究分野において、ネットワーク分析の手法を導入することによって、これまで分析者が予想もしなかったような「つながり」を発見することができるかもしれない。こうして発見された「つながり」は、ある行為や現象の決定要因について、これまでとは全く異なる「仮説」を導出する可能性がある。

 

研究背景と目的

 

政治現象におけるネットワーク分析は、立法過程や世論、国際関係、利益集団などを対象として行われてきた。しかし近年まで、大きなパラダイムとはなってこなかった。無論、数理分析や計量分析のなかでネットワーク的な思考が黙示的には取り扱われてきたが、ネットワークそのものが中心的に取り扱われてきたとは言いにくい。それでも、いくつかの先行研究が見られる。例えば、ホイノッキ(Marie Hojnacki)とキムボール(David C. Kimball)は、利益集団と議会内委員会の委員との二部関係(dyadic relationship)に注目し、誰が誰にロビーイングするかという関係を分析している(Marie Hojnacki and David C. Kimball, Organized Interests and the Decision of Whom to Lobby in Congress,American Political Science Review, 92-4 (1998), pp.775-790)。ムッツ(Diana C. Mutz)は個人がもっている社会ネットワークが民主政治における各人の政治的判断に影響する事を指摘している(Diana C. Mutz, Cross-Cutting Social Networks: Testing Democratic Theory in Practice,American Political Science Review, 96-1 (2002), pp.111-126.)。

日本の議院内閣制においては、党派や派閥が議員の動きを強く拘束するので、ネットワーク分析を応用することは難しい。しかし、族議員と呼ばれる政治家たちは、それぞれの利害関心領域を共有するという意味でのネットワークを派閥横断的に形成しているとも考えられる(猪口孝、岩井奉信『「族議員」の研究―自民党政権を牛耳る主役たち―』日本経済新聞社、1987年)ので、そこにネットワーク的な要素がないわけではない。一方、アメリカ議会を見ると、二大政党制でありながらもほとんど党議拘束はないため、ネットワーク分析に適した素材となっている。

また国際政治分析でもネットワーク分析の概念と手法が用いられるようになってきている。例えば、ラセット(Bruce Russett)らによる民主平和論は、戦争の可能性を分析する際、各国の特性を分析する従来のやり方に対して、国と国とのペアを分析するという一種のネットワーク分析を行った(ブルース・ラセット(鴨武彦訳)『パクス・デモクラティア―冷戦後世界への原理―』東京大学出版会、1996年)。それに刺激された後続研究では、ネットワーク分析の視点を積極的に取り入れている(Zeev Maoz, Network Polarization, Network Interdependence, and International Conflict 1816-2002,Journal of Peace Research, 43-4 (2006), pp. 391-411.)。また、2003年にはじまったイラク戦争において、フセイン大統領が拘束された際には、社会ネットワーク分析の視点が有用だったという指摘もなされている(Brian J. Reed and David R. Segal, Social Network Analysis and Counterinsurgency Operations: The Capture of Saddam Hussein,Sociological Focus, 39-4(2006), pp. 251-264.)。

以上のような先行研究の取り組みに触発されるかたちで、本研究の研究組織構成者は、それぞれ専門とする政治学あるいは国際関係論の各研究分野にたいして、ネットワーク分析の手法の導入を試みた。

同分析を導入することによって、第一に、これまで「構造」に注目しがちであった政治分析に「関係」の視点をより強く導入することが可能となると期待できる。ネットワーク分析の利点は、データにもとづいてその関係をよりはっきりと定義し、つながりを可視化することが出来る点である。

第二に、社会的ネットワーク分析の概念と手法の発展とコンピュータ処理によって大量のデータ処理が可能になる。データを大量に蓄積できれば、これまでと異なる分析の視点と結果を得られる可能性がある。

第三に、こうしたネットワーク分析は、仮説の検証というだけではなく、新しい仮説の発見という役割を担うことにもなる。作業仮説として得られた関係を、ネットワーク分析を用いて検証することが重要な作業になる一方で、いままで気が付かなかった関係を、大量データ分析をつうじて浮かび上がらせることで新しい仮説が多く提出され、検証がかさねられ、政治分析の理論的な発展が期待できる。

 

研究成果

 

 研究プロジェクト補助申請書に記載したとおり、半年間の研究期間だけで「ネットワーク分析の応用の可能性と課題を検討すること」は困難である。本年度は、研究活動の基礎を固めるために、四つの活動に力点をおいた。

 第一に、政治ネットワーク分析を用いて分析をする中国の地方議会(人民代表大会)にかんする資料・史料収集をおこなうことである。中国の地方議会の資料・史料収集については依然十分な資料収集をおこなうことができていない。地方議会という極めて政治的な分野に関する資料であるために、当初予定していた地方公文書館での資料・史料収集は容易ではない。これまでネット上に公開されている資料(江蘇省揚州市、江蘇省張家港市、浙江省紹興市、湖北省十堰市)については十分に収集してきた。しかしこれは現在の議会の資料であり、より重要であるのは、過去の地方議会の活動にかんする資料・史料の収集である。そのためには地方公文書館を直接訪問し、公文書館資料・資料管理担当者と直接交渉して閲覧の許可を得る必要がある。本年度は、さまざまな機会と手段をつうじて資料・史料を閲覧するために、いくつかの地方公文書館にたいして、閲覧を求めるべく申請・働きかけをおこなってきた。その結果、ようやく2010年2月末になり、河北省石家庄市公文書館の資料を調査することが可能となったとの情報を得た。来年度以降は同公文書館の資料を積極的に収集して行くこととしたい。

 第二に、中国の地方議会における「政治的つながり」の実態について、政治ネットワーク分析の手法による分析結果と比較するために、伝統的な手法(限定された資料を通説となっている政治組織に関する理解にもとづいて分析する)での分析を試みた。その成果の一部として、複数の学会およびワークショップでの報告を試みた。一つは2009年11月8日(日)に開催された日本国際政治学会2009年度研究大会部会13「中国の政治参加とボトム・アップの政治改革」での報告(加茂具樹「中国地方政治における政治参加―地方人民代表大会代表の行動の特徴」)である。またいま一つには、2010年での報告(加茂具樹「疑似代議機関としての人民代表大会」:中国語報告「从“党的人大”变为“人大中的党”—化中的人民代表大会」)である。

 第三に、中国江蘇省揚州市の人民代表大会(人代)におけるデータを基に、UCINETというソフトウェアを使ったネットワーク分析を行った。図1および図2はその結果の一部を示したものである。初期的な分析では、大きなクラスターが形成されており、少数のハブ的な役割を担う人物がそれらのクラスターをつないでいることが分かる。あるいは、他のクラスターとはつながらないクラスターも存在し、結束の強いクラスターがある可能性を示唆している。こうした分析を補うために、上記のような資料・史料収集やインタビュー調査を行う予定であったが、日程の都合が付かず、行うことができなかった(別資金により2010年3月に現地調査を行う予定である)。この分析を今後深め、論文としてまとめる予定であり、米国の学会にプロポーザルを提出しているところである。


 

図1 揚州市人代におけるネットワーク分析の例(1)

注 ソフトウェアの仕様により中国名が一部文字化けしている。

 

図2 揚州市人代におけるネットワーク分析の例(2)

注 ソフトウェアの仕様により中国名が一部文字化けしている。


 第四に、必ずしも地方政治に絞らないで、一般的に中国政治とネットワークの関係に関する調査も行った。折しも、2010年1月12日、米国のインターネット検索会社グーグルが中国政府に対しインターネットの検閲撤廃を求めることを明らかにし、同時に、グーグル社が提供する電子メール・サービスが中国からのサイバー攻撃を受けたことも発表した。そして、中国政府との交渉が決裂すれば、中国市場からの撤退する可能性も示唆した。米国政府もすぐにこれに反応しており、国務省の広報担当者が「すべての国はネットワークの安全を維持する義務がある。それには中国を含む。ネット上の不正行為は犯罪とすべきだ」と語るなど大きな問題となった。米国のヒラリー・クリントン国務長官は、1月21日午前、米国の首都ワシントンDCのニュースに関する博物館「ニュージアム」で演説し、「情報ネットワークの拡散は、われわれの地球の新しい神経系を形成しつつある」と述べ、「権威主義体制の国々でも情報ネットワークは、人々が新しい発見をするのを手助けし、政府をより責任あるものにしている」と指摘した。そして、米国国務省は外交的な課題としてインターネットの自由の問題に取り組んでいくことを表明した。これに関連する論考を書籍の一部として刊行することができた(土屋大洋「世界情報社会サミットと中国外交――インターネット・ガバナンスをめぐる単独主義?」大矢根聡編『東アジアの国際関係―多国間主義の地平―』有信堂、2009年、7296頁)。

 第五に、中国政治におけるネットワークの役割を理解するため、20101月に澳門(マカオ)で開かれた「e-CASE & e-Tech 2010」というカンファレンス(http://www.e-case.org/2010/index.html)に参加した。このカンファレンスは台湾の大学関係者が中心となって開いたもので、e-Commercee-Administratione-Societye-Educatione-Technologyをテーマとする多くのパネル発表が行われた。ポルトガルの植民地であった澳門で開かれたこともあり、ヨーロッパからの参加者も少しあったが、焦点は中華系の人々が新しい情報通信技術をビジネス、政府、社会、教育、技術においてどう活用しているかという点にあった。カンファレンスの発表を通じて得られた印象は、日本と比べると情報通信技術のインフラストラクチャ整備が進んでおらず、必ずしも十分な活用が行われていないというものだった。しかし、参加者との議論を通じて、インターネットや携帯電話といった情報通信技術の普及による社会変化に対する期待が大きい反面、それに伴う不安もあるということが分かってきた。例えば、グーグルと中国政府の問題について聞いてみると、欧米では政治的な検閲は否定的に捉えられているが、中国政治的な文脈では中国政府による情報統制を支持する声もあった。

 

今後の課題

 

 本年度の研究成果は、われわれが当初求めていたレベルには必ずしも達していない。特に揚州市のネットワーク・データの分析とそれを補う現地調査が大きな課題として残った。そして、それを通じた新しい仮説の発見もまだ十分とはいえない。

 しかし、全体を通じた活動の結果、本年度の一応のまとめとして言えることは、中国政治は予想以上にネットワーク的であるだろうということである。中国政治は、法治ではなく人治であるとしばしば指摘されている。世界貿易機関(WTO)加盟などを契機として法治社会への転換は進められているが、人間関係を通じた政治の役割が依然として大きい。中国共産党あるいは中国政府は巨大な官僚機構のように考えられている。しかし、西洋的な官僚機構とは役割と権限の分散を旨としており、それぞれのポジションを担う人間の人間性に依存しない。中国の政治機構ではそれぞれの人間が持つ関係が重要な役割を担うとすれば、きわめてネットワーク的なつながりであるといえるだろう。そうしたネットワーク的なつながりの強さを揚州市のデータは示唆している。この点を裏打ちする追加調査と論文へのアウトプットが今後の課題として最も重要である。

 また、インターネットのような情報通信技術とインフラストラクチャは、そうした人的なネットワークをどう変えていくかという点も課題として浮かび上がってきた。中国は世界で最もインターネット利用者の数が多い。そうした技術が政治的な秩序の維持に影響するのか、グーグルが提起したような検閲制度を切り崩すのか、あるいは強化するのかは興味ある論点である。情報通信ネットワークはしばしば政治的な神経系にたとえられる。中国の人々がこの技術を統治に活かすことができるようになれば、これまでとは異なるeデモクラシーのモデルとなるだろう。

 

以上