平成21年度慶應義塾大学SFC研究所プロジェクト補助研究報告書      平成22228

 

 

スピリチュアルケア実践能力向上プログラムの試み

 大学病院に勤務する看護師に対する試みとその評価 Pilot Study

                                             

 

研究代表者

新藤 悦子

(慶應義塾大学看護医療学部 准教授)

 

<研究組織>

茶園美香(慶應義塾大学看護医療学部 准教授)

近藤咲子(慶應義塾大学病院 看護師長)

中尾真由美(慶應義塾大学病院 看護師)

原 敬(利根中央病院緩和ケア診療科医長)

本多昌子(利根中央病院緩和ケア認定看護師)

 

 

T.研究の背景

近年、緩和医療の分野においてスピリチュアルケアへの関心が高まっているが、この領域の研究は開始されたばかりであり、基礎教育のみならず、医療現場においても十分な教育が行われていないことと、実践できているとはいえない状況にある。

スピリチュアルペインとは「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」と定義されている。このような人間存在そのものに関連した痛みに対して、生きる意味を見出すことへの援助をスピリチュアルケアと定義されている(村田、2003)。人間は誰でもスピリチュアリティを持っており、それが生きることの根幹をなしている。しかし、さまざまなな何らかの身体的、心理的危機的状況になった時、スピリチュアルペインとして表出される。特にここでは終末期がん患者のスピリチュアルペインとそのケアに焦点を当てた。

患者のスピリチュアルペインは、予測されないときに、予測されない場所で、言語的に表現されることが多く、その場に遭遇した医療者が、患者の表現からスピリチュアルペインがあることを受け取って、それを緩和する役割を担うことになる。特に看護師は、患者に接する時間が長いために、このような場面に遭遇することが多い。しかし、スピリチュアルペインに気がつかなかったり、気がついても適切に対応できていないのが現状である。

看護師は、患者のスピリチュアルペインに対して、ケアを十分行なっていないという思いを抱き、スピリチュアルペインを持つ患者に関わることを苦痛に感じ、それがストレスになり、看護師としてのやりがい感を見失うことにもつながっている。一方患者としては苦痛が緩和されない状態で、痛みを感じたまま大切な時間を過ごすことになる。

菊井ら(2006)の研究においても、がん患者に対するスピリチュアルケアは、最も患者に接している看護師が行う機会が多いことを明らかにしている。しかし、看護師に対するスピリチュアルケアの教育では、概念が紹介される程度で、専門家に対する教育は、未だ十分ではないと述べている。教育によって、看護師が、スピリチュアルペインの概念や構造、それに対するケア法について理解を深めて、実践する能力を高めることによって、患者の苦しみが和らぐだけではなく、看護師のストレスが軽減し、積極的に患者に関わろうという意識が高まり、やりがいももてるようになることが考えられる。それは単に基礎教育のみではなく、卒後教育が重要であると考える。その教育を受けた看護師が、スピリチュアルケアに関心を持ち、病棟でのスピリチュアルケア実践の核になることで病棟全体あるいは病院全体で、積極的に取り組もうとする風土ができ上がるのではないかと考える。

また、がん患者のもつ複雑な状況や苦痛に対する治療やケアは、さまざまな医療チームがそれぞれの専門性を生かして協働し、患者が求めているケアを提供することになる。患者は、今その時の思いを、誰かに聴いてもらうことを望んでいることが多い。そのため、看護師だけではなく、さまざま医療従事者もまた、スピリチュアルペインについて理解し、そのペインに関心をもち対処する能力が求められる。スピリチュアルケアの基本は、患者とのコミュニケーション、特に患者の思いを「傾聴」することである。その場にとどまり、傾聴するスキルを身につけ、ブラッシュアップしていくことが求められる。

そこで、臨床で直接患者に接している医療者が、@スピリチュアルペインを理解すること A医療者が自己の経験を振り返る体験学習を通してスピリチュアルケアについて理解すること、これらによって、患者が表現したスピリチュアルペインに気づき、それに対してスピリチュアルケアを実践できる能力を育成する場を設ける必要があると考える。このような教育の機会として、村田らによる「対人援助・スピリチュアルケア研究会」がある。これは緩和ケアに従事する人々の受講が当然多くなるが、大学病院においてはその病院の機能からこのような問題への対応が遅れがちになる。そこで、大学病院の医療者の特徴を考慮したプログラムを模索して行きたいと考えた。

そこで今回は、まず、スピリチュアルペインを持つ患者に最も多く接する機会がある看護師に焦点をあてて、村田らが実践している小グループによるプログラム(講義、プロセスレコードの記載、ディスカッション)を参考に実施し、その効果を検討する。

 

U.目的

大学病院に勤務する看護師を対象に、スピリチュアルケア実践能力向上プログラムを実施し、その効果を評価することを目的とする。今年度はパイロットスタディとして、プログラムの評価と、課題を明確にし、次年度以降の準備を行う。 

 

V.研究の意義

スピリチュアルケアを実践する看護師を対象にした教育プログラムを構築することにより、看護師のスピリチュアルケア実践能力が以下の点で向上し患者への質の高いケアを提供する能力を育成するきっかけとなる。

@    スピリチュアルケアに関する知識が増える。

A    死に対する考え方が肯定的になる。

B    スピリチュアルペインのある患者へ関わる姿勢、態度、コミュニケーションのとり方が改善する。

C    仕事でのストレスが少なくなる。

D    仕事に意味を見出す手がかりが得られる。

 

W.研究方法

1.  研究デザイン :介入研究

実施前調査プログラム:月14時間3回実施終了時調査→3ヶ月後調査→6ヶ月後調査

 

2.  研究参加者:大学病院に勤務する看護師8名 

         スピリチュアケアに関心をもち、ケアのための学習を希望している看護師

         研究の目的、方法を理解し、研究協力に同意した看護師

 

3.  介入方法

1)   スピリチュアルケア実践能力向上プログラムの実施

1 実施回数:月1回、4時間のプログラムを3回実施した。

2 プログラムの内容

@     講義を行う

スピリチュアルペインの構造および基本的なケアの概念について

A    グループワーク

@ 患者との対話記録(プロセスレコード)を用いた分析とディスカッション。

   ・研究参加者が、各自スピリチュアルペインを持つ患者とのプロセスレコードを作成した。

・上記を分析、ディスカッションを行った   

A 上記@Aは、いずれも、スピリチュアルケアの専門家のスーパーバイズを受けた。

 

4.  介入の評価方法

1)評価の時期

  @プログラム開始前、  Aプログラム終了時 Bプログラム終了3ヵ月後 Cプログラム終了6ヶ月後

2)質問紙調査

質問紙は森田らによって開発された、終末期がん患者のケアへの抵抗感などを評価する質問紙を用いた。質問紙の内容は以下のとおりである。

  (1)研究協力者の背景

2)終末期患者とのコミュニケーションに関すること

3)死にゆく患者へのかかわりで感じていること

4)終末期がん患者の痛みに対するケアの知識

5)研究対象者の「今の気持ちや考え」

6)仕事上でのストレスについて

7)プログラム参加へ反応

 

5.分析方法

SPSS統計パッケージ(Ver.15)により次の検定を行い、有意水準p<0.05を有意差があるとした。

1)全体的な変化:3時期(介入前、介入直後、介入3ヵ月後)における変化

Kruscal Wallis検定後、Mann-Whitney testにより、3時期における有意差を検定した。調整はBonferroni検定を用いた。

2)個人別変化:2時期(介入前、介入3ヵ月後)における変化

 Willcoxon signed rank testにより検定した

 

6.  研究期間と具体的スケジュール

1)研究期間

20096月〜20102

2)具体的スケジュール

20096月〜  病棟師長を通して、参加希望看護師を募集

20098月〜  参加看護師に対する開始前質問紙調査

第1回プログラム:原 敬講師による講義(スピリチュアルペインの構造、ケアの基本)

20099月〜   第2回プログラム:研究参加者からの事例提示とプロセスレコードを用いたディスカッション

200910月〜  第3回プログラム:研究参加者からの事例提示とプロセスレコードを用いたディスカッション

                参加看護師に対する終了後質問紙調査

     2010年 1月〜  参加看護師に対する終了後3ヶ月後質問紙調査

 

7.  倫理的配慮

以下の内容について文書で説明をし、同意を得た。

1)研究参加の自由:自由意思による参加であること、参加途中での辞退も可能である。

2)個人情報の保護:質問紙調査は無記名で行う。調査内容の結果はすべてデータ化して処理し、個人が特定されないようにする。

3)本研究結果の利用・公表:研究の目的以外には使用しない。

4)事例提示の際には、事例の個人情報保護に関して、患者が特定できる個人情報は記載しないか記号化することを研究参加者に依頼する。

なお、この研究は、慶應義塾大学看護医療学部研究倫理審査委員会の審査を受け、承認された(受理番号138)。

 

X.結果及び考察

1.研究参加者の概要

  研究参加者は全員女性で、20代〜50代の看護師であった。臨床経験年数は4年〜33年、平均14.9年(SD 10.1)であった。緩和ケア経験は1年〜30年、平均8.5年(SD9.2)であった。

 

2.プログラム参加への反応

スピリチュアルケアの概念的枠組みを理解することに、全員が「とても役に立った」と回答した。自分自身の人生観、価値観、看護観を見つめなおすことに「とても役に立った」と回答したものが5名、「役に立った」4名、「少し役に立った」1名であった。実際に患者さんにスピリチュアルケアに行う方法を知ることに「とても役に立った」6名、「役に立った」2名と回答した。

 

3.3時期(介入前、介入直後、介入3ヵ月後)における変化について

介入前と介入3ヶ月後において統計的に有意差があった項目は、生きている意味がないと精神的つらさを訴える終末期患者とのコミュ二ケーションに関する項目で、「自信をもってコミュ二ケーションをすることができる」(p0.05)であった。

統計的には有意差はなかったが、介入により変化していた項目は、次のとおりであった。

『終末期がん患者との普段のコミュニケーション』に関する9項目すべてが、プラスの方向に転じていた。その内容は、「静かでプライバシーのある場所で話す」「つらさに共感を表す言葉を返す」「自由に答えられる質問をする」「何を希望しているか知ろうとしている」「大切なことは何か知ろうとしている」「生きる意味を感じることは何か知ろうとしている」「生きる意味を強めたり弱めたりするものは何か知ろうとしている」「生きる支えになっていることは何か知ろうとしている」「患者にとっての病気の意味を知ろうとしている」などであった。

『患者から生きている意味がないと言われたときの気持ち』に関しては、8項目のうち全項目が、プラスの方向に転じていた。その内容は「「逃げ出したいような気持ちになる」「無力感を感じる」「わたしに話してくれたことをありがたく思う」「わたしを信頼してくれていると思うすすんでかかわりたいと思う」「つらさを少しでも分かりたいと思う」「患者さんのつらさをやわらげるために何か行動したいと思う」「どうしたら適切な支援ができるのだろうと考える」であった。

『死や人生に対する自分の気持ちや考え』に関しては、プラスの方向に転じていたのは、8項目のうち4項目であった。その内容は、「死ぬことがこわい」「死は恐ろしいものだと思う」「人生の意義、目的、使命を見出す能力が十分にある」「生きている理由がはっきりとしている」であった。

『仕事上でのストレスについて』は、ストレスがマイナスの方向に転じていたのは、26項目中8項目であった。その内容は、「仕事に関連したストレス」「業務量が多いことによるストレス」「仕事が終わると疲れ果ててぐったりする」「仕事に行くことを考えるとげんなりする」「一日中人間相手に働くことは本当に負担である」「患者が自分の問題を私のせいにしていると感じる」「仕事中は感情的な問題をとても冷静に処理している」「仕事を通して他の人々に良い影響を与えていると感じる」であった。

燃え尽きの度合いは、変化がなかった。

 

4.個人別変化:2時期(介入前、介入3ヵ月後)における変化

介入前と介入3ヶ月後において統計的に有意差があった項目は、全項目のうち4項目であった。その4項目とは、終末期のがん患者から「生きていく意味がない」といわれたときの気持ち関する項目の、「逃げ出したいような気持ちになる」(p0.05)、「無力感を感じる」(p0.05)、仕事上のストレスに関する項目の「仕事に関するストレスがある」(p0.05)、生きている意味がないと精神的つらさを訴える終末期患者とのコミュ二ケーションに関する項目の「自信をもってコミュ二ケーションをすることができる」(p0.05)であった。

 

スピリチュアルケアの基本は、患者とのコミュニケーション、特に患者の思いを「傾聴」することである。その場にとどまり、傾聴するスキルを身につけ、ブラッシュアップしていくことが求められる。この研究結果では、終末期のがん患者とのコミュニケーションへの自信に有意差があったこと、終末期患者への関わり、死や人生に対する自分の気持ちや考え、仕事上のストレスに関して、プラスの変化傾向がみられたことから、この介入プログラムの効果があったといえる。しかし、参加人数が少ないため、この結果を広く一般化して活用にするには限界がある。また、個人別の変化では4項目において有意差がみられた。このことから、個人のそれまでのスピリチュアルケアに関する準備状況、関心の程度、経験年数によって違いがあることが考えられる。以上から、参加者数を増やしてこのプログラムをさらに検証する必要がある。

 

Y.今後の課題

今回はパイロットスタディとしての位置づけで本研究を実施した。この結果をもとに、次年度はさらに参加者数を増やして、大学病院におけるプログラム実施効果を検証していく予定である。加えて大学病院に勤務する全看護師を対象としたスピリチュアルケアに関する状況調査を行っていく予定である。

 

Z.外部資金獲得状況及び研究成果発表予定

平成22年度 笹川科学研究助成に応募し、現在審査中である。結果は平成224月予定である。

2010116()7日(日)日本死の臨床研究会学会発表予定である。

 

【参考文献】

1   村田久行:終末期がん患者のスピリチュアルペインとそのケア;アセスメントとケアのための概念的枠組みの構築.緩和医療学, 5(2)157165, 2003

2   菊井和子、山口三重子、田村恵子:わが国の緩和ケア病棟における スピリチュアルケア提供者の現状と課題宗教家の関与に視点をあててー. 死の臨床, 291):83―88, 2006

3   Morita,T., Murata,H., Hirai,K., et al.: Meaninglessness in Terminally Ill Cancer Patients: A Validation Study and Nurse Education Intervention Trial. Journal of Pain and Symptom Management, 1-11, 2007