平成22年度慶應義塾大学SFC研究所プロジェクト補助研究報告書

平成23228

 

研究課題名   「産後早期の母親への看護ケア効果の検証」

 

研究組織

研究代表者 竹ノ上ケイ子 看護医療学部教授

共同研究者 中北 充子  健康マネジメント研究科後期博士課程

 

1.研究の意義と背景

産後早期(産後1週間以内)の母親は、妊娠や出産による変化からの回復をはかりつつ、授乳や育児を始める時期である。一見すると元気そうに見えるため、出産を終えた後は看護ケアの必要性が見過ごされがちである。しかし、この産後早期の母親たちの多くが睡眠不足や疲労を訴え(岡山,2004)、自律神経活動の変動や不定愁訴が発生しやすいと言われている。マタニティブルーや産後うつなどが発症しやすいこともよく知られている(荒木、2002、長谷川、2004)。これらには授乳や育児による心身の緊張や疲労も関わっているが、ホルモンの変調と自律神経活動の変調も大きく関わっていると言われる(三上&鍵谷,2005)。

無事に出産を終えた女性たちが喜びや興奮状態を示すことは普通であるが、産後5日以内に躁病注1)ではないが通常とは違う躁状態(mild hypomania phenomenon)を示す母親が約10%にみられることが報告され(Glover, et al. 1994)、それに引き続いて産後うつ(postpartum depression)が発症しやすいと考えられている。ヘロンら(Heron, et al. 2009)は、446名を対象に、妊娠12週、産後1週間後、産後8週間後の縦断調査を行い、うつ病2)や躁病の発症は産後に有意に高いとはいえなかったが、高揚感得点(The High Scale)は妊娠中に比べて産後1週間後は8倍高かったと報告し、産後は軽度の躁状態の人が多いであろうと述べている。このように産後早期は、多幸感、高揚感とその対極にあるマタニティブルー、うつが観察されるなど、感情の揺れが大きく、双極性障害3)も発生しやすい時期であると言われている(Heron, et al. 2005)。

通常の喜びや興奮とそれに続く気分の落ち込みと、気分障害(mood disorder4)や双極性障害などの異常は境界線が明確でなく、産科臨床ではマタニティブルーや産後うつなどの確定診断がついた後にのみ介入が行われることが多い。しかし、正常経過をたどってはいるが、緊張や疲労が強く気分の変動の激しい母親、ホルモンの変調や自律神経活動の変調をきたし交感神経と副交感神経のバランスが崩れている母親、過度の高揚感やマタニティブルー様症状を呈する母親などを早期に発見し、産褥期に心身ともにリラックスできる看護ケアを提供することは、異常への移行を予防し、産後の母子の健康を守る上でも、育児に積極的に取り組む準備を整えるという意味でも重要なことである。

このように、産褥期によりよいケアを提供する必要があるにもかかわらず、現時点では、褥婦個々のその日の希望によって、あるいは産後ケアに従事する助産師の判断や好みによって、あるいは産科病棟の方針によって行われているという状況があり、科学的研究の成果にもとづいて実施されているものはごくわずかである。また、ケア効果の評価方法についても多くの課題を抱えているのが現状である。

 

2.研究目的

本研究の目的は、産後早期の女性の自律神経活動の変化やリラックス感についての実態を明らかにすることと、産褥期の母親へのよりよいケアを開発し、そのケアの効果を評価し、よりよい産褥期ケアを臨床現場に提案していくことである。

 

3.研究方法

1)産後早期の女性を対象として、自律神経活動の変化やリラックス感についての実態を明らかにする。

2)文献検討および臨床経験のある助産師、研究者らとのディスカッションにより、産後早期の女性の自律神経活動を安定させ、リラックス感が得られやすいケアを明らかにし、そのケアの効果を身体侵襲の少ない非観血的な評価方法によって検証する。

 

4.本年度の研究結果

1)産褥13日目の女性の自律神経活動の変化とリラックス感に関する検討

産褥13日の正常褥婦127名を対象として自律神経活動の変化とリラックス感について検討した。

データ収集は、産後13日目に一定条件下で座位にて、生理的指標として血圧およびメモリー心拍計を用いて心拍変動を記録し、心拍数、高周波成分(HF)、低周波成分と高周波成分の比(LF/HF)を測定した。時系列データを解析プログラムMem Calc”を用いて周波数解析をし、低周波成分は0.040.15Hz、高周波成分は0.150.40Hzとして解析した。この方法により、副交感神経活動の指標は高周波成分(HF)で評価し、交感神経活動の指標は低周波成分と高周波成分の比(LF/HF)を用いて評価した。リラックス感については、心理的指標RE尺度を用いて評価した。分析は、統計ソフトSPSS.Version16を用いた。

対象者は産後1日目42名、2日目41名、3日目44名であった。初産婦54名、経産婦73名、対象者全体の平均年齢は、31.3±4.6歳、平均分娩所要時間436.7±321.3時間、平均児体重3079±251.5gであった。各産褥日数で、対象者の背景に有意な差がなく3が同質の集団であることを確認した。

この対照群での血圧、心拍数、HFLF/HFにおいて、産後1日目から3日目の3日間に有意な差はなかった。また、RE尺度を用いたリラックス感においても、3日間に有意な差は認められなかった。さらに、要因を産後日数と初産/経産とし、二元配置分散分析をおこなった。全ての指標において、産褥日数の主効果、産褥日数と初産/経産の交互作用は認められなかったが、HFLF/HFRE尺度において、初産/経産の主効果には有意な差が認められた。

 これらのことから、産褥1〜3日の3日間の自律神経活動、リラックス感に大きな変化は認められなかった。しかし、HFLF/HFにおいて、初産/経産の主効果に有意な差が認められたことから、自律神経活動やリラックス感は、産褥日数の影響よりも初産/経産により影響を受ける可能性が考えられた。さらに、経産婦に比べ初産婦で、有意にHFが低く、LF/HFが高かったことリラックス感の得点が低かったことから、産褥早期の初産婦ではより交感神経活動が優位な状態となり、緊張が高まっている可能性が示唆された。この結果は、第25回日本助産学会学術集会において発表する予定であり、さらに潜在曲線モデルを用いて分析を深め、論文を執筆する予定である。

 

2)産後早期の女性の自律神経活動を安定させ、リラックス感が得られやすいケアとその評価方法

 正常経過の出産後23日目までの褥婦の自律神経活動を安定させ、リラックス感が得られやすいケアを文献検討および臨床経験のある助産師、研究者とのディスカッションによりリストアップし、可能性のある評価方法についてもリストアップした。ケアは、出産後23日目後であることから、過度の負担を与えないことが必須条件であり、評価方法も過度の負担を与えず、悲観血的な方法で比較的簡便な方法のみをリストアップした(図1参照)。

 今後、産科臨床で比較的容易に実践できるケアとそのケア効果を最も適切に評価できる方法のペアを種々組み合わせながら検証を行っていく予定である。

今後、ケア内容は背部マッサージとし、評価方法は心拍変動測定のパワースペクトル解析と自記式調査用紙を用いて行う方向で検証実験を準備中である。

 

 

 

 

図1. 産後早期の母親へのケアとその効果の検証

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


看護ケアの中でも、今回準備中の背部マッサージの効果には、身体症状を和らげ、交感神経の緊張を緩める可能性があり(柳,2006)、看護者が直接「触れる」タイプのケアを提供することで産後の母親の身体と心を癒すことができるのではないかと考えられる。

これまでに、本研究グループは、産後早期の背部マッサージによるリラックス効果を生理的・主観的指標を用いて評価する無作為化比較試験をおこなった(中北&竹ノ上, 2009)。その結果、背部マッサージでリラックスができる可能性が示唆されたが、まだ十分な根拠が得られたとは言えず、本研究でも科学的に、看護職者が実施できる非観血的な方法を用いて産後早期の母親の背部マッサージの効果を検証することが必要であると考えている。

 

5.今後の方向性

 1)正常経過をたどる母親を対象として、自律神経活動および主観的リラクセーション指標の両面から背部マッサージによるリラクセーション効果を検証する(準備中)。

 2)図1でリストアップされた産褥期のケアと評価方法とを組み合わせて、順次どのケアでどのような効果があるのか検証し明らかにしていく。

 3)産褥期の母親へのよりよいケアを開発し、そのケアの効果を評価し、よりよい産褥期ケアを臨床現場に提案していく。

 

1)〜注4)は、伊藤正男・井村裕夫・高久史麿編集、医学大辞典、医学書院、2009より引用。

1) 躁病(そう病)(mania):躁うつ病の躁病相と同義に使われることが多いが、うつ病相を伴わない純粋の躁病も稀ではあるが存在する。主な症状は@爽快気分、高揚した気分(躁性気分障害)が中心だが、易刺激性、易怒性を伴うことも多い。A思考面では次々と観念がわき起こり、このために話しはまとまらず一定の目標に向かって話すことができない(観念奔逸)、話しの内容が誇大的かつ妄想的になる(誇大妄想)。B意欲面、行動面では多弁、多動となり、じっとしていられず手当たり次第に行動する(行為心迫)。さらに程度が強くなると興奮状態(精神運動興奮)に至る。また、金遣いが荒くなったり、逸脱行為(性的、社会的逸脱)がみられることも多い。C睡眠欲求の減少、早朝覚醒などの睡眠障害、食欲、性欲の亢進、体重減少などの身体症状。

2) 鬱病(うつ病)(depression):気分障害の中心的位置を占め、双極性障害(躁うつ病)と対置される。うつ病という時には双極性障害のうつ病相を含めていることもある。

3) 双極性障害(bipolar disorder):わが国では未だに躁うつ病と呼ばれることが多いが、国際的にはこのように呼ばれている。躁(ハイ状態)とうつ(メランコリー状態)を繰り返す病気。

4) 気分障害(mood disorder:躁うつ病、感情障害などと呼ばれた一群の精神疾患は、1987年のDSM-III-Rから気分障害と呼ばれるようになり、IDC-10(1992)でも踏襲された。

 

 

【引用・参考文献】

長谷川ともみ,第84 産褥期にある家族の看護; 吉沢豊予子編,女性生涯看護学,真興交易出版, p.533, 2004.

井村真澄, 操華子,牛島廣治. 正常な初産後の母親に対するアロマ・マッサージ効果に関する臨床研究, アロマテラピー学会誌, 15, 1725, 2005.

三上正俊,鍵谷昭文, 周産期母児循環系の適応の法則:産科学と進化論を結ぶ. 日本臨床生理学会雑誌356,pp.305-307 2005.

中北充子. 正常な産後経過をたどる母親への背部マッサージによるリラクセーション効果の評価−自律神経活動および主観的評価の観点から−,慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科修士論文, 2009

中北充子,竹ノ上ケイ子. 正常な産褥早期の母親への背部マッサージによるリラクセーション効果−自律神経活動および主観的評価の観点から−, 日本助産学会誌, 23(2), 230-240, 2009.

中北充子,竹ノ上ケイ子.産褥13日目の女性の自立神経活動の変化とリラックス感に関する検討. 25回日本助産学会学術集会,2011. 於:名古屋.

岡山久代, 飯田美代子,玉里八重子. 産褥早期の褥婦の身体活動・休息と主観的疲労感の関係, 日本看護医療学会雑誌, 6, 5-14, 2004.

竹ノ上ケイ子,中北充子.産褥期(出産後)ケアの開発とケア効果の評価. SFC Open

Research Forum, 2010.

柳奈津子.入院患者に対する背部マッサージ・指圧の効果, 看護研究, 39, 457467, 2006.

Glover V, Liddle P, Taylor A, Adams D, Sandler M. Mild hypomania (the highs)

can be a feature of the first postpartum week. Association with later depression. British Journal of Psychiatry. 1994, 164(4): 517-521.

Heron J, Haque S, Oyebode F, Craddock N, Jones I. A longitudinal study of

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Bipolar Disorder. 2009, 11: 410-417.

Heron J, Craddock N, Jones I. Postnatal euphoria: are ‘the high’ an 

indicator of bipolarity? Bipolar Disorder. 2005, 7: 103-110.