2011年度 SFC研究所プロジェクト補助 報告書

科目名「震災経験・震災復興についての介護・福祉ケース教材作成」

研究代表者 秋山美紀(慶應義塾大学 総合政策学部 准教授)

研究組織 ヘルスサービス研究会


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1. 研究目的と課題

東日本大震災の被災地における介護・福祉現場のマネジメントについて、ケースメソッド法に基づくケース教材の作成を行った。岩手県と茨城県を調査フィールドとし、被災した介護・福祉事業者からの聞き取りを中心とした現地調査を行い、実体験に基づくケースを作成した。本研究の目的は、大震災の経験を教訓的、歴史的に残すというだけでなく、医療・介護・福祉関係者や行政担当者、学生などへの教育目的を想定したケースづくりを行うことで、現地の経験の保全と今後の教育の双方への貢献を果たすことである。

なお、本報告書は調査対象者の匿名性を留保するため、個人や事業者の特定につながる情報については可能な範囲での記載にとどめる

 

2. 研究活動の概要

本年度の研究活動は「岩手県」と「茨城県」の介護福祉施設の震災ケースの作成と、各ケースを用いた勉強会及び講義を中心に実施した。

 

2.1 岩手県の介護福祉施設震災ケース

先ず、「岩手県」の介護福祉施設の震災ケースについては、震災ケース教材作成のための調査活動とヘルスケア分野における震災ケース作成のための勉強会(ケース試運転)を実施した。

調査活動としては、20114月〜7月に東日本大震災時における介護施設の状況について情報収集を行った。そして8月にケースの候補となる介護保険施設(2法人4事業所)で見学とヒアリングを行った。1法人を震災ケースの題材として選定し、数回にわたりヒアリング調査を実施した。並行して関連の資料を収集し、ケースとティーチングノートを分担執筆した。次にケースの草稿を調査対象者の確認を得ながら推敲し、匿名化を施した。11月にケースの試運転を実施し、教材として質の観点から修正を加えた。なお、調査日程等の詳細は後(3.1)に記載する。

勉強会としては、201112月に「ヘルスケア分野における震災ケース作成のための勉強会(ケース試運転)」を実施した。本勉強会の目的は、今年度作成しているケースとティーチングノートについて、改善の為のアドバイスを得ることと共に、ヘルスケア分野における教育ツールとしての震災ケースの作成・運用について知見を得ることにあった。この為、ケースメソッド教授法を専門とする慶應義塾大学大学院経営管理研究科の高木晴夫教授をお招きし、ご講話を頂いた。また、参加者としては、かねてから医療・介護・福祉分野のケースメソッドに取り組んでいる日本福祉大学の篠田道子教授や実際に様々な現場において長年経験を積んできた実務家教員、ケースメソッド教授法の専門家、医療・介護・福祉分野の専門職や経営者、研究者にお集まり頂いた。勉強会の詳細は後(3.2)に記載する。

現在は勉強会で頂いた助言を基にケースの修正作業を行っている。3月中に修正作業を終了し、法人にケース公開の許諾を得た後、Webページにて公開する予定である。

 

 

2.2 茨城県の介護福祉施設震災ケース

「茨城県」の介護福祉施設の震災ケースについては、震災ケース教材作成のための調査活動と大学講義でのケース運用を実施した。

調査活動としては、201183日に対象の介護保険施設(1法人)の見学と経営者及び管理者に対するヒアリングを実施した。また震災時避難状況に関する資料等をご提供いただいた。資料を基にケースを執筆した後、メール・電話等で調査対象者に確認しながら推敲を重ねた。

201110月、プロジェクト代表者である秋山美紀の講義にて、ケースを運用した。詳細は後(3.3)に記載する。

 

3. 研究活動の詳細

3.1 岩手県の震災ケース教材作成のための調査活動

2011819日、20日にケースの候補となる介護保険施設(2法人4事業所)で見学とヒアリングを行った。1法人は実際に被災を受けた沿岸部で事業所を展開しており、もう1つは内陸部で被災を受けた事業所の後方支援を行ってきている法人である。ヒアリング内容をもとに、ケースの内容と教育課題をメンバー内で検討し、911日に対象者へ追加インタビューを行った。それらをもとにケースの分担執筆を進めた。その後、1028日、1118日に対象者に執筆したケース案の内容および匿名性の範囲等を確認して頂きながら、推敲を重ねた。さらに、対象者から震災当日の利用者や職員の配置等の資料等もご提供頂いた。また、1211日の勉強会に向けてメンバー内部の試運転を行い、ケースリードの方法や設問のあり方等の検討を行った。

 

3.2 ヘルスケア分野における震災ケース作成のための勉強会(岩手県ケースの試運転)

20111211日(日)、「東日本大震災における高齢者介護施設のマネジメント〜ケースメソッド教授法による学び〜」を開催した。会場の慶應ビジネススクールには、全国各地の医療や福祉の現場や教育の現場でご活躍されている方々39名が集まり、活発な議論が展開された。

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開講日20111211()13:3016:30

場 所:慶應義塾大学日吉キャンパス内 協生館4階 階段教室3

参加者39

 

プログラム:

13:30〜 開会

13:40〜 ケース・ディスカッション

15:10〜 休憩

15:20〜 竹内伸一先生のレクチャー

     木晴夫先生のレクチャー

     質疑応答

16:30 閉会

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●開会

  主催者のヘルスサービス研究会 秋山氏より本会の目的、また参加者の大まかな紹介が行われた。

参加者の多くは、ケースメソッドの経験者であった。

 

●ケース・ディスカッション

「東日本大震災における高齢者介護施設のマネジメント〜 姪のために帰らせてください」

本ケースは岩手県において、高齢者介護事業を手掛ける社会福祉法人経営者の東日本大震災での経験を扱う。多くのインフラが失われ、従業員もまた被災者でありながらも、利用者の援助のみでなく地域住民の援助も求められる状況下におけるマネジメントについて討議を行う。

 

Ø     事前課題

@ 本山が伏見を帰した判断は正しかったと思いますか。なぜ、そのように考えますか。

A 4日目の状況において、社会福祉法人さくら会はどのようなサービスを提供していくべきだと

  思いますか。

 

ディスカッションは、同研究会メンバーである渡邉大輔(成蹊大学 アジア太平洋研究センター 客員研究員兼文学部非常勤助手)のリードで、まず、ケースでは書かれている状況について参加者全体で把握した後、事前に出題していた設問に沿った形で議論が展開された。

参加者の多くはケースメソッドの経験者であり、ディスカッションの冒頭から、次々と発言が相次いだ。介護従事者の職業倫理、緊急時における介護の内容、意思決定のあり方や役割分担など、異なる視点での意見が出され、約60分間のディスカッションが終了した。ディスカッション終了後には、参加者から、ケースディスカッションの進行やケースの内容についてフィードバックをいただいた。

さらに会の後半では、木晴夫先生(慶應義塾大学大学院 経営管理研究科 教授)が、前半のケースディスカッションに関する講評を下さった。教育目標の立て方、ケースの作成やケースリードの際に気を付けるべき点について、具体的にわかりやすく講義をしてくださった。木先生は、前半のケースの反省点を構造的に指摘した上で、改善の方向性を提示された。参加者からも多くの質問があり、高木先生は、ケースの作成方法やケースリードの方法について、これまでの経験を交えながら具体的かつ実践的なアドバイスをされた。

コメントは多岐にわたったが、とくに重要な論点として、ケースリードにおける議論の発散志向と収束志向についてと、ケースリーダーの議論を収束させる技術について指摘された。ケースディスカッションでは、様々な論点へと議論をふくらませてゆく発散志向と、議論を一つの論点へと絞り込んでゆく収束志向の2つの議論がありうる。今回のケースディスカッションでは、非常に盛り上がりのある「発散した」議論ができていたものの、それはケースリーダーが意図したものではなく、参加者の意欲とそれぞれの経験がもたらすものであり、ケースリーダーはその議論を意図した形で収束させる努力ができていなかった点が指摘された。その最大の問題は、参加者は言いたいことをいえたという満足感があるものの、ケースリーダーが意図した学びを提供できていないということにある。この要因は、設問の構造にあり、価値判断を迫る設問であるため、議論が発散しやすい構造を持たざるを得なかったという指摘がなされた。その上で、設問構造がケースディスカッションにもたらす影響力、さらにケースリーダーが盛り上がった議論を治めてゆくための技術の実践的な手法が紹介された。

第二に、ケースの改善についての指摘がなされた。震災のように、緊急であり、また時間の流れが重要なケースの場合、ケースを分割し連続ケースとするという方法があり得ると言うことが紹介された。このほかにも、福祉における職業倫理という論点を考えるのであれば、より短いケースにして、さらに医師の職業倫理、看護師の職業倫理を題材としたケースを同様に作成し、3部作のケースとするという案が示された。

また、竹内先生からは、ティーチングノートはケース作成時に想定しているものの他に、ケースディスカッションごとに、参加者ごとに毎回作成し直した方がよい(そのために名簿や参加者についての事前理解が必要になる)という指摘がなされた。これは、事前準備をする際に、参加者を踏まえた準備を十二分に意識する必要性を意味しているといえる。

このほかにも様々な論点が指摘され、また、ケース教材の作成、ケースリードの技法について自由なディス化ションが行われた。なお、本勉強会当日の様子は、研究会ホームページ( http://hsr.sfc.keio.ac.jp/ )に掲載されている。

 

3.3 茨城県の介護福祉施設震災ケースの大学における運用

20111025日、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス「社会的組織の経営」の講義の一環として、茨城県の介護福祉施設震災ケース「アンビションの震災時の対応」を運用した。

 

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日程:20111025日(火)

・場所:慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス

・講義:「社会的組織の経営」

・ケースリード・デモ: 伴英美子 SFC研究所 上席研究員(訪問)

・ご講演:有限会社アンビション 代表取締役社長 川田英治氏

・アドバイザー:慶應義塾大学総合政策学部 准教授 秋山美紀

 

ケース概要:「アンビション震災時の対応」

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本事例は茨城県の介護保険事業所の東日本大震災時の経験を扱う。水戸市、大洗の海から約2キロ 、起伏の少ない田園風景の広がる地に立地する有限会社アンビション。災害発生時、職員と利用者は施設内と外出先に分かれ、限られた情報の中で避難することを余儀なくされた。本ケースでは震災前から震災後までのアンビションの経営者の意思決定を検証する。その上で介護福祉施設の震災対策の在り方を学ぶ。ケースに伴うQuestionは、以下の2点である。

 

1.アンビションの従来の備え、又は地震発生時に川田氏・栗田氏・平野氏のとった行動を、入居者を守るという視点から評価してください。

2.その他、ケースを読んだ感想を自由にお書きください。

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前週の講義にて介護保険施設であるアンビションの経営について理解を深めた後、事前課題としてケースを配布し、設問への回答の提出を求めた。

講義当日には、少人数グループによるディスカッションと、板書や口頭による各グループの意見発表を行った。講義の後半には、ケースの題材となった有限会社アンビションの川田氏にご講演頂いた。講義中には、学生がアンビションの地震時の対応について積極的に議論し発表する姿が見られた。事後のアンケートにおいても「(ケース教材は)実際に起こっているものなので、みんなで問題や良かったところを共有しやすく、検討しやすい。」「自分だけでは浮かばなかった発想を発見することができた」「ケースごとの問題を考えていくと、実際に起こった時でも、対策が打ちやすく、より発展した考えが浮かぶ」などの意見が挙げられた。また、経営者の姿勢、日常における介護施設運営、震災時の対応を関連付けるなど、個別の事由に留まらない、総合的な見地からの考察が多く見られた。

なお、本ケースは、有限会社アンビションのホームページ上にて公開されている。

 

4. 今後の展望

 来年度は、慶應義塾大学大学院経営管理研究科の高木晴夫教授、日本福祉大学の教員の方々とのネットワークを活かし、更なるケースの執筆、勉強会の実施、医療・介護・福祉の現場でのケースの運用に取り組む予定である。

 

以上