2001年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究成果報告書
「国際共同研究・フィールドワーク研究費」
研究代表者 : 環境情報学部教授 福田忠彦
学生代表者 : 政策・メディア研究科博士課程2年 加藤貴昭
本研究は、スポーツにおける視機能を向上させるためのビジュアルトレーニングに関して、主にアメリカのメジャーリーグ球団であるシカゴカブスおよびフロリダマーリンズ、さらにはベースボールアカデミーをはじめとするスポーツ現場においてトレーニング方法の現状調査を行い、ヴァーチャル打撃シミュレータとリアルタイム眼球運動解析システムを実現する次世代のビジュアルトレーニングシステムの開発を目指す。各スポーツ現場の指導者および研究者と共同で研究を行うと共に、スポーツビジョン研究の国際組織であるスポーツビジョン国際会議への参加、および理化学研究所におけるデジタルモーションプロジェクトとの共同研究で得られる結果についても考察を行うことを本研究の目的とする。
本研究における主な活動は以下のとおりである。
主にスポーツをはじめとする領域において、「眼の良し悪し」が運動のパフォーマンス成果を左右することは既知のとおりである。眼の特殊機能を取り扱うスポーツビジョンの研究領域においても、いかにして眼の諸機能を鍛え、運動行動へ結びつければよいのかについて積極的に検討が行われている。
現在スポーツの現場では、実際にビジュアルトレーニングによって視覚能力を向上させ、競技力、運動パフォーマンスの向上を図かろうとする試みが行われ始めている。このビジュアルトレーニングは、スポーツビジョン研究の1つの大きな目標であり、各研究機関、企業によりトレーニング方法やトレーニング機器が各種開発されており、AOA(American Optometric Association)やNASV(National Academy of Sports Vision)の研究発表会場などでは、それらが多数展示されている。しかし、そのいずれをみてもその効果を証明するデータの裏づけのないものばかりである。フィジカル、メンタルに限らず、全てのトレーニングにあてはまることではあるが、トレーニング手段を思いつくことは比較的容易である。しかし、その効果を客観的に実証することができなければ、効果のあるものとして公表することはできない。ビジュアルトレーニングの研究を進めるにあたり、最も難しいのがこういったトレーニング効果の実証であり、現在も様々な方法で試行錯誤が繰り返されている。
こうした現状に向け、次世代のビジュアルトレーニングシステムの開発を行うためのプロジェクトを発足させた。本システムは、コンピュータディスプレイ上に運動視標を提示させ、それを眼で追う人間の眼球運動を同時に測定し、そのデータをもとに運動視標のパラメータをリアルタイムで変化させて、測定結果として記録するものである。特に運動視標として、現実のスポーツ現場状況のビデオを刺激として用いるほか、3DCGによって現実を忠実に再現したのものを用いることを考えている。また、FreeView(竹井機器工業社製)非接触型眼球運動測定装置を改良し、刺激提示とデータ処理部とをリンクさせ、リアルタイムでデータ解析、新たな刺激作成、刺激提示を行うためのプログラムを記述する。このようにコンピュータ、眼球運動測定装置を、ビジュアルトレーニングのために用いるといった点が、この次世代ビジュアルトレーニングシステムの画期的な特徴であるといえよう。
昨年度のフィールドワークにおいては、アメリカをはじめとするスポーツ現場および研究組織、さらには各種企業において、現在どういったビジュアルトレーニングが用いられ、また開発されているのかについて綿密な調査が行われ、多大な研究成果を得ることができた。本年度も引き続きフィールドワーク調査を実施することで、次世代ビジュアルトレーニングシステム構築に向けたビジュアルトレーニングの現状の更なる把握を目指す。
本年度も昨年に引き続きシカゴ・カブス球団においてフィールドワーク調査を行った。今回はメジャーリーグのヘッド・アスレチック・トレーナーであるデイビッド・トンバス氏およびマイナーリーグのヘッド・アスレチック・トレーナーであるブルース・ハメル氏、さらにはメジャーリーグのブルペン・コーチであるサンディー・アロマーJr氏、マイナーリーグのヒッティング・コーディネーターであるジョン・ピアソン氏、ピッチング・コーディネーターであるラスター・ストルード氏、環太平洋コーディネーターであるレオン・リー氏など多くのコーチおよびスタッフ陣に現状について語ってもらうと共に、簡単なアンケート調査を行った。
アンケート項目は以下のとおりである。
1. 現在あなたのチームでは、どのくらいの頻度でビジュアルトレーニングが行われていますか? (かなり多く:1 時々:2 めったにない:3 全くない:4) |
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2. それはどんなタイプのビジュアルトレーニングですか (またはどんなタイプのビジュアルトレーニングを将来行いたいですか) |
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3. あなたはバッターに対して、ピッチャーの「どこ」を、またはピッチャーを「いかにして」見るように指導していますか |
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4. ピッチャーがボールを投げる瞬間、バッターはどこを見ていると思いますか? (リリースポイント:1 ボール:2 ピッチャーの腕:3 ピッチャーの胴体:4 ピッチャーの頭または顔 5 ピッチャーの脚:6 漠然とリリースの辺り:7 漠然と腕の辺り:8) |
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5. バッターの視覚にとって大切なものは何ですか? |
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6. 「次世代ビジュアルトレーニングシステム」についてどう思いますか? |
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シカゴ・カブス球団においては依然としてメジャーリーグおよびマイナーリーグ組織における体系的なビジュアルトレーニングが行われていないのが現状であった。ビジュアルトレーニングが現時点におけるパフォーマンスを向上させるために適した方法であるという認識が弱いという現状の認識がこうした現状をもたらしたものであると考えられる。
アンケートからの報告においても、ビジュアルトレーニングが「めったに行われていない」といった回答が大多数であった。また、行うトレーニングのタイプとしては「過去のゲームをレビューする」とか「無回答」など、本来視覚機能を向上させるために行われるべきビジュアルトレーニングとは異なるものが多かった。しかし、視覚機能の重要さについては深い理解を示しており、特に「次世代ビジュアルトレーニングシステム」については大いなる関心を抱いていた。またバッターに対して視覚的な指導を行う教示方法などはコーチおよびトレーナー共に明確な回答を得ることができなかった。これは打者の視点に関して既成の事実が乏しく、科学的根拠に基づく知識の構築が必要とされていることを示唆している。
さらに本年度はフロリダ・マーリンズ球団においてフィールドワーク調査を行った。フロリダ・マーリンズにはメジャーリーグにおいて日本人アシスタント・ストレングス&アスレチック・コーディネーターである友岡和彦氏がおり、チームにおけるビジュアルトレーニングの現状について語ってもらい、シカゴ・カブスで行ったものと同様のアンケート調査を行った。
やはりシカゴ・カブスと同様にフロリダ・マーリンズにおいてもメジャーリーグおよびマイナーリーグ組織において体系的なビジュアルトレーニングが行われていないのが現状であった。アンケートにおいても、ビジュアルトレーニングは「全く」行われておらず、バッターのイメージトレーニングおよびメンタルリハーサルの一貫としてビデオが用いられているのみである。しかし、「次世代ビジュアルトレーニングシステム」については非常に興味を持っている。
球場には「マルチメディア・ルーム」と呼ばれる特殊な視聴覚室が設置されているが、簡易のテレビとビデオが置かれているだけで、コーチと選手が敵チームのゲームビデオを観察したり、スカウティング(相手チームのゲーム戦略を探る)にのみ試用されている。フロリダ・マーリンズでは近い将来にホームスタジアムの改築が行われるそうであり、その際にこうしたマルチメディアルームを改良し、本研研究の目指す「次世代ビジュアルトレーニングシステム」のような3DCGを用いたヴァーチャル打撃シミュレータを積極的に取り入れてみたいとの回答を得た。今後本研究がこうしたメジャーリーグ球団との共同研究に発展することで、「次世代ビジュアルトレーニングシステム」の現場への応用の可能性が考えられる。
またアマチュアのスポーツ現場のフィールドワークとして、アリゾナ州立大学のベースボール・チームにおいてフィールドワークを行った。同チームにおいては古くからの友人でありアシスタント・インストラクターであるマイケル・モレーノ氏を対象に同様の調査を行った。
アマチュアのベースボール界においてもメジャーリーグと同様に特に効果的なビジュアルトレーニングが行われていないのが現状であった。アンケートでは、ビジュアルトレーニングは「めったに」行われておらず、強いて言えば打撃練習時などに「ボールを良く見る」ように促すことがビジュアルトレーニングとして考えられているようである。実際のコーチング現場において、彼はバッターに「リリースポイント辺りに集中すること」を指示しながら打撃練習を行わせるそうである。この「集中する」事が打撃の成功における最重要なファクターとなるであろうと語っている。
また「次世代ビジュアルトレーニングシステム」についても多くの関心を抱いており、これが有益となるためには「効果的な指導方法を発展させること」が鍵となるであろうと述べた。つまり、現状のあいまいな指導方法を改善するために、科学的根拠を基に確かなる指導方法を構築する必要がある。
アメリカを代表するベースボールアカデミーのひとつであるフロリダのニックボレッテリ・スポーツアカデミーに属するベースボールアカデミーにおいて、ディレクターを務めるケンボレック氏に対して同様の調査を行った。
リトル・リーガーから、メジャー・リーガーまで幅広い年齢層の選手を教育するこうしたベースボール・アカデミーにおいても、前述と同様に特に効果的なビジュアルトレーニングが行われていないのが現状であった。アンケートによると将来のビジュアルトレーニング・プログラムに対して深く興味を抱いており、実際に「次世代ビジュアルトレーニングシステム」の費用はいくらで、いつぐらいに完成するのかといった質問までを受けた。
アカデミーでは例えば打撃に練習に使われるスイング矯正マシンやプラスチックボールを用いたピッチングマシンやノックマシンなど、一般的に発売されているトレーニングマシンを積極的に用いてトレーニングを行っている。こうしたアカデミーのように年齢が低い選手を育成する場でスポーツビジョン能力を効果的に向上させるようなビジュアルトレーニングが行われることでベースボール界全体のパフォーマンスの底上げにつながると考えられる。
本年度はスポーツビジョン研究の国際組織であるIASV(International Academy of Sports Vision)が主催するスポーツビジョン国際会議に参加した。3日間に及ぶ会議の中で、オプトメトリストを中心とするスポーツビジョン研究者による講演と、その議題に対するディスカッション、さらにスポーツビジョン能力向上のために開発されたトレーニング機器等の展示が行われた。
講演の多くはオプトメトリストの専門領域に偏っており、特に臨床における基礎知識としてのコンタクトレンズの応用や最近話題のレーザービジョン手術等の話題であった。しかし研究領域レビューにおいて、「ビジョンセラピー」と言われるビジュアルトレーニングの方法とその効果や、さらなる研究の発展の重要性について議論された。特にDr.クルーカによると、スポーツ競技におけるコントラスト感度は選択的注意やタスク探索行為などにおいて極めて重要な能力であり、フィルター技術によってこうした視覚機能を高める事ができるようである。また、アンケートによる結果によると、「かなり多く」または「時々」ビジュアルトレーニングを行っており、その方法も「視能矯正」「視覚化」「バランスアクティビティ」「スピード調節機能」「手−目の協調」「視覚集中力」「周辺認識」「瞬間視」等多肢にわたる内容であった。しかし各項目ごとに具体的な方法は確立されておらず、全員の回答において統一感がないのは否めなかった。またオプトメトリストという立場からか、ビジュアルトレーニング自体が視覚の「ハードウェア」面のみを向上させるためのものという認識がされているように思われた。「ハードウェア」とともに知覚、認識といった視覚の「ソフトウェア」面においてのビジュアルトレーニングが今後期待される。
前述したスポーツビジョン国際会議に参加した理由の一つは、メジャーリーグ等において数多くの選手の視覚機能を向上させているオプトメトリストであるウィリアム・ハリソン氏に接触することであった。昨年度のメジャーリーグ球団およびトム・ハウス氏へのフィールドワーク調査においてしばしば名前を聞いたのがハリソン氏であり、これまでジョージ・ブレッド、バリー・ボンズ、サミー・ソーサ、グレッグ・マダックス、ブラッディ・アンダーソン、ショーン・グリーンなどのメジャーリーガーを筆頭に、各種オリンピックナショナルチームの選手やゴルフ、フットボール、スキー、ソフトボール等々プロフェッショナルならびにアマチュアスポーツ界における数多くのプレイヤーのオプトメトリストを務めてきた。
ウィリアム・ハリソン氏に関する情報については以下のサイトを参照。
http://www.performancefundamentals.com/
ハリソン氏によると、これまで多くのビジュアルトレーニングを様々な選手に試してきたが、一番問題となるのが「具体的な効果を計ることが難しい」ことであるそうである。当然のことのように思われがちであるが、トレーニング効果を客観的に評価できなければ、そのトレーニングの有効性は実証されないことは確かである。ここに現在のビジュアルトレーニングの問題が集約されていると考えても過言ではないであろう。ウェイト・トレーニングやカーディオ・バスキュラー・トレーニングなど身体的なトレーニングは客観的にその効果を計ることは容易であるが、特に視覚的な「ソフトウェア」能力までをも考慮したびビジュアルトレーニングの効果を計ることは容易ではない。
現在日本をはじめ多くのスポーツ現場で取り入れられているビジュアルトレーニングの一つに「目と手の協調」を向上させるためのツールがある。例えばSVTなど。これはトレーニングの効果を客観的に評価できた良い例と言えるかもしれないが、このトレーニングが具体的にスポーツ競技におけるどのパフォーマンスに効果を与えるものかは明確ではない。
また現在のスポーツ現場においては、こうした視覚の機能について興味を持つコーチやトレーナーが少ないことが現状であることから、ハリソン氏は今後「ビジョン・コーチ」が必要となってくるであろうと話した。ハリソン氏の会社ではこれまで「Eye-Speed Concentration Trainer」や「3-D Depth Perception and Tracking Trainer」といったビジュアルトレーニング機器を開発してきたが、より具体的で現実的なパフォーマンスの向上に役立つトレーニング方法として「次世代ビジュアルトレーニングシステム」に大いなる期待をしていた。
今後はハリソン氏との連携を深め、「次世代ビジュアルトレーニングシステム」の開発に向けて共同で研究を進める方向となった。
さらに本年度は、「次世代ビジュアルトレーニングシステム」の基礎部分となる眼球運動測定方法の知識を深めると共に、これまでの関連研究の発表を行うために、フィンランドで行われた欧州眼球運動国際会議(11th European Conference on Eye Movements)に参加した。
本会議は世界広範にわたる眼球運動研究者にとって最も代表的な国際会議であるため、本会議において研究発表を行ったことは、これからの研究活動において極めて有益となる経験と知識を得ることができた。ポスターセッションにおいて議論した中で印象的な意見は、「エキスパートがなぜこのような視線の配り方をするのか」といったものであった。今回は欧州という地方であるため野球といったスポーツがメジャーではないことが知られていたが、議論を行う際にはクリケットというスポーツに置き換えながら説明を行った。エキスパートが視線の配り方について特別なトレーニングを行ったり、指導者が特に視覚的なパフォーマンスを指摘するようなことはことは現場で起きているとは考えにくいことから、選手が経験則をもとに自然と身に付けたストラテジーが存在するであろうということが本研究で得られた最も重要な成果である。特に相手投手の身体の動きを的確に予測するために、時間的情報処理能力に優れる周辺視システムを効果的に活用しているエキスパートの視探索パターンが、ノービスのプレイヤーと比べて有意に異なることがポスターの視覚的な効果の高い図によって示された。そうした新規性の高い事実や他のスポーツとの関係などについて特に深い議論が行えたことは、本研究の更なる探求に繋がった。 また、特に同類の研究分野の研究者がカーレーサーの眼球運動を調べた研究を発表していたが、その実験においてもエキスパートとノービスの視探索ストラテジーが異なるといった事実が確認されていたことは、本研究にとっても大変参考となる実験結果であった。
理化学研究所情報基盤研究部情報環境室室長である姫野龍太郎氏を中心として、2000年10月よりデジタルモーションプロジェクトが発足した分けであるが、本研究の「次世代ビジュアルトレーニングシステム」の概要と極めて類似することから、昨年度より正式に共同研究を行っている。
これは姫野氏がこれまで研究してきた野球ボールの変化球の流体力学的解析によるコンピュータシミュレーションを4次元可視化システムを用いて表現し、最終的には本格的な野球の打撃シミュレータシステムを実現することが目的となっている。大量の数値データをコンピュータ・グラフィックス(CG)によって立体的に投影し、そのCGを時間的に変化する様子を可視化させるシステムに加え、新たにバットの3次元位置データを計測するために時期センサーが取り付けられ、現在はボールとバットがリアルタイムに接触するためのアプリケーションの調整を行っている段階である。
さらに本年度は、瞳孔/角膜反射方式を採用し、装着ずれによる計測誤差を解消した非常に小型コンパクトの眼球運動測定装置であるNACイメージテクノロジー社の眼球運動測定装置EMR-8を導入した。ヘッドユニットとして野球帽を改良することにより軽量かつ比較的違和感のない装着を可能としているが、さらに本システムに応用するため、視野カメラの移動調節を自在に変更するできるように改良を加えた。来年度より具体的な実験が行われることで、本システムの客観的な評価手法の確立と共に学術的な成果が期待される。
図1 : NACイメージテクノロジー社製眼球運動測定装置EMR-8
図2 : 次世代ビジュアルトレーニングシステムの概観(予想)
現時点における様々な問題に対して対処していくためにも、今回と同様に更なるビジュアルトレーニングの現状調査とともに、今後は視覚の「ソフトウェア」能力を向上させるための方法や、視覚の「ソフトウェア」機能の根底となる人間の視覚システムに関する研究調査も行っていく必要があると考えられる。具体的には、
といった内容でこれからも研究を続けていく。