2006年度森基金報告書

 

 

心筋細胞モデルを用いたSERCA活性低下時のCa2+動態の解析

政策・メディア研究科

米田 元洋 (moto@sfc.keio.ac.jp)

 

概要:

分子生物学における最近の進歩は,我々が分子レベルで多くの側面で心不全の患 者の状態データを理解することができる.心不全で起こっている心筋細胞の主な 分子現象の1つがカルシウムサイクリングに関することである.心不全はSERCAの 発現量の減少と関係していることを知られている。カルシウム電流が心不全で変 わらないにもかかわらず、カルシウムトランジェントと筋収縮は減少する。心不 全で心筋細胞のSERCAの効果を定量的に理解するためには、SERCAの発現量が変わるときのデータを解析することが理想的である。しかし、本物の細胞で、SERCA の発現量が抑制されたときには他のイオンチャネルが応えて増加する。そして、 それはSERCA抑制の効果を補償する。そこで、in vivo in vitro実験だけによって心不全についてSERCAの効果を理解することは難しい。この問題を解決するために、in silico実験で検証を行うことにした。心筋細胞心室筋モデルの安定状 態からSERCA活性を低下させた直後から系が再び安定するまでのデータを用いて の解析を行った。心室筋細胞の活動電位の0相から4相までの各相でSERCAの活 性が突然低下しその後活性が安定すると仮定したときの細胞内動態を観察し、正 常細胞と比較することを行った。その結果相毎に変化し始める順序が異なっていることがわかった。

 


はじめに

心臓の主な機能はポンプ活動により全身へ血液を規則的に送り出すことである. 心臓の収縮活動は洞房結節から開始し,心房などを経て,心室まで決まった順番 で行われる.これは主に各心筋細胞の電気活動と細胞間の電気伝導による.心筋 細胞の電気活動の1つに興奮収縮連関があり,これは心筋細胞内Ca2+濃度と関係が深い.

心筋細胞内のCa2+濃度と心筋収縮の関係は以下のようになっている. まず脱分極によりCa2+ チャネルが活性化すると細胞外から Ca2+が流入し,細胞内Ca2+濃度が増加する.また,脱分極 の際にNa+ チャネルから流入したNa+を細胞外へ汲み出すためにNa+/ Ca2+交換機構(NCX)が働く.NCXにより Ca2+が細胞内へ取り込まれるので,さらに細胞内Ca2+濃度 は上昇する.これをきっかけとしてリアノジン受容体(RyR)が活性化し細胞内 Ca2+の貯蔵庫である筋小胞体からCa2+が細胞内に大量に 流入する.この結果心筋が収縮する.心筋収縮において細胞内Ca2+濃 度が一過的に上昇することをCa2+トランジェントという.増加した Ca2+はその後NCX により細胞外へ汲み出され,同時に筋小胞体のCa2+ポンプ(SERCA)により筋小胞体内へも取り込まれる.この結果, 再び心筋は弛緩する.

心不全時の心筋細胞内ではSERCAタンパク質の量が減少していることが観察されていたが,心不全という状態に よりSERCAの量が減少しているのか,逆にSERCAの減少が心不全を引き起こすのか という因果関係については不明だった.

近年トランスジェニックマウスを用いた研究により,SERCAを増加させると心不 全が回復し,減少させると心不全に陥ることが発見され,SERCAの減少は心不全 を引き起こす原因となっている可能性が示唆された.この実験によると,SERCAを減少させたマウス では心筋の収縮および弛緩能が低下し,細胞内Ca2+トランジェントが 低下する.しかし,SERCAの減少がCa2+トランジェントの低下をもたらす過程は証明されていない.

本研究ではSERCAの減少とCa2+トランジェント低下の関係を定量的に 説明するために,心筋細胞の電気生理学的モデルを用いてSERCAの減少による心筋細胞の電気生 理学的な状態の変化を観察し,SERCA活性の低下度合いによりその影響を受ける ものには明確な違いはない.

心筋細胞心室筋モデルの安定状態からSERCA活性を低下させた直後から系が再び 安定するまでのデータを用いての解析を行った.心室筋細胞の活動電位の0相か ら4相までの各相でSERCAの活性が突然低下しその後活性が安定すると仮定した ときの細胞内動態を観察し正常細胞と比較することを行った.その結果,相毎に 変化し始める順序が異なっていることがわかった.


方法

Kyoto modelのモルモット心室筋細胞モデルを用いてシミュレーションを行った.

SERCAの活性を初期設定のまま変更しないでシミュレーションを開始し,ある時点でそのままのSERCAの活性状態でシミュレーションを継続する場合とSERCAの活性を急激に低下させた場合との2種類のシミュレーションを行った.

SERCAの活性を低下させる時間はシミュレーション開始後255153133189 ミリ秒の5点とし,合計で10パターンのシミュレーションを行った.

通常このモデルでは1e-5秒の積分幅でシミュレーションを行っているが,今回の場合ではそれよりも細かい変化を計測したいため,シミュレーションの積分幅は 1e-8秒に固定し,データは1e-7秒毎に記録した.

SERCAの活性を初期設定のままの場合と低下させた場合とで細胞内動態のデータ,特にイオンチャネルやトランスポーターなどを流れる電流や各イオン濃度を比較し,その値が初めて異なった値を記録した時間を調べた.


結果

SERCAの活性を初期設定のままで行った場合と途中で低下させた場合とのシミュレーション結果の比較をまとめた.

SERCAの活性を25ミリ秒のときに低下させた場合,はじめにSERCA電流 (iSRUptake)NCX電流(iNCX),次にRyR電流(iRyR)CaL電流 (iCaL),最後にCaT 電流(iCaT)の順に主にCa2+に関わっているチャネル電流等に違いが出始めた.51ミリ秒の時はiSRUptakeiNCXiRyRiCaTiCaLの順に,53ミリ秒の時はiSRUptakeがはじめに差がみられ,次にiNCXiCaL,そしてiCaT3つが同時に,最後にiRyRに差が観測できた.133ミリ秒の場合ははじめにiSRUptake iNCXが,その後iCaLiCaTiRyRの順に電流量に違いがみられた.189ミリ秒の場合はiSRUptakeiNCXに差が出始め,次にiRyRに観られ,最後にiCaLiCaTが初期設定の場合との電流量に違いが観られた.

Ca2+濃度の変化はまず細胞質内のCa2+濃度が変化し始め,次に筋小胞体のUptakeサイトのCa2+ (SRUP_Ca)濃度が変化し,その後トロポニンと結合したCa2+が変化し,最後に筋小胞体の ReleaseサイトのCa2+ (SRrelease_Ca)の濃度が変化をし始める.サルコメア長は初期設定の場合と異なる数値になるものの中で比較的後の方であった.

またSERCAは筋小胞体へのCa2+の取り込みにATPが必要なため,ATP ADPの変化の時間が早く,ATP感受性K+チャネルはATPと関連があるためこのチャネル電流(iKATP)も変化する時間がSERCAの活性を低下させてから早い段階であった.

SERCAの活性を変化させた各時点では負の値をとっていたため,2551189ミリ秒の時点で低下させた場合はその時点で変化させなかった場合と比べてiCaLは絶対値がより大きい負の値をとっており,53133ミリ秒の場合は負の値ではあるがその値はより0に近い値をとっていた.


参考文献

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Motohiro Yoneda 平成19228