T.研究背景
(1)問題意識
2006年11月30日、麻生外務大臣は日本の外交政策として「価値の外交」と「自由と繁栄の弧」を打ち出した。前者は、民主主義、自由、人権、法の支配、そして市場経済といった「普遍的価値」重視を目的としたものであり、後者はこの「価値の外交」に合致するユーラシア大陸の外周に成長してきた新興の民主主義国を帯のように繋ぐことを目的としたものである。
この二つの外交政策は、グローバル化が深化する時代における日本の外交政策における地域戦略的思考の萌芽といえるだろう。しかしながら、この日本の地域戦略は提唱されてまもなく具体的な内容にかけているとも言える。そこで本研究は、この国連加盟50年を経てはじめて提唱された日本の地域戦略である「自由と繁栄の弧」「価値の外交」と問題関心を共有し、具体的な政策へと結びつく基盤的な研究を実施し、日本およびグローバルな観点の在り方について考察することを目的とする。対象は広くユーラシアを全域とするが、特にウクライナを中心として対ポーランド、対バルカン、対中央アジアというベクトルを重点的に考察する。これは、両政策が谷内外務事務次官、麻生外務大臣など外務省要人による相次ぐウクライナ訪問の後に打ち出された政策であり、ウクライナ側も関心を大いに示していること、日本国外務省内でもEU新規加盟国であるポーランドからウクライナへの規範・価値・政策の移転・波及に強い関心が示されていること、バルカンにおいても、サラエボにて大使館が設置されるなど、価値の外交を広げるうえで内戦から民主化への途上にあるバルカンへの支援は不可欠であること、昨年の小泉首相の訪問に見られるとおり中央アジアはエネルギー外交上重要な戦略的地域であり、自由と繁栄の弧、価値の外交とも中央アジアも視野に入れていることからも妥当な研究の視点であると考えられる。
(2)これまでの活動
ウクライナは2004年の大統領選挙を巡る市民革命、いわゆる「オレンジ革命」以降、中央集権化を進める旧ソ連諸国において民主化の砦的な役割を担っているといっても過言ではない。たとえば、「民主的選択共同体(CDC)」や「GUAM」といった地域機構において民主主義的価値観を掲げ主導的役割を果たそうとしている。他方で、外務省も自由と繁栄の弧の形成において「GUAM諸国やCDC加盟国への支援」が明確に打ち出されている(http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/pdfs/easo_1130.pdf 参照)。なおかつ、自由と繁栄の弧および価値の外交が谷内外務事務次官、麻生外務大臣など外務省要人による相次ぐウクライナ訪問の後に打ち出された政策であり、ウクライナ側も関心を大いに示していることも、同国を本研究で取りあえげる理由である。
他方で、研究代表者は、2005年度学術交流支援資金により、ポーランドの研究者と共に「制度変革・政策移転の理論と実証に関する国際共同研究」を実施した。同研究は、ウクライナを事例にEU東方拡大に伴い新たに隣接または周辺地域となる国々における制度変革・政策移転に関して理論面と実証面から分析したものである。2005年11月のSFC
Open Research Forumには、国際シンポジウム「知の底力は時空を超えるか−地域変容の諸相を抉る−」を開催し、ポーランドから4人の研究者を招聘し同問題について具体的な議論を行った。
この研究を通してウクライナを含む旧ソ連諸国の改革にポーランドが積極的な役割を果たしていることが明らかになった。ポーランドは旧ソ連諸国の野党勢力を支援し、旧ソ連地域への民主主義的価値観の普及に積極的に関与している。本研究グループの市川顕(SFC研究所上席所員(訪問))は、ポーランドにおける環境政策ネットワーク形成について研究を行っており、2005年9月にはウクライナへの同ネットワークの普及の可能性についてウクライナ環境省などで現地調査を行っている。
このようなポーランド研究の実績がウクライナには応用可能であると共に、研究代表者はEUからの政策・制度普及の視点から2005年よりキエフ国立大学国際関係校のアレクサンドル・ロガチ(Oleksandr
Rogach)教授と共同研究を実施してきた。具体的には、2005年9月に研究代表者研究室より稲垣文昭(SFC研究所上席所員(訪問))および中林啓修(政策・メディア研究科後期博士課程)がキエフ国立大学国際関係校を訪問、ロガチ教授と共同研究についての会合を持った。2006年2月にはロガチ教授をSFCに招聘し政策普及についての国際ワークショップを開催し、同教授にはEUからの政策普及の中継地としてのウクライナの対中央アジア地域戦略について報告いただいた。加えて、ロガチ教授は、自身が地域センター長を務め、300名近い研究者が加盟する中東欧大学間連携機構(Central
EasternEuropean University Network: CEEUN)への本プロジェクトの参加を促してきた。2006年4月には、ロガチ教授の紹介で同機構のコーディネーターであるドミネーゼ(Georgio
Dominese)ウディネ大学教授及びアマティ・イタリア駐日公使と会合を持ち、2007年3月にはロガチ教授とドミネーゼ教授を招聘し共同研究についての意見交換を行っている。
II.研究仮説と意義
自由と繁栄の弧の形成のために外務省は、ウクライナの推進する「GUAM」と「民主的選択共同体」への支援が打ち出している。加えて、「旧ユーゴ(バルカン)の平和定着・安定」、「中央アジア+日本(対中央アジア外交)」、「イラク復興」、「アフガニスタン安定」などが掲げられている。前述したとおり、在サラエボ大使館の設置にみられるようにバルカン地域への本格的関与や小泉首相訪問にみられるように中央アジア諸国との関係強化を現在の日本政府は掲げている。これは、従来のODA外交に加え、人間の安全保障外交に基づく一定の成果とも言える。だが、政策・制度・規範(価値)の普及と受容の視点からこの問題を考察すると、バイラテラルな直接的関与・支援だけでは効果的な成果が得られないと考えられる。一定の影響力を持つ国家群が当該政策・制度・規範を共有のものと認識し受容し、それをさらに普及させるというマルチラテラルな関係が重要であろう。
そこで本研究では、「バルカンの平和定着・安定」および「対中央アジア政策」の推進のためには、直接的な関与だけではなく「価値の外交+自由と繁栄の弧」に基づく対ウクライナ支援(ベクトル@)からの「波及(ベクトルA)」が重要な要因であると考えている。さらには、対ウクライナ支援にはポーランド(旧東欧)への民主化支援の経験(ベクトルB)が重要であると仮説をたてて分析する。
これは、ウクライナを被支援国として捉えてきた既存のウクライナの国際関係に関する研究と異なる視点を提供するものである。また、ロシアや米国、中国といった大国との二国間関係が中心的であった中央アジア研究においても、政策・制度普及という新たな視点からのものであり、国際的にも萌芽的な研究である。さらには、EUからの政策普及研究はこれまでも見られてきたが日本が発信元となる政策普及研究は国際的にも希少であり萌芽的な研究であるといえる。
III.研究成果
本研究プロジェクトでは、9月7日〜9月20日にかけて、自由と繁栄の弧政策において重要な相手国と考えられうる、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ウクライナ、ポーランドの関係機関との意見交換及び現地調査を実施した。参加者は、香川、稲垣、市川の3名であり、香川、稲垣は、ボスニア・ヘルツェゴビナとウクライナ、市川はウクライナとポーランドにおいて調査を実施した。ボスニア・ヘルツェゴビナでは在ボスニア・ヘルツェゴビナ日本大使館の協力のもと、JICA専門官などにインタビューを行い日本のボスニア・ヘルツェゴビナ支援の実態について調査をおこなった。また、ウクライナでは在ウクライナ日本大使館の協力のもと、キエフ国立大学国際関係校とSFC間でのMoU調印を行ない、本研究を基盤とした若手研究者間の交流について合意した。どうMoUに基づき、両校館の博士課程、研究員、講師クラスでの体制移行についての共同研究とe-journalの発行を計画することで合意している。また、コステンコ・ウクライナ外務省事務次官と日本政府の「自由と繁栄の弧」政策についても意見交換も行った(http://www.mfa.gov.ua/mfa/en/news/detail/7386.htm)。
ポーランドでは、従来の研究協力を発展させることで合意し、本プロジェクトのメンバーが参加し、日本の対中央アジア研究を模索する文部科学省の委託研究である『世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業』「中央アジアに於ける環境共生と日本の役割」(研究代表者:奥田敦教授、期間平成19年度〜平成21年度)への協力に合意した。
なお、本研究の具体的研究成果の一部は、平成20年7月にリュブリアナ(スロベニア)で開催される国際学会にて
報告される予定であり、その他、各研究メンバーが個別に論文を執筆する予定である。また、結うメンバーも参加する平成19年10月より開始された文部科学省委託研究『世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業』「中央アジアにおける環境共生と日本の役割−価値創造型にもとづく地域研究のあり方―」(研究代表者:奥田敦・総合政策学部教授)において発展的な研究が実施されている。
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