2009年度森泰吉郎記念研究振興基金 研究成果報告書
研究課題名:身体スキルの探究を促す環境に関する構成的研究
慶應義塾大学政策・メディア研究科
西山 武繁
1)研究の目的
本研究は、研究者=コーチという視点から、競技者による自身の身体スキル探究を促す環境を構築するための方法を模索することを主題としている。近年の研究から身体的メタ認知によるスキル探究の実践は、スキル熟達を促進する効果があることが明らかになりつつある。しかし、競技の現場においてどのような練習環境を構築すれば、競技者によるスキルの探究を促すことができるのかは明らかになっていない。そこで本研究では、西山がコーチとして指導に携わっている中学・高校の空手部というフィールドで身体スキル探究を促す環境を構築するべく、身体スキルの探究を支援するツールの開発と練習環境環境のデザインという2種類のケーススタディに取り組む。この2種類のケーススタディを通じて、スキル探究を促す環境に関する知見を得ることを目指す。
2)身体スキル探究を支援するツールの開発
本研究では、昨年度から継続してMotionPrismという身体的メタ認知支援ツールの開発に取り組んでいる。MotionPrismは、身体運動を姿勢の類似度に基づいて分節化し、色を用いてその結果を可視化するソフトウェアツールである。このツールの目的は、競技者の身体部位の動かし方や意識の変化に基づくフォームの変化を簡単表現し、その意味解釈に取り組ませることで、身体的メタ認知を促すことにある。

図1:フォーム可視化ツールMotionPrism
MotionPrismの有する機能を以下に示す。
・姿勢の類似度に基づく身体運動の分節化及び色によるフォームの簡単表現
・計測時に撮影された1試行分あるいは2試行分の映像の再生
・映像が再生されている試行中の各マーカーの位置・速度・加速度情報の表示
・映像及びデータの観察中の気づきを記録するメモ機能
昨年度より、MotionPrismは野球の打撃スキルのメタ認知に取り組むユーザと共同で開発を進めてきた。本年度は、引き続き野球の打撃動作の計測を継続すると共に、新たに空手、チェロ、ヴァイオリンを対象ドメインに加え、様々なドメインでの有効性を検証した。
3)競技の現場における摸索
上述のツール開発と並行して、西山がコーチとして携わっている中学・高校の空手部を例に、競技者にメタ認知的なスキルの探究を促すような環境の摸索に取り組んだ。
競技者にスキルの探究を促すということは、単にMotionPrismのような支援ツールを提供することで解決出来る問題ではない。競技者には、自身がパフォーマンスを遂行するには何が必要なのか、自ら問い続け、その解決策を摸索するという姿勢が求められるのである。MotionPrismのような支援ツールは、そうした競技者の内的なループをドライブし続けることを支えるためのものである。従って、競技の現場における摸索では、まず、競技者たちに自身に何が必要なのかを問い、それを解決することを継続させる意識を持たせることが極めて重要な課題となる。本研究におけるケーススタディでは、競技者にこうした意識を持たせるために、西山はコーチとして競技の現場において大学ノートやビデオカメラなどの一般的な機材を用いた。
大学ノートは、これまでのアスリート自身によるメタ認知の実践に関する事例においても重要な役割を果たして来たツールである。メタ認知の実践に取り組んで来たアスリート達は、競技中の自らの体感やプレーに関するメタ認知的な思考などを大学ノートに書き残している。身体的メタ認知において、体感を言葉として外化し蓄積するという行為は、後にその言葉を俯瞰することを可能にし、外化した時点では思いも寄らなかった新たな気づきを得ることができるという効用があるとされている。

図2:部員に配布したノートの使用例
本研究のケーススタディでは、当初はノートを練習環境に配することによって部員達にメタ認知的な思考に取り組む習慣を身につけさせることを想定していた。しかし、実際にノートを練習環境に導入すると、部員間あるいは部員とコーチの間に、ノートに関するコミュニケーションが数多く生起することが大変有用であることが明らかになった。コミュニケーションの増加は、コーチにとって部員1人1人に対する理解や各練習メニューの役割に対する理解を向上させることが出来た。この練習の場に対する理解の向上は、部員に対するアドバイスや新たな練習メニュー、メタ認知的な思考を促すための方法について、次にどのような働きかけをするかというアイディアを生み出す原動力となっていた。
4)今後の展望
本研究は、身体的メタ認知の支援ツールの開発と競技の現場における身体スキル探究を促す環境の摸索という2つのケーススタディから成っている。これらのケーススタディでは、共に目標とするツールや環境の全体像を最初から把握することは困難である。しかし、実際にユーザとのインタラクションを通じた開発や競技の現場における反応を通じて、その構成要素を1つ1つ明らかにすることが可能である。こうした長期間のケーススタディを通じて得た知見を蓄積していくことで、他のケースにも応用可能な知見を見出すことを目指す。
対外発表
Takeshige Nishiyama,Masaki Suwa.:A Visualization Tool for Encouraging Meta-cognitive Exploration of Own Body Movements,The 12th World Congress of Sport Psychology,June 17-20, Marrakesh,Morocco(2009)
Takeshige Nishiyama,Masaki Suwa.:Visualization of Posture Changes for Encouraging Meta-cognitive Exploration of Sport Skill,the 7th International Symposium on Computer Science in Sport,September 22-25, Canberra,Australasia(2009)
西山武繁,諏訪正樹.:「身体を考える」ことを促す環境の模索,人工知能学会第2種研究会「身体知研究会」2009年度第4回研究会,8月,東京(2009)
松原正樹,西山武繁,伊藤貴一,諏訪正樹.:身体的メタ認知を促進させるツールのデザイン,人工知能学会第2種研究会「身体知研究会」2009年度第6回研究会,1月,東京(2010)