2010年度 森泰吉郎記念研究振興基金
研究者育成費
研究成果報告書
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科GR修士課程2年
中村文香 80925076
<研究課題>
オーストラリアにおける多文化主義の統治性の限界:2005年のクロヌラ暴動を事例に
<研究概要>
本研究は、2005年にオーストラリアのシドニーで発生したクロヌラ暴動を事例に、オーストラリアにおける多文化主義の統治性の限界について論じている。
本研究の関心は、暴動と社会的背景との関連性にある。そこで、ニール・スメルサーの集合行動の理論を用いた分析と検証を試みた。
スメルサーの枠組みから導いた結果をもとに、多文化主義の統治性の限界、すなわち、オーストラリア型多文化主義の機能的限界について、移民に期待されている役割という切り口から独自の分析を加えた。
<研究背景>
クロヌラ暴動は、シドニー郊外のクロヌラ周辺のビーチで起こったためクロヌラ暴動と呼ばれているが、この暴動の直接的な原因は、その一週間前に起きたレバノン系オーストラリア人のヨーロッパ系オーストラリア人に対する暴力事件であった。もともと、ビーチ沿いに居住する裕福な白人層とシドニー郊外南西部の中東系移民、難民、主にレバノン系住民とは住み分けが進んでいたが、ビーチ沿いであることから大勢の人が集まるクロヌラ周辺は、近年、治安の悪化が懸念されていたという。暴動の標的となったのは、主に中東系であるが、それのみならず、その他アジア系、いわゆる非白人は、ほぼ攻撃の対象となった。首謀者はいまだ不明のままであり、何者かがSMSという携帯電話のテキストメッセージサービスを利用して参加者を募るとともに、ラジオや一部のメディアは、暴動の決起を積極的に扇動した。結果的に、その規模はヨーロッパ系住民を中心として約5000人に達した。クロヌラ暴動を契機として、オーストラリアでは、多文化主義に対する関心と社会統合再考の気運が高まった。
<研究手法>
文献調査、ならびにフィールドワーク
<フィールドワーク概要>
オーストラリアでのフィールドワークにおいては、修士論文の主要なテーマであるオーストラリアの多文化主義、移民政策について有用な情報を得るために、現地教育機関、政府機関の訪問と情報収集、移住希望者、永住者へのインタビュー調査を行った。
活動期間
2010年11月30日〜2010年12月8日
活動内容
11月30日〜12月1日 出発
12月2日 南オーストラリア州アデレード郊外のハレット・コーブ小学校を訪問、情報収集
12月3日 オーストラリア移民・市民権省を訪問、情報収集
12月4日 アデレード日本語補習校を訪問、情報収集
12月5日 オーストラリア移住希望者へのインタビュー調査
12月6日 オーストラリア永住者へのインタビュー調査
12月7日〜12月8日 帰国
活動成果
現地の教育機関や政府機関の訪問と情報収集、インタビュー調査とともに、大変有意義な情報を得ることができた。
例えば、オーストラリア移民・市民権省の訪問においては、永住権さえあれば生活に支障のない国であるオーストラリアにおいても、ある一定の移住者が市民権を取得する傾向にあることが分かっている。特に、二重国籍や多重国籍が認められる国出身の移住者が多いようである。
移住希望者へのインタビュー調査においては、2010年7月の時点で永住権の申請要件が変更となり、永住権の取得がより一層厳しくなったことが判明した。これは、オーストラリアの移民政策において、今後は移住者をさらに制限する方針がとられるであろうという本研究の予測を裏付ける重要な証拠となった。
近年、オーストラリアにおいては、移民問題以上に難民問題が政策上の争点とされているが、オーストラリア永住者へのインタビュー調査においては、難民問題に関連する貴重なエピソードを伺うことができた。現在、南オーストラリア州アデレードでは、難民拘置所の設置をめぐって住民と政府との間で対立が起こっており、難民問題は、オーストラリア人の生活にも影を落とし始めていることが明らかになった。
<研究成果>
本研究によるクロヌラ暴動の分析は、オーストラリア社会が内包していながらも、社会の一部として捉えられていないコミュニティの姿を浮き彫りにした。そのようなコミュニティが存在する背景には、新自由主義の影響による、導入当初の多文化主義の理想からの変容があった。
過去の一時期において、移民は保護されるべき対象であったかもしれない。しかし、現在、オーストラリアの多文化主義において、移民はオーストラリアの経済発展に貢献することを期待されている。ところが、多文化主義の統治性、すなわち、多文化主義にふさわしい市民によって多文化主義を成立させようとする試みは、いまだ模索の段階である。経済的貢献どころか、実際は、経済的自立すら不十分なコミュニティが存在しているというのが現状である。