2007年度 SFC研究所プロジェクト補助報告書

社会イノベーションの拡散に関する事例研究

研究代表者 井上英之

(慶應義塾大学総合政策学部専任講師)



 

 

■研究チームメンバー

井上英之(慶應義塾大学総合政策学部 専任講師)

玉村雅敏(慶應義塾大学総合政策学部 准教授)

奥田有紀(慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問))

伊藤健(慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問))

 

1.              研究概要

2.              研究目的と背景

3.              研究進捗

4.              研究報告

5.              今後の展開

6.              発表

参考文献

 

 

1.研究概要

社会イノベーションの拡散(Diffusion)の担い手としての、社会起業やソーシャルエンタープライズの日米事例を研究、社会イノベーションの概念整理とともに、これまで、カリスマ的な創業者のもとに留まりがちだった社会分野の事業を、他地域展開させていくためのプログラムや組織作りに関する研究を行う。特に、社会分野においては、現地適合が必要であるため、各事例を通じて、どのように価値観を共有し問題解決モデルを広げているのか、同時に、人間を新たな行動パターンに導くための空間やコミュニケーションにおける「デザイン」の要素を分析、今後の同分野の研究/カリキュラムの充実に貢献する。

 

 

2.研究背景と目的

近年、イノベーションの普及が以前に増して注目され、日本政府も2006年にイノベーシ ョン担当大臣の新設や2025年までを視野に入れた「イノベーション25」を取り纏める等、イノベーションの普及に向けて注力している。この研究では、いわゆる技術革新にとどまらない、社会の新しい問題解決モデルを示す「社会イノベーション」研究、特に、“社会起業”と言われるビジネス性と社会性を両立させる事業を中心に、その地域ごとでのイノベーションの可能性と、具体的に地域モデルの他地域への展開を通じた、社会イノベーションの普及をテーマに扱う。

 

社会や地域の問題解決において、特定地域での成功事例を、他地域に現地適合させ、展開することは容易ではない。近年事業モデルを活用して社会的な課題を解決しようとする“社会起業”という分野が世界中で大きな動きとなりつつあり、昨年、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏が経営するグラミン銀行などはその典型といわれる。ここで、重要なのは、彼らが、社会問題解決モデルの事業としての側面を強調することによって、事業や市場メカニズムを通じた、より面的な展開を視野に入れていることである。

 

社会セクターでの事業やプログラムの、地域展開に関連する先行研究は、米国のビジネススクールを中心とした分析が、近年始まっている。社会起業研究で知られるDuke大学のDees(2002)は、スケールアウト(他地域展開)に関する戦略的な意思決定の必要性を説き、支部を増やすだけではない、ネット社会にもフィットする“プログラムの方法論の拡散”という選択肢も示している。Oster(1996), Grossman(2001)では、展開した先の支部が、本部と提携しつついかに自律性の保つのか、その両立の可能性について分析している。多様なニーズに応えつつ、沢山の人の課題を解決する必要のある社会分野では、共通のミッションの下、本部での方法論を踏襲しつつも、現地への適合や顧客にあわせた柔軟な対応が求められる。さらにBradach(2003)は、社会プログラムが、他地域への展開を試みることを通じて、本部においても「問題解決の法則」(Theory of Change)をさらにシンプルで洗練したものにしていく、成長のプロセスとなる、と指摘している。

 

ただし、既存の研究の多くは、米国等における慈善型のNPONGOが開発した社会プログラムの地域的な展開を分析したものが殆どである。国際援助NGOを始め、大規模な問題解決を必要とする場合、「規模を拡大する」(going to scale)は重要な課題となる。一方、90年代後半以降潮流となっている社会性と事業性の「ダブルボトムライン」を追求した、事業型のソーシャルエンタープライズ(社会事業)やソーシャルビジネスの地域展開を取り上げたものは、ニーズは高いものの研究の歴史が浅く、まだ殆どない。

 

本研究は、本拠地において開発した「問題解決の方法論」(=Theory of Change)のプログラム化に加えて、他地域に展開しやすい、新たな人間行動を誘発する、空間や建築デザインの要素を盛り込むことに着目している。社会性と事業性に加え、地域でイノベーションを起こしていくには、アートやデザインによる人間行動の設計も必要だという視点は、Pink2005)も指摘している。

 

本研究では、こうした、社会イノベーションの事例を、1)空間やコミュニケーションづくりを通じた行動デザイン、2)変化の法則を展開させるための組織作りの側面とあわせ、地域展開する日米の事例調査を行う。同時に、社会イノベーションとは何か、既存研究もあわせた概念整理を行い、そのなかでもイノベーションの普及に関する理論的な整理の基礎としたい。

 

 

3.進捗報告

これまで、研究プロジェクトチームを立ち上げ、ビジネスセクター、NPO、社会起業分野の中間支援の専門家など、幅広いメンバーにも参画いただき、定期的に研究プロジェクトの進捗報告を行った。先行研究論文や日米のケースの分析報告(日本:ビッグイシュー日本、マドレ・ボニータ、米国:City Year, Teach for America, KaBOOM!, Goodwill Industries, Manchester Craftsmens Guild, YouthBuild USAなど)、およびディスカッションを行った。また、7月下旬には渡米し、米国の先進事例の現地インタビュー、さらには、アショカなどの社会起業支援団体との意見交換、ディスカッションも行った。また、その報告を、『NPOジャーナル』(関西国際交流団体協議会)22号に「スケールを求める社会起業家たち〜より大きなインパクト、より多くの人に広げるには?」として掲載した

 

米国での主な訪問先は、以下である。

University of PittsburghBusiness School,Manchester Craftsmens Guild/Manchester Bidwell Corporation,  Pittsburgh Social Venture Partners,       DC Central Kitchen, Venture Philanthropy Partners,      Goodwill Industry, Polaris Project, Asoka,Japan Society, Common Ground

 

 

4.研究報告

●要約

これまでの、研究や事例インタビューを通じた成果として、社会起業家の引き起こす社会イノベーション、および、そのスケールアウトに関して、以下の仮説があがっている。

 

1)社会起業研究は、まだ発展途上だが、その定義にもまだ幅がある。その中でも、Dees2006)の分類による、「ソーシャルエンタープライズ学派」(Social Enterprise School)、「ソーシャルイノベーション学派」(Social Innovation School)のうち、前者は、起業家=事業を立ち上げた人と考え、社会分野の事業を立ち上げた人たち、としている。これも重要なアプローチだが、本研究では、起業家=イノベーションを起こす人とし、社会全体に広がるイノベーションを志す、後者の要素が重要だと定義した。

 

2)Bradach2003)によれば、スケールアウト(他地域展開)のための、「Theory of Change」(変化の法則)には“重い”ものと、“軽い”ものがあり、製品やサービスの形で複製しやすいものは比較的、他地域展開がしやすい(量的供給が必要なもの)。一方、そうしたサービスを通じて、ある考え方や価値観、ものの見方の変更を迫りたいプログラムは、文化や価値観を伝える必要があり、展開のためのパッケージはやや複雑で、展開にはより丁寧な準備や条件整備が必要となる(質的向上が必要なもの)。

 

3)後者の、「重め」のTheory of Changeをもつプログラムを展開させるには、人間の行動変化をいざなうような、「デザイン」が重要な鍵となる。建築や空間設計、その他のコミュニケーションデザインによって、顧客やスタッフが自ら考え感じながら、価値観を共有していくVehicleとしての“デザイン”や右脳的や要素を取り込むことも重要となってくる。

 

●米国訪問の報告

「スケールアップ(Scale-up)ではなくて、スケールアウト(Scale-Out)」と言って、皆さんはピンとくるだろうか?社会の問題解決に取り組むというのはとても大きなものを相手にする。ホームレス問題の解決はとてもではないが、たった一つの団体だけで納まるようなものではない。また、どんなカリスマ的なリーダーだって何もかも解決するのは無理な話だ。マクドナルドが世界中どこに行っても同じハンバーガーを提供するように、大きくスケールアップして、社会分野のサービスだって、世の中に大きく提供するわけにいかないのだろうか?

 

問題解決のための手法(これを「セオリーオブチェンジ(変化の法則)」という)の本質的な部分だけを取り出して、他の地域に「渡して」はいけないか?それを現地の状況や社会の変化に合わせて、常に進化、現地適合させて、世の中の知恵として共有して、もっと広く展開できないか。この「スケールアウト(方法論の他地域展開)」は、非常に重要なテーマだ。なぜなら、特定の地域での良い事例は魅力的な創業者や創業メンバーにあまりに依存していることが多い。彼らが倒れた時、どうなるのだろう?また、個人技では届かない他のエリアに展開させる時、どんな仕組みが必要となるのだろうか?それはどんなプログラムで、どんな組織運営なのか?

 

通常のビジネスでは、大きく展開していく(Scale-Up)ことを創業当時から設計していることが多い。そうではなくても、市場を通じて大きくなっていくことはある。だが、社会分野の場合、頑張っていればいつかは大きく展開するものではない。事前にしっかりと準備することも重要だ(注1)。それには、いくつかのポイントがあるようだ。

 

現場の努力は素晴らしい。だが、それだけでは社会的な成果につながらないことがままある。そのくらい社会問題の現場は複雑だ。だから、すでにある日米の事例からその法則がある程度は見つからないだろうかー。今研究プロジェクトの一環で、2008年7月に米国東海岸を訪問した。ここでは、滞在中の学びをいくつか紹介したい。

 

デザインの社会変革への応用〜ピッツバーグ国際空港 

「うわあ!こういうことなのか!」全米に知られる代表的な社会起業家、ビル・ストリックランドの言っていた意味が、やっと体感できた。

 

ピッツバーグ空港.jpg

<写真1 ピッツバーグ国際空港>

 

ここは、米国ペンシルバニア州ピッツバーグ国際空港。飛行機から降りてゲートを出ると、なんともあたたかな、明るい気分になる。実は、この気持ち良さは、たまたまではない。ストリックランドがピッツバーグの荒廃しかかったエリアを変化させたプログラムの手法を“モデル”にして空間を設計(デザイン)している。いわば、彼のプログラムの効果を“場所を移して”再現(Replicate)したものだ。

 

空間デザインには、人の気持ちに変化のスイッチを入れる効果がある。人は環境の影響を受ける。この空港、決して新しい建築物ではないが美しい。設計者は、ピッツバーグにある有名な「落水荘」を設計し、日本でも旧帝国ホテルなどの設計で知られる世界的な建築家、フランク・ロイド・ライトの弟子にあたる。天井や壁の上方にあるたくさんの窓から自然の光が差し込み、足元を照らす。ゆるやかな光と影が空港の通路を彩り、その上を歩く。まるで光の回廊だ。決して眩しくはない柔らかな光が、通り過ぎる人たちの姿や笑顔を照らす。

 

この舞台の設計に、多くの人は気づかない。森の中を歩いているようで普通の空港のことなど忘れてしまう。誰かに教えられるではなく、誰かに言葉で「空港では明るく振る舞いましょう」と指示されるでもなく、自然と新たな人間行動に誘うデザイン。

 

こうした効果を、社会変革(ソーシャルイノベーション)にも応用できないか。現在、こうしたデザインの社会変革への応用は、例えば、スタンフォード大学のビジネススクールやデザインスクールでもその試みは始まっているが、ストリックランドは、彼の人間への深い理解や自らの体験から、こうした試みをすでに30年以上も前から取り組んでいる。

 

社会起業家ビル・ストリックランドとMBC 

ビル・ストリックランド。六十歳を過ぎたばかりのこの黒人男性は、かつて、ビジネス雑誌「Fast Company誌」に、“Genius At Work”(天才の現場)として長いレポートで報じられたこともある。マッカーサー天才賞やホワイトハウスからの表彰もある、米国の代表的な社会起業家だ。

 

彼が創業し、代表を務める「マンチェスター・ビッドウェル・コーポレーション(MBC)」という非営利の企業の物語は、1965年、大学生だった彼が、自宅の一部を改造したアトリエで、自分と同じような貧困地域の若者向けにアートクラスを始めたところから始まる。ここは職業訓練センターで、専門学校である。ただ、「私がやっているのは単なる“トレーニングビジネス”ではなくて、“アティチュードビジネス”なんです」とビルは言う。

 

<写真2 マンチェスター・ビッドウェル・コーポレーション>

 

若者たちは、このアトリエで、陶芸や写真、メディアを使ったグラフィックアートなどを夢中になって学んでいく。手を動かし、何かを生み出し創造していく。それはちょうど、若き日のストリックランドが、夢中になってろくろを回し、ひんやりとした土の感触を感じながら、自分や作品と対面し、自らの尊厳や生きる喜びを見出していったそのプロセスを再現している。それほど、貧困地域の若者たちは、周囲の環境の影響もあって自尊心が低く、学ぶ意欲を持てない。生きる喜びや創造する楽しさ。ストリックランドは自分が見た、暴動の絶えない地域とは異なる、別の世界を若者たちに体感させたかった。(注2)

 

「トレーニングセンターを正しいあり方で準備すれば、アティチュード(心の態度)は後からついてくるのです。そして、アティチュードは間接に伝える。プロセスの中で時間をかけて形成されていく」。自尊心を挫かれている若者こそ、一流の環境でトレーニングを受けるべきだとストリックランドは言う。後にピッツバーグ国際空港のモデルとなったMBCの建築デザインは、だからこそ、どこからでも自然光が入り、自然と明るい気持ちになるアティチュードを生み出す重要な仕掛けとなっている。

 

「日本の若い人たちにも伝えたいのが、仲間の大切さです。志を持って人生に対して希望を持つ仲間を選び、一緒に何かをすることです。ここでは、孤独になると若者は麻薬に走ったりしてしまう。ですが、人生に意味を持たせるためには、この“信じる仕組み(Belief System)”が大切だと思います」

 

実際、このセンターで出会う若者たちやスタッフの笑顔は驚くぐらいすばらしい。空間デザインだけではなく、この場所を覆う文化には、若者のチームづくりやスタッフとの関係づくりの方法、ポジティブな言葉遣いなど、広義のコミュニケーションデザインの力も作用している。

 

これが、ビル・ストリックランドが現場から見つけ出した「セオリーオブチェンジ」だ。彼はここに、@「安全な場所(Safe Place)」、いわば安心感のあるコミュニティをつくり、その上に、A指示するのではなく体感するための具体的な「行動プログラム(陶芸やアート、その他のトレーニング)」を載せ、Bミッション達成のために必要な価値観や文化、“アティチュード”を生み出す媒体として、空間設計や家具、言語のデザイン力を駆使して、最高の環境をつくり出している。

 

このコミュニティづくり+具体的なアクションプログラム、価値観や文化を伝えるデザインという組み合わせがこのセンターの基礎となっている限り、その上に陶芸でも、メディア教育でもさまざまなコンテンツが効果的に動いていくことになる。実際、現在は、アートのみならず、成人向けに、調理師の育成、花卉の栽培、薬剤師育成など、さまざまなプログラムがあり、多くの人々の人生を変えている。

 

MBCのスケールアウト

このMBCは大きなインパクトを生み出している。MBCの下に4つの子会社があり、その1つに「National Center for Arts and Technology(NCAThttp://www.manchesterbidwell.org/ncat)がある。このNCATが、ストリックランドの変化の法則を現地適合させながら複製(Replicate)し、さらに他の地域へ展開していく役割を担っている。

 

立ち上げたい地域のリーダーをサポートするため、3つのフェーズを用意している。1年目には実行可能性を探り、2年目には、リーダーのトレーニングや法人設立、カリキュラムへのアドバイス、他に施設のデザインやリノベーション、最後のフェーズには、2〜3年かけてカリキュラムの拡大などが計画されている。このプログラムからすでに、サンフランシスコ、シンシナティなど3ヵ所に拠点を展開し、現在、展開の動きがあるのが、イスラエル、北アイルランド、コスタリカ、京都等だという。

 

但し、彼のセオリーオブチェンジはやや複雑なものだ。コピーが難しい。また単なるフランチャイズではなく、各地のリーダーの自律性や創意工夫、起業家精神は必須だ。彼は当初、「残りの人生で全米に100、海外にも100のフランチャイズをつくる」と言っていたが、実際には、もっと時間をかけた丁寧な展開が必要となっている。他の地域に展開するとなると、ますます問われるのが「プログラムのどの要素が結果を出すために重要」で、「どの要素はそれほど効いていないのか」創業者のこだわりが正しい場合と、そうではない場合がある。他地域に持っていく場合、できるだけシンプルな形に落とす必要がある(注3)。また、こうした“セオリー”は、もともと、めざすミッションやビジョンと、現場との間で試行錯誤しながら、常に細部を検討しなおし、時代や状況とともに進化していくものだ。何が変化のために必要不可欠のエッセンスなのか。ここが、NPOや社会起業のスケールアウトの核心となる。

 

世界に展開するソーシャルエンタープライズ、GoodWill Inc 

一方、今回の訪問先の中でMBCと対照的なのが「グッドウィル・インダストリーズ(Goodwill Industries Inc)」だ。今回は、ワシントンDC郊外にあるメリーランド州ロックビルの国際部を訪ねた。米国に住んだことのある人なら利用したことがある人は多いだろう。引越しの直後など私もよく行ったことがある「グッドウィル・ストア(GoodWill Store)」も、地域から不要となった中古の衣料品や家具、本などさまざまなものを寄附で回収し、非常に良い状態で再販している中古のデパートのような店だ。これが実はいわゆる社会的な企業(Social Enterprise)だったとは私も長い間知らなかった。彼らは1902年に始まる老舗で、近年まで、自分たちも今で言う社会起業のムーブメントの一つだなんて思いもしなかったという。

 

グッドウィル・ストアやその他の事業を通じて、彼らは障がい者やホームレス、その他、通常では職の得にくい人たちに職業訓練を行っている。これまでに約110万人の人たちにプログラムを提供、小売の店舗は約2200店舗、13ヵ国に提携する組織を持っている。基本的に緩やかな連携で、共通するモデルを持ちながら、各拠点の自立性は高い。MBCとの比較で特徴的なのは、彼らの“セオリー”はもう少し単純なことだ。もちろん決して店舗展開が簡単な訳ではないが、地域の不要品を集めてビジネスを行い、そこから雇用を生み出す、という基本形はシンプルである。後はそれぞれの地域に任せている部分が強い。

 

インタビューでは、細かな価値観の伝播よりも、店舗や雇用の数をまずは生み出していく点を組織のミッションとして強調していた。「アメリカには、社会的に不利な立場にいる人の雇用を生み出す小さな試みはたくさんあるが、どれも規模が小さい。私たちの目的は、まずは一定の品質を保ちながら、何よりも、雇用数を生み出すこと」と言っていた。

 

セオリーオブチェンジとは? 

この変化を生み出すための方法論を「セオリーオブチェンジ(theory of change)」と呼んでいる。これは、その団体として持っている問題解決へのアプローチ(方法論)を言語化したものを指していて、海外の著名なNPOなどでは、「私たちのtheory of changeは・・・」という言葉やそれに準ずるフレーズはよくHP等にも記載されている。

 

一つ事例を挙げてみよう。図は、全米に知られる革新的な教育系NPO「Teach for America(TFA)」のセオリーオブチェンジである。非常に単純化してあるが、立ち上げ当時、大学を出たばかりだったウェンディー・コップは、貧困エリアの問題を次のように捉えた。

 

@「貧しい地域」では、A「良い先生がいない」、数も足りない。Bだから、生徒たちの「学力が上がらない」ことがキャリアを築けないことにつながり、結局、「貧困」から脱却できない、という負のスパイラル(循環)が動いている。これが現状のシステムだ。そこで、彼女はこの状況を変えるために、Aの「よい先生がいない」を変えることを起点に、このスパイラルを変更しようと考えた。全米の良い大学から優秀な大学生たちをリクルートし、「良い先生」を地域に送り込み2年間の期限つきで活躍してもらう。子供たちの学力が伸び、よいキャリアを築きより豊かな生活へ続く、正のスパイラルを生み出すためだ。同時に、大学生たちにも重要な成長の機会となっており、今や全米の就職先人気企業ランキングのトップ10に入る団体として知られ、全米に展開している。【図】

これが、TFAのセオリーオブチェンジで、全ての原因に取り組むのではなく、Aの一点を、変化の起点(レバレッジポイント)としてテコをいれようとしたことがポイントだ。

 

こうして、問題を引き起こす既存のシステムから、新たな正のシステムに変えようとする。これをS、社会の根本的な構造を変える「システム変化(Systemic Change)」という言い方をする。

 

社会起業家は、ビジネスモデルをもって起業するかどうかが全てではない。むしろ、社会の問題に対して現場で検証したシステム変化をおこすような革新をもたらすアイデアを持つ人。社会を変えるための法則、優れたセオリーオブチェンジを持っている存在だというのが、社会イノベーション派といわれる、アショカなど社会起業支援団体に多く見られる社会起業家への理解である。そして、彼らに投資する人たちは、彼らのセオリーオブチェンジが広く展開することを期待し、自らの限られたリソースを、投資(寄附や出資、その他の協力)する。

 

MBCとGoodwillの違いは、明らかに優劣ではなく、それぞれの団体のめざしているミッションや、広げようとしているセオリーオブチェンジの質の違いだ。

 

やや乱暴に整理してみると、Goodwillのような(1)「サービス・プロダクト先行」型:目に見える製品等があり、セオリーがシンプルで、サービスを再現・拡大しやすいものと、MBCのような(2)「文化価値観重視」型:サービスや製品以上に、それらを通じた価値観や文化を伝えることに重点があり、プログラムの複製に手間がかかるもの、があるようだ。     

     

前者には、非常にシンプルな「型」があり、ある程度以上は現地に任せてしまってサービスの量的な供給不足を満たしていく。これは貧困や雇用問題など、なくてはならないものに対するサービスとして非常に重要である。日本の介護保険制度の整備もこの段階だったのかもしれない。一方、特定のサービスの量的な供給だけでは本質的な問題解決の図れないケースも多い。ニートや引きこもり、職場における鬱の問題など、日本にはこうした問題に対するニーズは高いのではないか。その際、空間デザインやコミュニティづくりを媒体とした手法には一定以上の学びがある。

 

*注1:社会起業研究の代表的な研究者、Duke大学のGregory Dees教授も、下記の論文等でスケールアウトに際しての準備や戦略の重要性を説いている。Dees, Gregory., Beth Battle Anderson, and Jane Wei-Skillern. 2004. “Scaling Social Impact: Strategies for Spreading Social Innovations,” Stanford Social Innovation Review,Spring 2004: 24-32

 

*注2:ビル・ストリックランドに関しては日本語では、「社会起業家という仕事」(日経BP社、渡辺奈々著 2007年)に詳しい

 

*注3:セオリーオブチェンジの複雑さに関しての議論は、Bradach(2003)を参照されたい。Bradach, Jeffrey. 2003 “Going to Scale: The Challenge of Replicating Social Programs.”

 

 

5.今後の展開

今後、西海岸のサンフランシスコやシリコンバレーを訪問し、MBCで見たようなデザインの要素やテクノロジーも含んだ、新たなイノベーションの展開への取り組みについて視察する予定。訪問予定には、BayCATという、上記MBCの他地域展開プログラムから始まった団体もある。こうした現地訪問や、これまでの研究成果をまとめ、フォーラムや、雑誌・学会誌等での発表も継続的に行っていく。

2009年春には国際交流基金日米センターの支援による、米国ゲストを招いたフォーラムを開催、次のプロジェクト展開へと発展させる。これには、米国NYのジャパンソサエティの協力も決まっており、日米のメディアを使った発信も行う。実務家および研究者むけに新たな知見を発信、創発的な関係を築いてゆきたい。

 

【参考文献】

Alvord, Sarah H, L. David Brown, Christine W Letts, “Social Entrepreneurship & Societal Transformation, Journal of Applied Behavioral Science (Sept., 2004, Vol. 40, Iss. 3;  pg. 260).

Bradach, Jeffrey,Going to Scale: The Challenge of Replicating Social Programs(Stanford Social Innovation Review, Spring 2003) 

Dees, J. Gregory, Beth Battle Anderson, & Jane Wei-Skillern, “Pathways to Social Impact: Strategies for Scaling Out Successful Social Innovations,” (CASE Working Paper Series, No. 3, Aug. 2002, Fuqua School of Business, Duke Univ.).

Dees, J. Gregory, & Beth Battle Anderson, “Framing a Theory of Social Entrepreneurship: Building on Two Schools of Practice and Thought” (Research on Social Entrepreneurship, ARNOVA Occasional Paper Series 13, 2006)

Grossman, Allen & Kasturi Rangan, “Managing Multi-Site Nonprofits,” (Nonprofit Management & Leadership, 11(3), Spring 2001)

Kramer, Mark R., “One Business Maxim to Avoid: ‘Going to Scale’” (Chronicle of Philanthropy, Feb. 3, 2005)

Letts, Christine W., William P. Ryan, and Allen Grossman, “The National Office: Leading Program Expansion by Supporting High Performance,” Chapt. 8 of High Performance Nonprofit Organizations: Managing Upstream for Greater Impact, (New York: John Wiley & Sons, 1999)

Moss Kanter, Rosabeth, “Even Bigger Change:  A Framework for Getting Started at Changing the World,” Harvard Business School Teaching Note, May 12, 2005.

O’Flanagan, Maisie and Lynn K. Taliento, “Nonprofits: Ensuring that bigger is better,” (McKinsey Quarterly, 2004, No. 2).

Oster, Sharon M., “Nonprofit Organizations and Their Local Affiliates: A Study in Organizational Forms,” Journal of Economic Behavior and Organization, vol. 30, 1996.

Uvin, Peter, “Fighting Hunger at the Grassroots: Paths to Scaling Up,” World Development, Vol. 23, No. 6, 1995.

Uvin, Peter, Pankaj Jain, L. David Brown, “Think Large and Act Small:  Toward a New Paradigm for NGO Scaling Up,” Word Development, Vol. 28, No. 8, 2000.

Wei-Skillern Jane, and Beth Battle Anderson,Nonprofit Geographic Expansion: Branches, Affiliates, or Both?”, (CASE Working Paper Series, No. 4, September 2003, Center for the Advancement of Social Entrepreneurship, Fuqua School of Business, Duke University).

など