【研究対象および研究方法について】

I. 研究対象

 研究の対象としては、先月12日に文部科学省から発表になった、「コミュニティ・スクール・モデル校」ということで全国の公立小中学校から選抜された9校である。

具体的な名称は、以下の通りである。

 モデル校共通の取り組みとしては、以下のような項目が挙げられる。
 その他、学校によっては現状に合わせて「教科選択制」や「不登校児対策」、「学校評価制度の整備」、「校長公募」を取り組みに挙げているところもある。

II. 研究を行ううえでの疑問・仮説

 本研究を行うに当たってまず疑問に思ったのは、各実践研究校がどういう経緯で文科省に選ばれたのかという点である。実践研究校への応募が30件あった中、何らかの基準をもってこの7件9校が選抜されたのは、どういうわけであろうかということであった。
 しかし、これに関しては文科省が選抜した以上、私たちには知る術がない。そこで、少し視点を変えて、実践研究校への応募に至るまでに考えられるシナリオをいくつか作ってみた。それを以下に挙げる。
 このようないくつかの可能性から、以下の仮説を導き出した。
 この仮説をもとに、フィールドワークを行った。

III. 研究方法

 現地へ赴いて、学校関係者(具体的には、校長・教頭・実践研究における担当教諭)へのインタビュー調査を行った。

 今までの研究の流れを、以下に示す。

i. 準備期間(2002年5〜6月上旬)

 手始めとして、各実践研究校へご挨拶および問い合わせの手紙を送付した。
 これには、自分が慶應義塾大学の学生で、「新しい学校」ひいてはコミュニティ・スクールに対して興味を持っていること、その一環として、今回の「新しい学校運営に関する実践研究校」を研究対象に取り上げようと思っていることを明記し、そのうえで、いくつかのお願いをした。そのお願いとは、以下の3点である。

 これに対して、返答があったのは7校(岡山の3校は岡輝中が代表のため)
 返答は強制できないものではあるが、ここでもう1つ仮説が加わった。

ii.フィールドワーク(2002年6月中旬〜7月初め)

 上記の疑問・仮設を踏まえて、フィールドワーク前の準備として、資料集め・学校との接触などを行った。実際の方法として、資料を同封してくれた学校については、その資料+アルファ、返信がなかった学校については、Webなどで独自の資料収集など。
 また、集めた資料を元に、どのようなことを軸にして質問していくかなどの詳しい詰めの段階に入った。フィールドワーク自体は、教育関係に興味を持つ学生が集まってつくっている「コミュニティ・スクール研究会」というチームで行くことになっていたので、週に2回ほどミーティングを開き、意見交換を行った。
 当初から、「どのような経緯で応募したか」「地域学校協議会について」など、大枠の質問項目は決まっていたが、資料が集まってくるとともに、各校がどのような方向を志向しているかが、何となく見え始めたことで、質問項目をより具体的に設定することが可能となった。
 また、実践研究校そのものよりもっと大きな枠で、「学校運営とは何か」ということも、この時期に勉強会をすることによって、かなり大きな収穫を得たように思う。

iii.フィールドワーク(2002年7月下旬〜10月末)

 ここで、実際の学校訪問・インタビュー調査に入る。
 具体的には、あらかじめファックスなどで主な質問項目を送付し、当日はそれに+αというかたちでインタビューを進めた。話をしてくれたのは、各校の校長・教頭および実践研究担当の教諭。重点的に伺ったのは、以下の何点か。
 以上を踏まえて、結果の分析・考察に移った。

iv.結果の分析・考察(2002年11月〜12月)

 今回のフィールドワークで分かったのは、以下の2点であった。
 「コミュニティ・スクール」とは、有志が自主的に手を挙げて設立する学校である。その側面から考えれば、今回の実践研究校も「自主的に手を挙げる」ことが重要なことだと言えよう。しかし、実情は「教育委員会からの打診があった」ことを、応募の直接的なきっかけとして挙げた学校がほとんどであった。
 さらに、カリキュラムや学校自体の改革など、教育システムの変化のスピードがとても速くなってきている昨今、それだけでも大変なのに、他のことにまで手が回らないという点で、現場の先生たちの反対がかなりあったという学校が多かったのも、注目に値する。
 そのようなことを考えると、仮説1(応募動機が、その学校の研究成果を左右する)ということについては、懸賞が不可能もしくは難しいと考えざるを得ないという結論に至った。
 また、仮説2(返信があった学校は研究熱心である)についても、実際に訪問してみて、一概にそうも言えないことが明らかになった。学校側にとっては、いくら身分を明らかにしようとも、得体の知れない存在であることは変わりがない。行政機関を通した質問でなければ、例外なく返答はしないという雰囲気が、ひしひしと感じられた。また、こちらからの手紙が着いたとき、自分たちの熱心さをアピールすることよりも、この学生たちの集団は、今回の話をどこから聞いてきたんだということが気になってしまった学校も、かなりあったように思われた。
 以上のように、フィールドワークに出る前に立てた仮説は、2つとも検証がかなり難しいことが明らかになった。研究を進めていくうえで、もっと適切な仮説をあらたに立て直すことが求められているわけだが、私は以下のことに注目してみた。

 今回のフィールドワークで、一通りの学校を訪問したわけだが、実際に現地へ赴くことによって、その地域の景観・地域の性質のようなものが自然と目に入ってくる。その、一見「教育」とは何の関係もないと思われるようなことが、今回のような研究にはとても重要になってくるのだということを、あらためて考えさせられた。
 次に、いくつか具体例を挙げる。

■尾道市立土堂小学校

 大変に長い歴史を持つ(100年以上)小学校であり、尾道駅からも近い。校舎もなかなか瀟洒であり、尾道においてかなり重要な位置を占める学校であったことがうかがえる。
しかし、本州と四国を結ぶ橋があちこちにできたことにより、周辺の人の流れが変わり、急速に衰退の一途を辿りつつある。とても階段や坂の多い街であり、お年寄りにとってあまり優しいとはいえない街並みなことも、この地の過疎化を促進している大きな原因の1つであろう。
今回の研究において、尾道の過疎化は重要な問題であった。それにより、土堂小学校自体の閉校という事態を招きかねないからである。この土地の誇りである土堂小を潰させない、その決意がこの研究に応募する後押しとなったのである。

■津市立南が丘小学校

 駅を降りると、新築やそれに近いマンション・きちんとした区画整理のもとに建てられたきれいな一戸建てという景観が続く。一見してすぐ、新興住宅地であるということが分かる地域である。現場の先生方によれば、いまだに1学期に20人程度の割合で生徒の数が増えているという。この地域は、まだ誕生したばかりで発展途上なのである。
 実際、学校自体も平成に入ってからの開校ととても新しい。この地区を開発していく一環として学校がつくられたという感じである。であるからして、当然のごとく「コミュニティ」というものが、まだ醸成されていないのである。
 この学校も、教育委員会がかなり熱心に今回の研究への応募を推進した地域であるが、そこには、学校が中心となって、この地域にできるべき「コミュニティ」作りを先導してほしいという願いがあるように感じた。

■京都市立御所南小学校

 京都には、明治の初めにその地域の住民の力で設立された「番組小学校」というものが点在していたのだが、世間の流れに従って統廃合が進み、ここ御所南小学校も数年前にいくつかの小学校が統合された。
 京都という土地柄、もともとの住民の協力にはこと欠かないが、違う文化を持ったコミュニティがいくつか統合したことにより、今までとは異なる点もいくつか出てきたようだ。今回の応募には、そのような事情が背景にあるということが察せられた。

 全部の例は挙げなかったが、この3例だけでもかなり「地域の特色」というものが色濃く反映されていることが分かるだろう。そこから、自分なりに導き出した考察は、以下の通りである。
 「教育システム」そのものや、その学校の取り組みだけにこだわっていても、見えてくるものは少ないのではないか、その地域の成り立ち方、現地コミュニティの現状、あるいはもともとあったコミュニティとはどのようなものかということなど、総括的に追っていくことが重要なのではないかということだ。
具体的には、以下の3点にまとめられると思われる。
それらをどのように生かしていくかが、今後の課題となろう。


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