2009年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究成果報告書

街を探索するための人目線ビューワー“街メガネ”の設計と評価

慶應義塾大学大学院
政策・メディア研究科
修士2年
小川克彦研究室
80824890 / pma
土橋 美佐

研究概要

 近年,GPSと高機能な携帯端末の普及を背景に,ユーザの位置情報にもとづいたサ ービスLBS(Location Based Services)が増えてきている.このLBSは,そのインタ フェースに着目すると,大きく2種類に分けられる.1つは,Googleマップに代表さ れる,平面地図を用いて上空からの目線で情報を閲覧するサービスで,これを本研究で は,鳥目線ビューワーと呼ぶ.もう1つは,セカイカメラに代表される,人の目線で街 の情報を閲覧するサービスで,これを人目線ビューワーと呼ぶ. こうしたLBSについては,これまで,技術的視点から多くの研究が行われてきた. しかし,一方で,LBS が人の移動行動にどのような影響を及ぼすかという,ユーザの 視点からの研究はあまり行われておらず,特に,人目線ビューワーについては,未だ有 効な利用シーンは明らかになっていない.サービスの組み立て方や,ビジネスモデルも 手探りの状態である. そこで本研究では,人目線ビューワーの特徴を抽出することを目的とし,人の街探索 行動や場所に対する認知特性を検証する街探索実験を実施した.具体的には,まず,交 差点からユーザの目線で,街の情報メニューを閲覧する人目線ビューワー“街メガネ” のプロトタイプを作成した.次に,認知地図を用いた街探索実験によって,街メガネの プロトタイプと鳥目線ビューワーとの比較を行った.その結果,人目線ビューワーの特 徴として,@「街を区分するエッジを越えさせ行動範囲を広げる」,A「余計なことや 楽しいことなど様々な発見を誘発する」B「目的が明確な街歩きにも適する」という知見を得た.

はじめに

研究背景

 近年,人の街頭における移動行動をとりまく環境は,劇的に変化した.例えば,休日 の午後,友人とランチの約束をしたシーンを思い浮かべる.数年前ならば,事前にその 場所に詳しい別の友人にお薦めのレストランを尋ね,料金や営業時間,店までの行き方 などをメモに書き留めていたかもしれない.それが現在では,当日友人と落ち合った後, その場で,携帯電話を開いてネット上の口コミ情報から自分たちの好みに合った店を探 し出し,さらに,携帯電話が案内する道順に従って目当ての店まで辿り着くといったこ とが可能となった. GPSと高機能な携帯端末の普及を背景に発達している,このようなユーザの位置情 報にもとづいたサービスは,LBS(Location Based Services)と呼ばれている.この LBSは,位置情報取得型サービスと,位置情報取得型に機能を付加した移動支援型サ ービス,そして環境情報取得型サービスの3つに分類できる[Kohiyama05].本研究で は,その中でも,ユーザの現在位置を取得する位置情報取得型サービスをもとに,ユー ザの街頭における移動行動を支援する移動支援型サービスをLBSとして扱う. LBSはそのインタフェースに着目すると,さらに大きく2種類に分けられる.1つ は,平面地図を用いて上空からの目線で情報を閲覧するサービスである.本研究では, これを鳥目線ビューワーと呼ぶ. 鳥目線ビューワーの代表例が,Google マップ[Google10]である.iPhone や携帯電話で動作するGoogleマップは,ボタン1つで現在地周辺の地図を表示する. さらに,「映画」や「カフェ」など,ユーザが入力したキーワードに従って,目的に合 うスポットを探し出し,候補をいくつか表示する.候補のリストから,店の詳細や口コ ミ情報のページにアクセスすることもできる.目的地を決めたら,経路案内図を表示さ せることも可能である. LBSには一方で,人の目線で街の情報を閲覧するインタフェースもある.これを鳥 目線ビューワーに対して,人目線ビューワーと呼ぶこととする.人目線ビューワーは, 最近の拡張現実(AR)系サービスの流行で,にわかに注目を集めている. 人目線ビューワーの代表例が,AR系サービス,セカイカメラ[Tonchi10]である.セ カイカメラはiPhone専用のアプリケーションで,内蔵カメラによって取得した実空間 映像上に,その場所や対象物に関連づけられた「エアタグ」と呼ばれる文字や画像,音 声からなる情報を重ねて表示する.エアタグは,ユーザによって自由に付加され,共有 される.表示内容は,加速度センサ及び地磁気センサと連動しており,ユーザのいる場 所や向いている方向に応じて変化する. こうしたLBSについては,これまで,GPSや,電子タグ,センサ,無線端末など, 技術的視点から多くの研究が行われてきた.しかし,一方で,LBS が人の移動行動に どのような影響を及ぼすかという,ユーザの視点からの研究はあまり行われていない. それでも,鳥目線ビューワーは,地図という昔から人にとって馴染みの深いインタフェ ースを用いているため,Google マップをはじめとして,多くのユーザによって親しま れ,日常的に使用されるようになってきている.しかし一方で,人目線ビューワーにつ いては,未だ有効な利用シーンは明らかになっていない.ごく最近になってサービスが 開始されたこともあるが,実空間にネットの情報を重ね合わせるというインタフェース は,画期的で,ユーザにとって未知の部分が大きいためである.さらに,サービスの組 み立て方や,ビジネスモデルも手探りの状態で,人目線ビューワーをめぐる市場は発展 途上にある.

研究の目的

 本研究は,人の街探索行動や場所に対する認知特性を検証する街探索実験を実施し, 人目線ビューワーの特徴を抽出することを目的とする. 具体的には,まず,交差点からユーザの目線で,街の情報メニューを閲覧する人目線 ビューワー“街メガネ”のプロトタイプを作成する.次に,プロトタイプを用いた街探 索実験を,鳥目線ビューワーの代表的事例であるGoogleマップと比較して行い,被験 者の街探索行動を観察する.さらに,被験者へ認知地図作成課題を課すことで,人目線 ビューワーと鳥目線ビューワーがそれぞれ,場所の認知へ及ぼす影響を知る手がかりと する.その際,街歩きの目的の有無や男女による違いについても併せて検証する. それらの結果を用いて,人目線ビューワーの特徴を抽出し,利用シーンやターゲット ユーザなど,サービスのデザインやマーケティングの指針に結びつけるための知見を得 る.

街メガネのコンセプトとプロトタイプ

コンセプト

  リアルな街歩きでは,初めて訪れた街で,高いところへ上って街の実風景を確認する ことがよくある.そして,地図やガイドブックを片手に街の風景を眺めながら,それら から得た知識を街の風景に重ね合わせる.このような行為を,ネット世界の情報検索に 置き換えて考えてみると,街の情報メニューを自然に頭の中に描いていると言うことが できる. 街メガネは,このように人の頭の中にしか存在しなかった,街の情報メニューを交差 点の周辺で視覚化し,街歩きにおけるメニュー検索を可能にすることをコンセプトとす る.

プロトタイプ

 街メガネのプロトタイプはiPhone3Gで動作するウェブアプリケーションとして作成した (デモ動画を再生).プロトタイプの仕様は予備実験を用いて検討した.

街探索実験

 人目線ビューワー“街メガネ”と、鳥目線ビューワー “Googleマップ”(以下、Gマップ)について、各ツールを使用した時の被験者の街探索行動や、場所の認知への影響を比較した. 実験方法は,予備実験を実施て検討した.

実験方法

(1)実施日時
予備実験は,2009年11月7日~12月19日の間,計8回実施した.いずれも午前 11時頃~午後3時頃の間に実施した.所要時間はいずれも2時間程度だった.なお, 実施時の天候は,11月7・18・20日,12月19日が晴れ,11月29・30日,12月4・ 9日が曇りだった.11月上~中旬は歩いていると,少し汗ばむ程度の暖かさがあったが, 11月下旬以降は,気温が下がり,12月中は手がかじかむほどの寒さとなった.

(2)実施場所
街自体の面白さが被験者の場所の認知に及ぼす影響を考慮するため,一見何の 面白みもない郊外の街である神奈川県大和市に位置する中央林間駅周辺を実験実施場所として選定した.


(3)被験者
中央林間駅周辺に土地勘のない19~24歳の学生,男性・女性各6名の計12名を被 験者とした.

(4)実験手順
 被験者12名のうち6名には街メガネのプロトタイプを,別の6名にはGマップを使用してもらい,次のような シチュエーションAまたはBを想定して街歩きをしてもらった.

・シチュエーションA
 あなたは,先週中央林間の街に引っ越してきました.今度の週末,友人数人を新居に 招待することにしています.当日は中央林間駅に集合してから駅周辺の飲食店でランチ をする予定ですが,どんなお店があるのかまだよくわかりません.そこであなたは(街 メガネ/Gマップ)を使って,中央林間駅周辺で美味しそうなランチのお店を探すこと にしました.

・シチュエーションB
 あなたは,中央林間駅で友人のBさんと待ち合わせをしています.しかし,Bさん は待ち合わせの時間になっても現れません.そこでBさんに電話をしてみると「今起 きたところ.」だと言います.Bさんが中央林間駅へ着くまで,1時間ほどかかりそう です.そこであなたは(街メガネ/Gマップ)を使って,中央林間駅周辺の店舗や飲食 店などのスポット情報を眺めながら,駅周辺をぶらぶらして暇をつぶすことにしました.

  シチュエーションAは街歩きの明確な目的があるシチュエーション,シチュエーシ ョンBは街歩きの明確な目的がないシチュエーションである.被験者6名にシチュエ ーションA,別の6名にシチュエーションBを想定して街歩きをしてもらった.
各被験者に街メガネ,またはGマップの使い方と,各シチュエーションの説明を行 った後,街歩きを開始してもらった.街歩きを始めて1時間後に,スタート地点と同じ 場所に戻って来るという以外に,特に制限はなく,自由に街歩きをしてもらった.街歩 きの最中,筆者は被験者を5~6メートル後方から追尾し,街歩きの様子を観察した. 街歩き終了後は,街歩きの際の記憶だけを頼りに中央林間駅周辺の認知地図を作成す る課題を被験者各自に課した.さらにその後,実験中の街歩きや作成してもらった認知 地図について,簡単なインタビューを行った. なお,実験は便宜上,2人同時に行うこともあったが,街歩きや認知地図作成課題は 各自が全て1人で行った.


実験結果にもとづく街メガネの特徴

実験結果

  実験結果として、被験者によって描かれた12枚の認知地図を示す。


 以上の認知地図について、「行動範囲」「各パーツを建築家Lynchの示す認知地図の構成要素、パス、ノード、ランドマーク、ディストリクト、エッジの5種類に分類、定量的分析」「非登録ランドマーク」の観点から観察・分析した結果、以下の3つのような特徴が得られた。
・ 特徴1 エッジを越えさせ行動範囲を広げる
・ 特徴2 余計なことも楽しいことも発見を誘発する
・ 特徴3 目的が明確な街歩きにも適する
 以上の3つの特徴について以下で詳細を述べる。

特徴1 エッジを越えさせ行動範囲を広げる

・ 行動範囲の観察より
 
 街メガネ使用被験者6人中5人は、エッジである線路をまたいで東西を描いている

   これに対してGマップ使用被験者6人中4人は、東口または西口、どちらか一方のエリアのみを描いている

   街メガネ使用被験者6人中3人は、スタート地点からもっとも離れたスポットを描いているが、Gマップ使用被験者は一人も描いていない。

 
・インタビューより
ー蕎麦屋Cを描いた3人の街メガネ使用被験者「街メガネでは、距離がわからなかったのでとりあえず行ってみたら、思った以上に遠かった。」
ー東口エリアのみを描いたGマップ使用被験者「「街歩きの前に、地図で確認したところ、線路をはさんで反対側にも店舗が沢山あるとわかったが、踏切を渡るのは面倒なので東口エリアだけで店を探そうと決めた。」
・考察
ー街メガネは、現在位置周辺の狭い範囲しか見渡せなかったり、登録されたスポットまでの距離を把握しにくかったりすることが、遠い場所まで足を向かわせる、行動範囲を広げることに繋がる
ー Gマップは、地図を用いて広い範囲を見渡し事前に街全体を確認できることが、ユーザに事前の確認を促し、エッジを意識させ、自ら行動範囲を限定させる

特徴2 余計なことも楽しいことも発見を誘発する

・ 非登録ランドマークの分析より
ー認知地図に描かれた各パーツを、建築家Lynchの示す認知地図の構成要素、パス、ノード、ランドマーク、ディストリクト、エッジの5種類に分類し、数を数えた
ー ランドマークの中でも、街メガネとGマップの両ツールにスポット情報として登録されていないスポット(非登録ランドマーク)の数を数えた
ー ツール別に非登録ランドマークの数の平均を算出した
ー 街メガネの平均値のほうがGマップより高い
・考察
ー街メガネでは、詳しい道順や複雑な位置関係を表現していない。その分、街メガネのユーザは、街を歩き回り、周囲を注意深く観察することで、目的のスポットを探し出さなければならない。
ーこの街をひたすら歩き、探し回る行為が、街に対する感覚を拡張し、発見を誘発する

特徴3 目的が明確な街歩きにも適する

・認知地図の定量的分析より
ー目的があるときは、認知地図の構成要素であるパス(道)やノード(交差点)の数が、目的なしのときに比べて多くなる
ー街メガネでもGマップでも同様の傾向である

・ 非登録ランドマークの分析より
ー目的の有無別に非登録ランドマークの数の平均を算出した
ー目的なしの平均値のほうが目的ありよりも高い
ー街メガネでもGマップでも同様の傾向である

・考察
ー目的の有無は場所の認知に影響を及ぼすがその影響は両ツールにおいて同様である(ツールと目的の有無との交互作用はない)
ー街メガネでも、目的ありのシチュエーションにおいて、被験者全員が好みの店を発見している

今後の課題

・ 被験者の数を増やして、同様の実験を行う
・ 街メガネにおける適切な情報量、表示方法についての検討
・ ユーザの性別や場所の特性との交互作用の分析

本研究に関する対外発表

・土橋美佐,小川克彦,“電子コンパスを用いた街探索の提案と実践”,情報処理学会第71回全国大会, 2009年3月.
・Misa Tsuchihashi,Katsuhiko Ogawa,“A Study on the Interface for Viewing the Information Menu of a Town from Intersections Using a Digital Compass”,    HCI International 2009, July,2009.
・土橋美佐,小川克彦,“街を探索するための人目線ビューワーの提案”,ヒューマンインタフェースシンポジウム2009,2009年9月.

参考文献

参考文献リスト