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実録!ビヨンド社のイノベーション ~ O.Hさん

草の根活動『実録!ビヨンド社のイノベーション』ですが、第2回にして、なんと、ブルーレイディスクの生みの親にして、現在ビヨンド社 業務執行役員SVP、O.Hさんへのインタビューが叶いました!今回、主に新型大容量 Discの商品化を主にお話しを伺いました。突然の(そして無礼な)飛び込み依頼にも関わらず、新型大量量 Discローンチまでの経緯、そして、私からのぶしつけな質問にとてもとても丁寧にお答えしてくださいました。終始、技術者であることを強調され、"技術のビヨンド社"を力強く支えてきたと言う気概を、やさしいお言葉の端々に感じる、そんな方でした。

新型大量量 Disc「研究」から「商品」へ

かのNH化学工業(当時)によって実用化された新型発光ダイオードによって、新型大容量 Disc 商品化への道が開かれ、また、21世紀にはハイビジョン対応の光ディスクが必要となる、新型大容量 Disc 商品化への活動がスタート。当時鶴島さんが見ていた研究チームのアウトプットを新型大容量 Discとして商品化するべく、商品化経験のあるマネージャーとしてO.HさんがG.Eさんの指示によって任されます。

研究現場との格闘

そのようにして研究所所長となったO.Hさんですが、それまで主流であった磁気メディアであるならば兎も角、光Discに関する知識は無く、教えてもらいながらの船出だったそうです。何より、研究所における、各研究者の動機は、研究論文を書くためとまでは言わないまでも、自信の担当分野の完成度向上にはたっぷり時間をかけ、スケジュールにミートするような動きになかなかならなかったとのことです。事業部では、高い品質はもちろんですが、スケジュールもまたそれと同等に大切です。なかなか、研究者が商品化のために一丸となってくれなかったとのことです。

目標の設定、毎週の進捗報告、コミュニケーション

スケジュールを実感してもらうために、O.Hさんはまず、目標の設定に着手します。その目標とは以下のようなものでした。

この目標設定は、各ハリウッド擁するコンテンツベンダー技術陣の意見や、βvsVHSにおける録画時間競争などの経験からはじき出した「必勝・必達」の目標です。なお、各コンテンツ・ベンダーとのヒアリングには、O.Hさんがビデオ事業部時代からの伝手で連れてきた山村さん(現オプティアーク社長)、駒井さんの力をお借りしたとのこと。ちなみに、O.Hさんが連れて来たのは、結局このお二人だけだったとのことです。

更に、毎週の進捗報告を行ってもらうようにすることに着手していきます。意外なことに、事業部では当たり前の「進捗報告」は、研究所では当たり前ではなく、実際そのような報告の機会を持った事さえなかったのです。コミュニケーションに課題を感じたO.Hさんは、研究所内の風通しを良くするため、パーティションを撤廃したり、部課長1人1人と1時間にわたる面談、週3回、当時300名いたメンバーと10人ずつ昼食を共にするなどの策を取っていきます。そんなO.Hさんの努力が実って、次第に自ら報告をすることが自分にとっても良いと言う文化が出来上がっていきます。そんな風になるまで、1年あまりかかったとのこと。人対人のこと、なかなか簡単には行かないのですね。ちなみに、新型大容量 Disc商品化にあたり、事業部からも異動者はいたそうですが、不思議なもので、多勢に無勢なのか、研究所のカルチャーの方に馴染んでしまうのだそうです。確かに、一人のエンジニアとしては、スケジュールよりは完成度の高いものに拘りたいと言う気持ちは分かります。それはエンジニアの良心なのかも知れません。

新型大容量Disc 社内外協調体制の確立へ

新型大容量・ディスク・アソシエーション(NHDA)の設立

当時、研究所所長を務めるO.Hさんは、かの新型大量量 Discアライアンス、ブルーレイディスクアソシエーション、BDA設立にも走ります。ご存じの通り、当初TS社との協調路線を築くべく、DVD-Forumで扱おうと持ちかけるも、東芝からつっぱねられてしまい、新型大量量 Disc規格用の新たなアライアンスが必要となります。そこで、最も有力である、PS社、PH社、そしてビヨンド社の3社をコアとし、設立への準備が始まります。特に交渉に神経質であったのはPS社であったと言うことで、HT社、PO社、SH社と言った主要民生機器メーカーとの調整担当を主張し、パワーゲームの様相を醸し出します。この時、各社が調整する相手は3社までと協定し、全9社によって、NHDA設立がアナウンスされます。

しかし、その設立のずっと前から、G.Eさん、O.Hさんが各社と事前にネゴシエーションを開始していました。週に2度は宴席と言うヘビーローテーションが設けられ、ビヨンド社の意志は既に各社へ伝わった状況であったと言えます。O.Hさんはこういった交渉の場において、「7割の完成度」で交渉に臨むと言います。それより割合が低ければ相手に飲まれるが、それより高くなってしまうと協調の余地を先方から取り上げてしまいます。

社内垂直統合、全社一丸となって高精細ワールドの完成へ

NHDA設立の一方で、社内でも、新型大容量Discレコーダー、パソコン、ゲーム機器と言った商品群、Discメディア、ビヨンド社・ピクチャーズによるソフトウエア供給と言った各方面の動きを統合し、高精細ワールドを完成させる必要があります。そこで、O.Hさんを中心に毎週ベースで各事業部の情報シェアの場を持ちます。小さな会議室に立ち見も出る盛況ぶりで、フォーマルな会議と言うよりは、フランクな顔合わせの場、交流の場であったと言います。まさに、内部・外部両方について、意志を伝えあい、方向性を作り出す「仕掛け」を作り出していったと言えるでしょう。

セクションを越えて

O.Hさんは元々半導体エンジニアとして回路設計に常駐していました。商品開発には半導体と回路設計が個別に動いているのでは高い品質とスケジュールを守れません。当時(30代前半)で係長を務められていたO.Hさんは、課長級に発言し、商品作りに口出ししてきたと言います。先方の課長はやりにくかったのでは、と苦笑するものの、ここにセクションを越えて提案を受ける雰囲気作りが大切と言う、O.Hさんの信条が培われていくのだろうと思います。

ビヨンド社の商品が魅力的になるためには技術屋とデザイナーが頑張る必要がある。勿論、スケジュールやコスト含めて「締め付け」は常にある。しかし、自由な提案を受け付ける「雰囲気」を失ってはならない、と強調されます。その部分は、マネージャーの力量だろう、とコメントされています。事実、未だにO.Hさんを頼って、相談に来るマネージャーが、部屋を出る際、「あれ、いつの間にかまたO.Hさんに騙されちゃったよ。仕事で相談しに来たのに仕事を自分でやるって言っちゃったよ。」と。そこに技術者・デザイナーがパワーを最大化させていく秘訣があるのでしょう。

G.Eさんとの関係

G.Eさんとの関係は、8ミリビデオにおいて、やはり第2世代半導体をカメラ事業部開発部で商品化する際に作られたとのことです。これがかの名機、超小型8ミリビデオカメラの商品化に繋がっていきます。ここでもG.Eさんに商品上不足と思われることは躊躇なく語ったと言います。

G.Eさんは「嫌なことを言う人を傍に置け、そうじゃないと裸の王様になるぞ」と、O.Hさんに伝えています。議論が、ちゃんと活性化できる関係でありたいものです。

イノベーションに向けて

O.Hさんは、内外の意志作りのためのコミュニケーション、とりわけ、フォーマルな発表より、顔と顔を突き合わせるようなコミュニケーションの必要性を強調されます。また、ちゃんと目標を設定しそれを「仕掛けて」行くことが大切です。Google社などの20%ルールが言われる昨今ですが、実際、ビヨンド社でも似たような個別の実施例はあるのだそうです。しかし、方向付けさえ何もない自由さでは、何かをアウトプットするのは難しいとおっしゃっています。

技術屋とデザイナーが面白いと思うものを社会に問いかけて行くために、コミュニケーションとアウトプットへの「仕掛け」を作っていく。O.Hさんのイノベーションへの一つの回答がここにあります。

Beyond internal use only [社外秘]