本文章は、森基金にて補助金を頂いた研究プロジェクトについて、その成果をまとめたものである。研究題材だけでなく、研究手法を含めて手探りで進めているため、その理論構築における方針やスコープは、当初からは若干フォーカスが変わってきている。しかしながら、大規模組織におけるより良い組織提案と言う大筋に於いて一貫した理論構築を目指し、データ収集を行った。
ウィリアムソンは、市場経済における取引コストの削減から組織が発生するとした。また、ケネス・アローは、ハーバート・A・サイモンを引用して、不確定な情報を担保するために、組織に権威と言うヒエラルキーが構成されるとした。これはマックス・ウェーバーの官僚論に対して、やはりコスト上の矛盾を解消する形で説明されたものである。ここで言う情報は、いうなれば組織全体として蓄積されたノウハウである。ヒエラルキーはその情報が制度化し具現化されたものである。経営組織の意思決定はこのようにして簡略化され、小さな判断に時間を取られることなく、迅速に利益を確保する。そして、大規模組織は、様々な市場でのノウハウが制度化され、巨大なヒエラルキーを複数抱えている。 しかし、そのようにして設計された制度が必ずしも永続的な利益を生むものではない。経営組織は常に他のイノベーションによって、その利益を奪われるという緊張と背中合わせである。シュンペーターは『イノベーションとは、経済活動の中で生産手段や資源やそして労働力などを今までとは異なる仕方で「新結合」すること』とした。イノベーションは、企業の使命ともいえる。どのような事業形態もいつかは陳腐化する。 マックス・ウェーバーは『官僚制』の中で、このように一度制度化された組織が、非人格性によって、組織の長に依存しないでも実行可能にまで洗練される一方で、その改革を難しくなることを指摘している。このことが、大規模組織でイノベーションを起こすことを難しくする。イノベーションによって失われる利益が、自社内のヒエラルキーを担保している可能性が高いからだ。従って、従来的なヒエラルキーの構成では、イノベーションを発生させることは難しい。 本研究の目的は、大規模化した組織においてイノベーションを起こす方法を明らかにすることにある。
シュンペーターの定義するイノベーションを発生させた組織事例を私の所属する大規模組織(従業員15万人以上の製造業。2009年グループ全体連結売上は15兆円以上)の社内にて、インタビューを行い、その様相をデータとして取得していくことから始めている。この活動は、最初から正確なデータをとる目的ではなく、私がイノベーションの研究を行っていることについて社内でプレゼンスを上げていくことを現在の第1の活動としている。まずはそのプレゼンスを確定すれば、追加的なインタビューも可能であるし、広く深く情報提供者を募ることが可能になるからである。第2の活動は、社内向けに事例を武勇伝シナリオとしての紹介サイトを作っていくことにある。本件もプレゼンスを上げる活動にもつながるが、社員をエンカレッジすることも目的とした活動である。第3の活動として、収集データを分析し、ヒエラルキー以外のどんな成分がイノベーションの実態であるか、帰納的に理解していく。本研究のデータは第3の活動であるが、総合政策学言うところの実践は、第1、第2を含んで行う。
今回、イノベーションの発生を、その効果に関係なく「発生した」事例として、役員2名・本部長1名・部長5名、総プロダクト数10あまりについてインタビューを行った。そして、その内容を社内ウェブにて武勇伝的シナリオとして提示する活動を行っている。6件の文章化を行ったが、1件は文章作成後に先方から連絡があり、公開取りやめとなってしまった。また、1件のインタビューは直属の上司だったが、ご自身の様子ではなく、有名な役員のイノベーションについて語られてしまい、良いデータとはならなかった。比較的近しい人からは「構えられて」しまう傾向が出ている。実際、インタビューの成功した皆様は私の現在の業務に直接関係しない皆様であった。グラノヴェター、バートと言うわけではないが、構造的隙間の方が価値ある情報を得られると言うことだろうか。いずれにしても、データは「少し距離のある」皆様から得ることになりそうである。
Table1 インタビューによる社内WEB公開コンテンツと清書版フィールドノーツ
お名前 | 役職 | 公開可否 | WEBコンテンツ | 清書版フィールドノーツ |
S.K | 担当部長 | × | 000r.htm | 100816_S.K.htm |
A.N | 本部長 | ○ | 001r.htm | 100816_A.N.htm |
O.H | 役員 | ○ | 002r.htm | 100916_O.H.htm |
G.H | 役員 | ○ | 003r.htm | 100921_G.H.htm |
Z.B | 部長 | ○ | 004r.htm | 100922_Z.B.htm |
F.A | 担当部長 | ○ | 005r.htm | 100924_F.A.htm |
なお、それ自体は研究対象ではないが、社内SNSを元に進めているウェブ上の各イノベーションシナリオ公開は、おおむね好評を頂いている。これは今回提出した清書版フィールドノーツから、社員にとって興味のありそうな部分だけを抜き出し、中身を盛り上げる逸話を加えたものである。ウェンガーらの『コミュニティ・オブ・プラクティス』や、ピーター・M・センゲの『学習する組織』によると、社内の知識はシナリオ的に示すことが良いとしていることに注目した活動である。ただし、残念ながら一人で活動しているため、感想や実務への影響などは得られないのが実情であり、どの程度、「実際的に」役立っているかは不透明である。また、ビジネスの現場における、シナリオ的表現に対する嫌悪感は根強いように思われる。簡潔な発表、結論の分かる発表が好まれる中、このような活動がどこまで、大規模組織で有効か、未知数である。本件は、修士論文とは別の話として長期的検討事項である。
今回のインタビューは「イノベーションはヒエラルキー以外から発生しているであろう」と言う大雑把な仮説によるインフォーマルな形で行われている。しかし、全てのケースにおいて、イノベーティブな作業についての「場」が語られている。
S.Kさん(担当部長)
役員H.Aさんからは、「直近のビジネスにならなくとも良い」と言う「遊軍」のお墨付きをもらうことになります。新しい付加価値の検討を「自由に」「遊びながら」プロトタイピング検討できるチームが出来ました。
A.Nさん(本部長)
G.Hさんは元よりIT系ビジネスに関わられており、DTPやCDのマルチメディアへの応用と言った現在ではITの中核となった商品群のビジネス化を担っておられました。A.Nさんはその流れと共に、イノベーションの現場を担いました。
O.Hさん(役員)
ビヨンド社の商品が魅力的になるためには技術屋とデザイナーが頑張る必要がある。勿論、スケジュールやコスト含めて「締め付け」は常にある。しかし、自由な提案を受け付ける「雰囲気」を失ってはならない、と強調されます。その部分は、マネージャーの力量だろう、とコメントされています。
G.Hさん(役員)
「こういうものを作るべきだ」「こういう面白い技術で世界を変えるんだ」と言う気持ちが、その商品を軸に「ワイワイ ガヤガワ」しながら、前に進み続ける。
Z.Bさん(部長)
凡そ、M.Yさんのコンセプトは、エンジニアに面白そうな題材を与え、ユニークな人材を結集する事にあったのではないか、とZ.Bさんはおっしゃいます。それが結果的に1年たらずの短い期間で素人集団がワークステーションを世に出せたと言うことは特筆するべき事です。
F.Aさん(担当部長)
ここで特徴的なのは、コンセプチュアルを目指しつつ、みんなでその仕様検討したところでしょう。G.Hさんの言う「ワイワイ・ガヤガヤ」がここにも見えます。みんなで作りたいモノを共有しながら、且つコンセプトに従って割り切った製品設計を行ったのです。
全てのケースにおいて、面白いものを作り上げるための自由な場と言うものが、様々な形で作り上げられている。それは、O.Hさん(役員)のように自ら作り上げていることもあれば、F.Aさん(担当部長)のように、長い付き合いから醸造されていることもある。S.Kさん(担当部長)やA.Nさん(本部長)のように、上位マネージメントに拠って用意されているケースもある。しかし、いずれも組織やヒエラルキーにとらわれない、自由な場こそが、ビヨンド社のイノベーションの場であるようである。
もう一点、特徴的なことがある。それは、どのような経緯にせよ、自由な場を与える(または守る)上位マネージメントの存在である。
Table2 上位マネージメント
お名前 | 役職 | 上位 | 組織 |
S.K | 担当部長 | H.A | H.A の指示 |
A.N | 本部長 | G.H | G.H の指示 |
O.H | 役員 | G.E | 自ら構築 |
G.H | 役員 | Y.E | 不明 |
Z.B | 部長 | M.Y | M.Y の指示 |
F.A | 担当部長 | E.O | 自己組織的 |
以上より、以下2点が読み取れる。
今回、ここから更なる理論展開を進めるにあたり、その理論的なベースに、一橋大学名誉教授(現東京理科大学)伊丹敬之『場の理論』に求めることとした。伊丹の言う場の理論によれば、社員をコントロールするのではなく、一人一人の自律性を最大限に行かせるような「場」を提供するマネージメント・スタイルが提案されており、このスタイルは今回のインタビューにおける皆様の言う、マネージメントへの態度に近いことが分かってきた。自分以外の何者かにアウトプットを出してもらうためのマネージメントである。このことは、最近言われるマネージメントシップや、ダニエル・ピンクの言う『モチベーション3.0』、ウェンガーらの『コミュニティ・オブ・プラクティス』、ピーター・M・センゲの『学習する組織』の言説とも、社員個々人の自律と言う点で一致している。
「ヒエラルキー以外の力」として「コミュニティの力」へその所在を求めた本研究は、イノベーション発生に関するインタビュー活動を通じて、この「場の理論」の適用と言うところに落ち着いた。
ビヨンド社に於いて、「場の理論」的マネージメントが主流であることが、これまでの研究で明らかになりつつある。それでは、各トップ・マネージャーが従業員に演出する「場」にはどのような種類、どのような特性のものがあるのであろうか。そこには、脈々と続く製品ごとのトップ・マネージャー達の系譜が連なっているように見えてならないのである。そのパラメータを設定し、今後の更なるインタビュー活動に繋げ、ビヨンド社の「場」の比較研究を行うことが、今後の活動となる予定である。
この比較研究が再びコミュニティ論と出会うことになるかは未知数であるが、一般的に考えられている大規模組織像に、「ヒエラルキー以外」の効率があると言う視点の一端を示せるものと考えている。