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実録!ビヨンド社のイノベーション ~ Z.B さん

実録!ビヨンド社のイノベーション第4回は、WSKシリーズ立ち上げのキーパーソン、Z.Bさんです。ビヨンド社が新型パソコンシリーズよりも遥か8年も前に普及型コンピューターを世に問うたUNIXワークステーション、WSKシリーズについては、A.Nさんのセクションなどもご参考にされてみてください。

実は、私にとってのZ.Bさんは、最近まで「近くて遠くにいる方」でした。僕のVAIO時代の同僚、N.AくんがもともとZ.Bさんの下で仕事をされていたとのことで、小耳にその活躍を伝え聞く程度でした。面白いもので、twitterにZ.Bさんをお見かけして、フォローし始めたのがZ.Bさんとの具体的な繋がり(と言うほど大げさなものでもありませんが)だったりします。少なく見ても、新しいものを使って遊んでみることに、なんの抵抗もない方であることが、そのエピソードからも伺えることでしょう。時折見せるぎょっとするような思いきった発言一つ一つ、「自由闊達」を地で行くビヨンド社マンを見た思いでした。

M.Yさんの号令でWSKシリーズ立ち上げに参加

時代は米Sun Microsystems社の1000万円以上もするワークステーションが台頭している1985年。パソコンではMac classicが登場した時代でもあります。WEB新聞 の連載、技術再発見『WSKシリーズ --- 一人1台を実現したワークステーション 』によると、ベスト誌1986年11月号でWSKシリーズを「破格の価格性能比を備えたワークステーション」と紹介したとあります。なんと、当時1000万円以上だったワークステーションを、最上位機種で275万円と言う低価格で登場させたのです。記事では更に、『「一人が1台ずつ持てる高性能なワークステーション」という技術者の欲しいものが形になったマシンだった。』としています。当時のWSKシリーズ登場の衝撃が見えてくるでしょう。

MCE開発部の立ち上げ

記事にもありますが、M.Yさんは当初コンピュータ事業部でコンピュータの開発を行っています。資料によると、そこから32bitワークステーションを立ち上げるプロジェクト「STR(ストロング)」を実現するために4人を引き抜き、更に山田研の研究メンバーを加え、総数11人で開発部を立ち上げています。Z.Bさんは当時、CEEK(シーク)と呼ばれる、ライトワンスの光ディスクを活用した業務用電子ファイリングシステム(写真)の開発に従事されていましたが、この時にMCE開発部に引き抜かれます。なお、Z.Bさんによれば、まったくワークステーションやUNIXに精通していたわけではなかったとのこと。Z.Bさんのエンジニアとしての「自由闊達さ」が選抜のキーだったのかも知れません。

素人でもどんどんやれ!

G.Hさんの逸話にも通ずるものがありますが、社内にワークステーションを立ち上げた経験のある専門家などいなかったとのことです。しかし、M.Yさんの号令の元、社内ベンチャーのように様々な試行錯誤がなされます。正に自由闊達な雰囲気であったとZ.Bさんは振り返ります。ハードは現在技術開発本部 共通要素部門長の堀 昌夫さん。WSKシリーズに搭載されたOS、BSD1年で移植してしまった立役者、スーパープログラマ T.NさんがM.Yさんに拠って外部からリクルートされるなど、役者が揃います。

凡そ、M.Yさんのコンセプトは、エンジニアに面白そうな題材を与え、ユニークな人材を結集する事にあったのではないか、とZ.Bさんはおっしゃいます。それが結果的に1年たらずの短い期間で素人集団がワークステーションを世に出せたと言うことは特筆するべき事です。

ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、M.Yさんはペンネーム天照二郎(あまてらすじろう)で『人材は悪人からさがせ』と言う本を著していたりするのです。

当時、コンピュータはビヨンド社のマジョリティではありませんでした。逆に注目されないことが功を奏して、このような自由闊達な場を作ることができたのかも知れません。まさに名実共に社内ベンチャーだったのでしょう。「毎日が新鮮な刺激に満ちていて、 M.Yさんを含めて、コンピュータが専門かどうかと無関係に、日々、成長していた」とZ.Bさんは当時を語ります。

サバティカルな留学

この市場導入の間際、Z.Bさんは米国大学に留学されています。そのことをZ.Bさんは「サバティカル(長期の自由)」と表現して笑ってお話しされます。飛び込み営業のように米国コンピュータ企業に売り込みに行ったりした(させられた)のだそうです。自由に様々な経験が、WSKシリーズの立ち上げを通して培われたのです。

M.Y さん

Z.Bさんのお話しには、WSKシリーズの立ち上げだけでなく、ロボットの商品化も達成した、元業務執行役員上席常務のM.Yさんの「やりざま」がたくさん出てきます。私は全く存知あげなかったのですが、M.Yさんはペンネーム天照二郎でたくさんの書籍を発表しています。twitterにてZ.Bさんから『資本主義と日本の生き方』をお勧めして頂きましたが、天照としてのM.Yさんは哲学的&スピリチュアルな方のようで、一見すると少々怪しげです。瞑想などにも実際にチャレンジされているとのことで、「M.Yさん」と言う人格だけで研究題材(…おっと、これは個人的な興味)になってしまいそうです。

フロー経営

M.Yさんはビヨンド社を離れた後、天照二郎の「フロー経営」セミナーを開催しているお話しを伺い、私もまずはメールマガジンに登録しています。フローとは、人間が何かにのめり込んでいわゆる「ハイ」な状態のことで、ミハイ・チクセントミハイ教授の造語です。そして、その理論体系をフロー理論と言います。実際、チクセントミハイ教授はこのフロー理論を経営学に繋げる試みをしていることを、Z.BさんからM.Yさんのお話しを伺う以前にハーバード・ビジネス・レビューで読み、気になっていたところだったのです。そういうこともあって、とても因果なモノを感じています---ああ、これぞM.Yさんの言っている精神世界なのでしょうか。この点は、実際にM.Yさんにインタビューするなど、別の機会を儲けたいと考えています。

恐らく、想像するに、こういったビジネスのオペレーションであっても、「楽しみ」の状態を作り上げようとしたことが、ビヨンド社におけるM.Yさんの試みだったのではないでしょうか。良いものを作っていると言う「楽しみ」こそが、経営の本質と言いたかったのではないでしょうか。

「志」こそ大切だ!

Z.Bさんは、「儲ける」だけじゃ上手く行かないだろう、「こういうものを作りたい」と言う「志」こそ大切なのではないか、とおっしゃいます。「儲ける」と言った欲望を刺激するようなインセンティブはゆくゆく失敗する、最後は人間的な力が成功を呼ぶのではないか。よって人材こそが財産なのだと指摘します。その人材に「志」を作っていく体制が必要であり、それにはビヨンド社に限らない外の世界と連携していくことにあるのではないか。例えばオープンソース。私たちは兎角、オープンソースをビヨンド社の権利を守って活用することに目が行きがちですが、そこにもまた、ソフトウェアの発展と言う「志」があります。本来、その志に沿うことが最も大切なのではないでしょうか。Z.Bさんはそのように問いかけていました。

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