研究者:: 慶應義塾大学 環境情報学部 筧 康明、諏訪 正樹


本研究の背景と目的::

 スマートフォンやデジタルサイネージを中心にタッチパネルが急速に普及したことで、以前と比較して日常の中で、「触る」ことを意識する機会が増えてきている。さらに、タンジブルメディアやフィジカルコンピューティングを中心に、「触る」という行為をとおして実世界とデジタル世界を結びつける取り組みは、今後ますます我々の生活の中に入ってくることが予想される。

 しかし、例えば市販の多くのタッチパネルの表面は常にガラスやアクリルの素材の触感のみであり、指先の情報量や、触り心地としては変化に乏しい。それに対して、近年デジタル技術を用いて、身の周りの「触り心地」を設計・制御しようという研究に注目が集まってきている。例えば、タッチパネルにアクチュエータを取り付けることにより、触る位置や向きに応じて振動のフィードバックを付与するインタラクティブな触覚ディスプレイ、あるいは柔らかい素材の中にセンサを埋め込み、押す・つまむ・ひねる等ユーザの多様な入力を許容する触覚センサなど、先駆的な取り組みがなされている。

 このように触覚技術や、触覚の応用に関する関心が高まりを見せている中で、視覚や聴覚と比較して触覚はその原理や機構の複雑さから、専門家以外が簡易にデバイスやコンテンツの作成をすることが難しいという点は大きな課題としてある。これまでに、本プロジェクトの主担当の筧は、TECHTILE(http://www.techtile.org/)というプロジェクトを中心となって進めてきた[1]。これまでの代表的な成果として、TECHTILE toolkit(2012年日本グッドデザイン賞Best100選出)がある。これは、触感を採取するための触感マイクと、触感を提示するための触感アクチュエータ、およびI/Oボックスから構成されるオープンソースのハードウェアである。ユーザは触覚に関する特別な知識やスキルを持ち合わせていなくても、身の回りのモノや身体に触感マイクや触感アクチュエータを貼付けるだけで、触感の編集・加工・転送・再生などのさまざまな表現を簡易にプロトタイピングできる。筧らは、このツールキットを広く普及させるべく、ワークショップや講習を展開してきた。

 このようなツールを用いることで、モノ(素材)の状態をコントロールして、新たな触感を表現することが可能になる。この上で、今回本研究では、モノではなく人間の「からだ」に焦点をあてて、新たな触感表現の可能性を探ることを考える。触覚は、皮膚と素材の接触時に、皮膚の神経細胞が刺激されることにより発生する。素材に手を加えずに、身体の使い方を変えたり、その感度を磨くことによっても触感を変えることができる。例えば、同じテーブルの上を指でなぞっても、力の掛け具合や、指の動かし方によってその触感は大きく異なる。また、丁寧になぞることにより、これまでの印象とは異なる触感が得られるというケースも少なくない。さらには、同じものをなぞる際に、そこでの触感の印象の違いから、自らの身体の状況や変化に気づくということにもつながる。

 このように素材の触感を介して身体に意識を向けるきっかけを提供すること、また身体感覚(触覚)に自覚的になることにより素材に対する理解を促すこと、を本研究の目的に据える。具体的には、デジタルメディアを通して、ユーザの触感を研ぎすまし、からだと素材の相互理解(認知)を促進することをねらう。また、そのデジタルメディアを用いて、研究者自身が一定期間の実践を行い、そのプロセスをもとにメディアの設計へのフィードバックを行う。

 本提案の意義として、この研究は、ユーザを「サポート」するメディアテクノロジーから、ユーザを「進化」させるメディアテクノロジーへというパラダイムシフトを企図するものである。これは、ユーザ自身がメディアに助けられて何もしなくてもよくなるというビジョンではなく、ユーザ自身がデジタルメディアを触媒としながら、自らの身体感覚を研ぎすまし、環境との新たな関わり方を自発的に獲得することを促すものである。このためにインタラクティブメディアのデザインを専門とする筧と、からだメタ認知を専門とする諏訪が分野を超えて共同で取り組み、ユーザの身体とメディアを創発的にアップデートする仕組み作りに取り組む。

 以下に本年度の具体的な成果についてまとめる。

成果1::足裏の触感を研ぐためのオノマトペ学習装置の開発(筧・諏訪)

研究概要::

 本研究は,足裏の知覚(以後,足触りと称する)の感性を対象とし,その知覚分解能を高めることを促すツール開発と学習結果を報告するものである.足裏の感覚は,地面が異なれば当然異なるはずである.また同じ地面でも,靴,立ち方/歩き方,体調が異なれば,異なるに違いない.つまり,からだと地面の相互作用に応じて,その界面である足裏で生成されからだに伝わる信号は変化し,その信号に対する知覚が足裏の感覚であると本研究では考える.

 本研究の第一の目的は,歩くことに伴い発生する振動信号を採取し,その信号とそのときの足裏の感覚を表現する本人のことばの対応関係をデータベース化するデバイスのプロトタイプを開発することにある.第二の目的は,そのデバイスを装着して様々な地面を歩く実践を行うことによって,足裏感覚を研ぎすますことができるかどうかを実験的に検証することにある.




デバイスの設計::

 足が地面に接触する(後述するように,着地,踏み込み,蹴り)のに伴い足裏で生成される振動音を採取するコンタクトマイクと,歩様を計測する加速度計からなるセンサデバイスを開発した.ユーザは接触マイクを右の靴に,加速度計を右足首に装着し,様々な地面を10歩歩いては,そのときの足触りを一つの創作オノマトペで表現し,デバイスと繋げたタブレット型PCに入力する.



 足が地面に着いてから離れるまでの1歩は,着地,踏み込み,蹴りの3フェーズから構成される.本研究では,足触りは各フェーズで独立に存在すると仮定した.つまり,ある1歩に関して,着地を表現する創作オノマトペ音素,踏み込みを表現する創作オノマトペ音素,蹴りを表現する創作オノマトペ音素は異なるという仮定である.例えば,それぞれを表現する音素が,“か”,“ぬ”,“ぽ”だとすると,その1歩を表現する創作オノマトペは“かぬぽ”であるとする.


デバイスの実装::

 加速度センサは右足首に装着し,地面に対して鉛直方向の加速度を測定する.1cm四方の加速度センサモジュールKXM52-1050およびマイコンAtmelのDa Vinci 32U with Arduino Bootloader ATMEGA32U4のセットをスポーツ用のサポーターに組み込んで装着することとした.歩きでは着地,踏み込み,蹴りという地面との3種類の相互作用に応じて,足首の加速度は特徴的な変化を示す.ひとが異なると,歩き方が異なるために,異なる波形が得られる.しかし,着地や蹴りという加速度の大きな変化に比べると,各人の波形の違いは無視できると仮定し,加速度計の示す波形の特徴に従い,着地,踏み込み,蹴りの3フェーズを分別する境界時刻を算出した.

 加速度のデータには,ノイズの影響を少なくするためにローパスフィルタを掛ける.また,歩行時の着地・完全接地・蹴りを認識するために,事前に各ユーザの歩行時の加速度センサの値を参照し,加速度およびその微分値に対して適宜閾値を設定することで状態遷移を識別した.

 次に,加速度データの値によって3フェーズを分別する上記の境界時刻に合わせて,足裏と地面の接触により生じる振動音を各々のフェーズで記録する.コンタクトマイクは,取り付けやすさや,歩行への影響を考慮し,右の靴の甲のつま先寄りにテープで固定して装着する.マイクはKORG社製のチューナー用コンタクトマイク CM-100Lを使用した.

 加速度値およびマイクによって録音された音声情報はユーザが手に保持するPCにリアルタイムに送られ,PC上でユーザが入力した各フェーズのオノマトペ音素と,各フェーズの音声情報の対応付けおよび記録を行う.

 創作オノマトペの入力アプリケーションは,歩行における着地,踏み込み,蹴りに対応する,コンタクトマイクからの音声入力をそれぞれファイルとして保存する.音声ファイルは,ユーザの入力した創作オノマトペ音素ごとに異なるディレクトリに保存され,ファイル名には保存時の日付および時刻を用いて(2013年12月20日14時30分の場合には201312201430.txt),後の分析に利用しやすいような工夫を施した.歩き始めるとリアルタイムに音声ファイルを保持し始める.そして10歩歩き終わると(つまりアプリケーションに10歩分の3フェーズのデータがファイル格納される),各フェーズの創作オノマトペを入力するモードに自動的に移行し,ユーザは入力を行える.それ以降は足を動かしても(たとえ歩いても)データ計測・格納は行われず,創作オノマトペ入力モード画面にも影響は与えないように設計した.


実践の結果::

 我々は振動音を周波数分析し,その波形の類似度を反映するような距離計算を行った.本研究で開発したデバイスの音声ファイルのサンプリング周波数は44100Hzであった.FFTサイズは256に設定した.その結果,周波数分解能は172.3Hzである.

 各振動音の形の違いを距離として算出するために,我々は以下の方法を用いた.

1. 各周波数のパワー値yiと第一周波数172.3Hzのパワー値y1の差分difiを計算する
2. 2つの振動音において,すべての周波数におけるdifiの差の二乗和を2つの振動音の距離とする

異なるオノマトペ音素の分離度判定

 分析対象期間(一日のこともある)のすべてのオノマトペ音素のすべての振動音のあいだの距離の平均値d_all_aveと標準偏差d_all_stdを算出する.分析対象期間をいくつかに分割して,各々の平均と標準偏差を算出すれば,分割期間ごとのデータのばらつきを比較できる.

音素内代表データ

 同じ音素に紐付けられた振動音の代表データを求める.代表データとは,同じ音素の他のすべての振動音への距離の和が最小のものとする.つまり,距離空間のなかで,同じ音素の振動音のほぼ中心に位置するデータである.

代表データからの平均距離(音素内半径)

 同じ音素に紐付けられた振動音の代表データから,他のすべての振動音への距離の平均値dk_aveを求める(kはオノマトペ音素のIDナンバーとする).代表データからどのくらいの距離のところに,その音素のデータ群が散らばっているかを示す指標である.この距離を“音素内半径”と呼ぶ.次節で述べるように,異なるオノマトペ同士の分離度を判定するために使用する.

分離度の判定基準

 代表データ中心に音素内半径を半径とする円を想定し,2つのオノマトペ音素の円の重なり具合で両音素の分離度を判定することにする.円の重なり方はI,II,III,IVの4種類に分類する.Iは分離している,IIはオーバーラップしているが互いの代表データは他の円の外にある,IIIはオーバーラップしていて少なくとも一つの代表データは他の円の中にある,IVは一方が他方に包含されている,ということを表す.音素jと音素kの代表データ同士の距離をdcj,kとすると,I~IVの状態はそれぞれ以下の計算式で判定できる.



1. dk_ave + dj_ave =< dcj,k ならばIの状態
2. dk_ave =< dcj,k かつ dj_ave =< dcj,kかつdk_ave + dj_ave > dcj,k ならばIIの状態
3. dk_ave > dcj,k もしくは dj_ave > dcj,kならばIIIの状態
4. dk_ave >= dcj,k + dj_aveもしくは dj_ave >= dcj,k + dk_aveならばIVの状態
 
 今回の実験では,諏訪の踏み込みと,筧の着地,踏み込みに,足触りの分解能が高まり,幾つかの異なるオノマトペ音素ペアが分離される傾向を示した.全員とはいかないまでも,分解能が短い期間に高まる結果を得たことは興味深い.本実験では著者が被験者となって一人称研究を行った .実際に歩いてみると,同じコンクリートでも表面仕上げや模様が異なると,結構足触りが異なることを感じとれるものであることに驚いた.普段地面の足触りに意識を向けることは稀であるが,集中して歩いてみると,意外に微妙な違いを感じられるものである.生活において10日に一度くらいの頻度で1時間強の時間を捻出し,このような意識的な体験を繰り返すことにより,部分的ではあるが,足触りの分解能に向上の兆しがみられたことは,感性に関する研究を今後推進する動機を後押しとなる.

 一般に学習は,単調増加的にパフォーマンスが向上するのではなく,試行錯誤を繰り返しながら好調時とスランプを経験しながら長期的に進むものである.今後,更に定期的に生活の中で足触り実験を行い,実験期間を延ばすことが必要であると考える.

 なお、本研究は身体知研究会にて発表した。
諏訪正樹, 筧康明, 西原由実: Onomatopace:足触り触感を磨く感性ツールデバイス, 第17回身体知研究会, (2013.2)

成果2::時間感覚を研ぐためのウェアラブルデバイスの開発(筧)

研究概要::

 私達の感じる時間の長さは主観によって大きく左右される。同じ1時間でも友人等と楽しく過ごす1時間は短く感じるし、退屈な仕事をしている1時間は長く感じることもある。本研究では、身体に触覚的に正確な時間を刻むことで、人間の曖昧な時間感覚を変容させることを目指す。ベルトに付いた振動アクチュエーターにより時計の秒針に相当する情報を生成し、このベルトを巻きつけた装着者の体に時間を刻む。装着者は正確な時間が常に1秒間隔で把握できるようになり、世界に対する認識の仕方が変わることを期待する。




デバイスの設計::

 上図のようなベルト型のデバイスに等間隔に12個の振動モーターを内蔵する。振動子群は、1秒間に1回振動し、振動の位置が一周する。また、1分毎に長針の方向に強い振動を与える。体験者はベルトを腰に巻き付けることにより、触覚情報として、毎秒や分の刻みを体感することができる。


実装の結果::

 上記のような設計のデバイスを実装し、基本的な実験として、日常的にデバイスを巻き付けながら生活を行った。ChronoBeltの利用者からは、電車の開閉時間が駅によって違うことに気付く、換気してから部屋が寒くなるまでの時間が分かるなど、常に時間を参照しながら生活することにより、日常空間の中に新たな気づきを得ることができたというコメントを多く得た。また、例えば玄関を出たときに前方の位置で振動を知覚し、そこから少し歩いた街灯のところで振動が1周し1分たった時、装着者は玄関から街灯までにかかる時間が1分であるという事を知ることができる。このような経験を蓄積することで、ベルトを外した状態でも玄関から街灯まで歩けば1分が経過するという事を体感として学習し、その感覚を活かした行動を取れるようになるのではないかと想定し、今後も開発と実験を進めていく予定である。

 なお、本研究は、2014年3月1日および2日に二子玉川ライズ Catalyst BAにて開催されたXD Exhibition 2014にて展示発表を行い、多くの来場者に体験してもらい、フィードバックを得た。
木原 共、筧 康明: ``ChronoBelt'', XD Exhibition 2014, (2013.3)



参考文献
[1] TECHTILE toolkit, http://www.techtile.org/